2021/2/12 | 投稿者: pdo

芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』を読んだ。

アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。

あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。


あたしは階級でいくとモスキート級で、必要最小限のお金しか落とさないし、積まない。でも気が向けば解釈するし、身内みたいに感情移入するときもある。直接触れ合いたいとは思わないという点では、この小説のあかりと同じ。

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

勉強や部活やバイト、そのお金で友達と映画観たりご飯行ったり洋服買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになってく。


推しが生活の中心で絶対になってしまうと、あかりのように辛い思いをすることになる。
あかりは、推す相手を間違えた。とはいってもそれは運命のようなものだから仕方がない。
あたしの推しは、決して燃えないと信じてる。


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