2020/10/14 | 投稿者: pdo

スペクテイターという雑誌のつげ義春特集を図書館で借りる。

冒頭の赤田祐一のつげ論にいたく共感。


私はつげ作品の“ヘビーユーザー”だ。つげ作品は、高度情報化社会という情報ジャングルの中で生きる自分にとって“治癒力”があり、読むと、効果が感じられる。読むと、昼間の仕事でザワついた神経を鎮静し、しみじみさせる。一種、デトックスのような作用が働くのだ。そんなことも手伝って、つげの本は“座右の書”として、大切にしている。

…つげ作品には、人の心の奥深い部分を揺さぶったり、エゴから解き放ったりする解毒作用があるのではないか。


赤田は、つげの作品の面白さを保証しているものはテクニックではなく「無意識」だと説明している。つげは作品の中で自己の無意識を表出している度合いが十分な強度を持っているから芸術足り得ている。赤田の言葉を使えば、「自分の内部にある風景が、自分に忠実に生み出されたことに感銘をおぼえる。」

スペクテイターに掲載されている初期の「おばけ煙突」もシンプルだが古典的で見事な作品である。

「ほんやら洞のべんさん」では娘の「とりッ!この鳥や」のコマで涙が溢れる。
この感覚は言葉では説明できない意識下の記憶と結びついている。
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