2021/5/31 | 投稿者: pdo

小島信夫の『暮坂』収録の短編「聖骨」などの中に、整体治療のようなことをやっている新興宗教のような団体Zとその指導者であるZ師のことが出てくるが、今はネット社会なのでちょっとキーワードをかけて検索すれば、それがMRT治良というものであることなどが分かる。この小説が書かれたのは1993年頃だが、今でも活発な活動は続いているようである。

別にだからどうということもないのだが、この頃の小島信夫は、家庭問題に悩む妻と一緒に別の宗教団体の集会にも出席していて、「湖の中の小さな島」などの短編にその様子が出て来る。普通隠しておきたくなるような事実だと思うが、こういうことをあけすけに書けるというのもさすがという気がする。

彼に比べれば、大江健三郎や他の作家は、かなりのことを隠していると思う。

しかし考えれてみればむしろそっちのほうが正常であり、自分の考えや生活について小島信夫のように明け透けに書けてしまうというのは、ちょっと頭のネジが飛んでいるのでは、と思われても仕方のないレベルである。

つまり小島信夫を読み過ぎると色々な意味で正常性を失う恐れがあるので決しておすすめしません。
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2021/5/30 | 投稿者: pdo


『静温な日々』小島信夫

『暮坂』小島信夫

『うるわしき日々』小島信夫

『こよなく愛した』小島信夫

『小説修業』小島信夫・保坂和志

『各務原・名古屋・国立』小島信夫

『残光』小島信夫



『暮坂』と『各務原・名古屋・国立』は古本屋で各八八〇円で買う。あとは図書館。

『小説修業』は小島と保坂和志の往復書簡をまとめたもの。文庫本には保坂和志による追悼文も収められている。

『残光』から読み始めたのだが、第一章の凄さに圧倒される。第二章と第三章は過去の自作への引用と言及が多く、大江健三郎と同じやり方だな、と思うが、自分があと四十年後に小説を書くとしたら(そもそも生きていたら)、と考えたら、こういう手法を非難するつもりにはなれない。

とにかく第一章が凄すぎる。『抱擁家族』を超えているのではないか、と思った。

『こよなく愛した』は短編集で、八編収められている。一通り読んでみたがどれも今市。

『静温な日々』は『うるわしき日々』の十年前。まだ息子はアル中で入院していないし、後妻はまだ痴呆症が出ていない。僕はこの二編を水声社の『長編集成』で読んだのだが、小島夫妻と親しく付き合っていた作家・中村邦生の解説が興味深かった。

『暮坂』は単行本で、以下の『群像』各号に収録された短編がまとめられたもの。

「羽衣」(1992年8月号)
「殺祖」(1992年11月号)
「自娯」(1993年2月号)
「鴛鴦」(1993年5月号)
「蓬莱」(1993年8月号)
「聖骨」(1993年11月号)
「暮坂」(1994年2月号・5月号『承前』改題)
「野晒」(1994年8月号)

これらについては改めて感想を書きたい。

これとは別に講談社文芸文庫の『月光・暮坂』も電子書籍で読んでいる。

『各務原・名古屋・国立』は未読。これから読むのが楽しみ。
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2021/5/29 | 投稿者: pdo

小島信夫を読んで、純文学は美文でないといけないとか人間の感情や思考のアヤを丁寧に描かないといけないという先入観があっさり崩れた。

例えば、絵を描くためには、基本的なデッサンの力(絵心〈えごころ〉)が必要であるのと同じように、小説を書くためには、文学的な文章を書く文才が必要な気がしていた。だが、小島信夫の小説、とりわけ代表作である『抱擁家族』は、言ってしまえば非常に不器用でヘタクソな文章で書かれている。文章のつながりもおかしい。それでいながら、何かとても豊かで深いものを含んでいる。村上春樹は、この小説を七、八度読み返し、その度に感心している、と『若い人たちへの短編小説案内』という本に書いている。

小谷野敦は、島崎藤村は悪人というより他人の感情が本質的に分からないサイコパスだったのではないかと書いていたが、小島信夫もそんな匂いがある。『抱擁家族』の主人公・三輪俊介は、妻の時子から、「あなたは妻(女)の気持ちがまるで分かってない」と何度も詰られ、それが時子とジョージとの情事の遠因にもなっているのだが、これは実際の作者である小島自身もそうなのではないか。そして小島は、そんな自分を三輪俊介として突き放して描いている。彼から見たありのままの時子の姿も描いている。この小説の登場人物たちは皆、ジョージも、みちよも、息子の信一も娘のノリ子も、著者の想像を超えたリアルな〈他者〉として存在している。彼らの発する言葉はいちいち驚くほどのリアリティを放っている。著者は、彼らの内面を〈理解〉しようとはせず、ただ〈ありのまま〉の彼らの振舞いを観察して、それを忠実に、身も蓋もない、つまり文学的情緒のまるで欠けた、直接的な文体で書き取っているだけのように思える。

人が内心で思っていることとまったく無関係な、むしろ正反対の行動をしばしば取ってしまうことを、小島は鋭く観察し、コミカルに描くのが上手い。これは主人公・俊介の行動に顕著で、例えば、時子と姦通したと疑いのあるアメリカ人ジョージが俊介に電話して来て、「ハウ・アー・ユー?」と言ったとき、俊介が反射的に「ジャスト・ファイン」と叫ぶように答える場面など、可笑しさと哀れさ(惨めさ)が同時によく出ている。また後に、ジョージが俊介から時子との関係を問いつめられて、「僕が責任を感じているのは国家と両親に対してだけだ」と答える場面など、富岡多恵子が「これは作者の想像から出てきうるようなセリフではない」と感心している。やがて時子は乳がんで入院するが、一時退院することを強く望み、病院から俊介と二人タクシーで帰宅する車中で「帰ったら、お願いね」と言う場面とか、実に生々しい。男性ホルモンの注射を打っていた時子は性欲が高まって、病身にもかかわらず俊介とのセックスを求める。俊介がそれに応じる場面で、時子は三輪と結婚して初めて性的な満足を得るのだが、富岡多恵子などは、この場面が夫婦の和解と許しの象徴として描かれているとしたら安直で気持ち悪いと感想を述べる。自分は富岡のようには感じず、特定の効果を狙った場面ではなく単にあったことを描いたに過ぎないのだと思う。もしこれを小島が夫婦の和解と許しの場面として描いたのだとしたら、男性ホルモンの注射という化学的な作用によって初めてそれが実現できたという何とも皮肉なことになってしまう。

『抱擁家族』が含んでいた剥き出しの〈他者〉のリアリティと独自の文体によるリズム感は、その後に読んだ、三十年後の三輪家を描いた『うるわしき日々』という小説を一読する限りでは、ほとんど感じ取れなかった。

もちろん、家族とそれを取り巻く環境は完全に変わってしまっている。時子が亡くなった後に再婚した京子は痴呆症で記憶を失いつつあり、五十代半ばの息子良一は、妻子と別れた後にアルコール依存に付随して精神疾患が深刻化し、自分の年齢も忘れた状態で病院に入院している。妻と息子の精神が崩壊していく中で、俊介が病院の担当者や友人知人に手当たり次第、息子の転院先について相談を持ち掛け、右往左往する様子が描かれている。息子は妻から離婚訴訟を起こされ、その対応を弁護士と協議するのも俊介の役割となっている。

これは新聞小説であり、かつて文芸誌に十二年間も連載した『別れる理由』のような前衛的な小説にはできなかった。また構想や表現を十分に練ることのできる書き下ろし小説とも違って、研ぎ澄ました文体を期待するのも難しいだろう。だが、かえってそれ故に、別の味わいがある。『新しい人よ目覚めよ』以降の後期の大江健三郎の変形私小説に通じるものを感じる。小島の『抱擁家族』に相当するのが大江の『万永元年のフットボール』だとしたら、『うるわしき日々』は大江の『静かな生活』といったところか。もっとも、ノーベル賞受賞後の大江は、障がい者である息子の光氏と共に(少なくとも外面的には)平穏な生活を送っていたように思われるが、小島の日々は前述のように平穏からは程遠く、『うるわしき日々』というタイトルはアイロニーにしか思えないのだが、本人は「アイロニイではない」と「あとがき」で書いている。ちなみに、この読売新聞の連載小説を小島に交渉して実現させたのは尾崎真理子という編集者で、彼女は大江健三郎の担当者としても有名であり、『大江健三郎全小説全解説』という著作がある。
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2021/5/28 | 投稿者: pdo

坪内祐三『「別れる理由」が気になって』読了。

1968年から1981年まで実に12年に及び『群像』に連載された小島よしお信夫の長大な小説『別れる理由』の内容を紹介・解説してくれるという親切な本。

結論を言えば、この本を読めば、よほど興味がない限り『別れる理由』そのものを読まなくてもいい。実際、この小説は野間文芸賞、日本芸術院賞を受賞しているにもかかわらず、選考委員の誰一人として通読していないし、この小説について詳細な評論を行っている江藤淳ですら大量過ぎて読み切れていないことを認めている。

これまでは絶版扱いで図書館で読むことも困難だったが、2019年に遂に文庫化され、電子書籍も出ているので、読むことは可能である。

この本を読めば、この小説の内容は、時制もめちゃくちゃで主人公が馬になったり作者に電話してきたり夢の中で乱交したり実在の作家たちと楽屋落ちめいた議論を延々と続けたり、何でもありのデタラメそのものであることがよく分かる。ところが著者の坪内祐三はこの小説を大変高く評価しているようだ(尤も評価してもいない小説についてこんな本は書かないだろうから当たり前だが)。

どうやら最終的には、作者本人と藤枝静男と柄谷行人と大庭みな子がグダグダと議論を続けている文学賞パーティーの場に、小説「月山」の作者・森敦とその養女が現れるところで終わるらしい。小島信夫はこの森敦を文学的師匠のように慕っていて、二人で対談もよく行っているし、彼のところに月に二度も三度もアドバイスを受けに通っていたということだが、僕はこの森敦というのがどうもよく分からないというか、苦手な作家である。

彼の書いた小説を面白いと思わないし、その精緻で奇妙な独自の文学理論については、まったく意味不明である。しかし柄谷行人などはこれをたいへん高く評価している。

どうも小島はこの森敦の影響を受けておかしくなったのではないかという気がする。

『抱擁家族』は大傑作なのは疑いない。この小説のすごいところは、〈他者〉が文字通り〈他者〉として、つまり理解不能な存在としてきっちり描かれていることで、著者個人の想像力だけからは決して出てこないものがほとんど頁ごとに出てくる。

作品の中に理解不能な〈他者〉をいくつも登場させるスタイルは、彼がシェイクスピアのような英文学の専門家でもあったことが影響しているのではないか。

小島信夫のすごさは、こういう他の作家には書けないような〈おどろき〉をもたらす能力とそれを可能にした文体の創造にある。しかし、それを理屈や理論で定式化しようとしたり、哲学めいたもので正当化したり、ひとつの方法論のように語ろうとすると、たちまち陳腐で(悪い意味で)胡散臭い印象を与える。

『別れる理由』と執筆時期が重なっている『美濃』という長編小説も読んでみたが、ピンと来なかった。ここにも森敦の悪影響が感じられる気がした。
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2021/5/27 | 投稿者: pdo

フカキョンのニュースなど見ていると、コロナダメージは結構根深いのかもしれないなと思う。

老子第58章に云う、

禍の中には必ず福が寄り添うているし、福の足元には必ず禍がかくれている。これが禍の極、これが福の極と誰にも決められるものではない。むしろこれを正そうとしない方がいいのだ。

正しいものを正しいと求めた結果が、かえって変奇なものになってしまうことがあり、善だと思って求めてそれが妖ひとなることもある。だから聖人は方正を貴んでも人為によってこれをつくらない。清廉を貴んでも、人為によってこれを為さしめない。直きを貴んでも人為によって伸ばそうとはしない。光を貴んでも人為によって輝かそうとはしない。


ここに引用した老子の文句は伊福部隆彦の『老子眼蔵』という本から採ったものだが、彼は生田長江と権藤成卿を師と仰いだ。伊福部隆輝と名乗り文芸評論をしていた頃に藤澤清造の『根津権現裏』を称賛したと西村賢太の小説に書いてあった。上記の本に寄れば、彼は奥さんと喧嘩した後や、借金で困窮している友人を訪ねる道行や、原稿料の集金のために出版社に通う道の途上で無為自然の極意を悟ったのだという。

根津と言えば、自分が嘗て、毎日のように通っていた或る建物があった筈だが、どんな風に通っていたのか全く忘れてしまった。ある日、根津駅からその建物に向かって歩いている時に、いきなり後頭部をガツンと殴られたような衝撃があって、振り返ってみたらカラスが頭上でカーカー鳴いていたことだけは覚えている。

その建物から、一定の頻度で、タクシーに乗って郵便局に行き、大量の封筒を窓口に出したのも覚えている。あのときの郵送料はどうやって支払ったのだったか。料金別納のゴム印をひたすら押し続けたような気がするが、具体的な記憶はない。一緒に行った男性が創価学会の熱心な活動家だったことや、その人から島田雅彦の『自由死刑』という本がすごく面白いから読め、と言われて借りたのを覚えている。

その建物の中で、モーニング娘。の矢口真里の姿を見た気もする。いい年をした多数の男女が昼間からウダウダとやることも無さげにクダを巻いていた雰囲気を何となく覚えている。彼らの職業は教師だったのではないかと思う。

僕はそこでもひたすら翻訳をしていた。それは、それがやりたかったからというより、暇でどうしようもなくて、そんなことでもしていなければ気が狂いそうだったからに違いない。

その部屋は二階で、一階には別の部屋があって、そこにいた人の中に、物柔らかでスラっとした女性がいた。灰色のジャージを着て、青いジーンズ姿のことが多かった。一度倉庫か何かのような場所に二人で入っていき、その人が脚立に上って高い場所に行くのを見上げた記憶がある。
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