2021/2/1 | 投稿者: pdo

週末は大江健三郎『万延元年のフットボール』を一気に読んで頭がグラグラした。

冒頭の段落が「夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い『期待』の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。」という文章で始まっているので、土曜日の明け方に目覚めたらそのまま自分の机で読み始めた。

結局朝の6時過ぎから夕方の3時過ぎまでかけて一気に読む。その翌日は同じ全集に入っている『洪水はわが魂に及び』を読もうとしたが頭が疲れて飛び飛びに流し読みすることしかできなかった。それでも十分にヘヴィーだった。

『万延元年・・・』は蜜三郎と鷹四の兄弟が四国の生まれ故郷の村に戻って一騒動起こす話なのだが、鷹四が村の若い衆たちを統率して、雪で警察機能が麻痺している間に、村人への支配の象徴であるスーパーマーケットを略奪し、念仏踊りの太鼓のリズムで村人を扇動し、暴動の気分を盛り上げる「想像上の暴動」の場面が最も印象的だ。ちょっと村上龍の『愛と幻想のファシズム』を思わせる。

結局この「百年後の一揆」はわずか数日しか続かず、鷹四が村の娘を強姦しようとして殺し(だがこれはどうも事故っぽい)若い衆たちの信頼を失い、「本当のこと」を言ったら蜜三郎からも欺瞞を詰られ、自殺してしまうので、幻のクーデター(?)に終わる。そこから物語の終結に至る展開にはやや無理を感じたが、どうやらそこ(曾祖父の弟が倉屋敷の地下室でその後の人生を過ごし、その後の一揆も指導したこと)が著者の最も書きたかったところらしい。

一行が村に入ってから不穏な空気が徐々に高まっていくところが読んでいて非常にスリリングだった。鷹四の「告白」から自殺に至る部分はある意味読んでいてそうなるだろうなと思ったのでむしろ退屈だった。

とにかく冒頭からの導入部(第1〜3章)の描写が素晴らしい。これだけで世界文学の名に値するとさえ思った。

『洪水・・・』はもろ連合赤軍事件がテーマかと思いきや、実は事件の前にはほとんど完成していたのを、事件が起こったために政治色を抜いて書き直したという。それが本当だとすれば大江の想像力や恐るべし、である。
『燃え上がる緑の木』も新興宗教による一揆の話らしいが、同様に書いた後でオウム事件が起きたらしい。

『取り替え子』も最後まで読んだが、終章だけは「いい話」にまとめようとしている感じがあってちょっと物足りなかった。ここだけ妻の千樫の視点で書かれているのだが、内容的には同時期に書いたエッセイをそのまま転用している。それが大江の小説のスタイルだからまあ仕方ないのかもしれないが、「アレ」を曖昧にしたままこういう綺麗ごとみたいなポエムで終わらせるのはどうなのか。

コギトとゴロウが少年の時に体験した「アレ」というのはホモセクシュアルな体験(そして気まずいままで終わったもの)としか思えないのだが、続編である『憂い顔の童子』では否定しているようだ。そう言われると読んでみたくなる。
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