2021/2/8 | 投稿者: pdo

週末は大江健三郎『懐かしい年への手紙』を読んで頭がグラグラしたが、『万延元年のフットボール』のときほどではなかったのは、大江の文体に多少なりと慣れたことと、こちらの方が読み易い文体で書かれていたことのせいかもしれない。万延の方がフィクション性が高く、懐かしい年の方はより私小説に近いスタイルで書かれている。

この小説の主役は書き手である作家と彼の少年時代からの導き手でもある「ギー兄さん」である。これは『万延』の蜜と鷹の関係性に近いが、「ギ―兄さん」の人物像には若干義兄(ギー兄)伊丹十三の要素も入っている気がする(小説中に伊丹をモデルにした人物は「秋山君」という形で登場するのではあるが)。

とても長い小説ではあるがそれほど中だるみもせず、終わりまで関心は持続できた。しかし物語の終盤にかけての展開は(いつも通りと言えるかもしれないが)やや急で、ついていくのに若干の抵抗感があった。

ダンテの『神曲』が全体を貫くモチーフに用いられているが、ちょっとピンと来なくて、フィナーレの天上の夢のような描写にも心から入っていくというのではなかった。作者も本気でそうは思えていなかったのではないか? 志賀直哉『暗夜行路』の有名なフィナーレのように、作家が身も心も没入して(入り切って)ある種の無我の境地で書ききったという印象は受けなかったのだ。そのことが読後感を感動とは壁一枚隔てた若干曖昧なものとしている。

続けて『M/Tとフシギな森の物語』も読んでみようとしたが、こちらは四国の村の神話と伝承を現代までの物語と絡めて語る大きなスケールの作品で、ちょっと小説世界の中にこちらが入って行けなかったため、いったん保留した。

四国の村の話は、『万延元年のFB』にも『懐かしい友への手紙』にも『憂い顔の童子』にも繰り返し繰り返し出て来るので、正直作者の少年時代と郷土へのこだわりに移入できないと大江作品の世界そのものに入って行けないひとつのハードルを形成している。

個人的には、私小説スタイルで語ってもらえるのが一番しっくりくる。『雨の木を聴く女たち』と『新しい人よ目覚めよ』あたりのスタイルがいい。初期のグロテスク・リアリズムは正直キツい。

そういうわけで今読もうとしているのはどうやら彼の最後の小説となりそうな『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』である。
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