2019/9/29 | 投稿者: pdo

この数週間は『悪霊』にすっかり憑りつかれていて、今は米川正夫訳と江川卓訳と亀山郁夫訳を頭から順番に読み比べを開始した。

どの翻訳も一長一短だが、今のところ(第1部の途中)米川正夫訳が一番しっくり来る。

江川卓訳はいいのだが、ステパン氏のフランス語をカタカナニシテイルノガイタダケナイ。

ネクラーソフの詩を引用した、<ステパン先生が知識人としてスクヴォレーシキ村で祖国のために果たしていた役割>については、

「譴責の権化」(米川正夫訳)

「生ける良心」(江川卓訳)

「血肉と化した非難」(亀山郁夫訳)

の三種三様だが、やっぱり「譴責の権化」がカッコいい。

「譴責の権化(あるいは生ける良心、血肉と化した非難)」として祖国の前に立っているのに、疲れてすぐ寝転んでしまうのがステパン氏。

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2019/9/26 | 投稿者: pdo

祝 木村一基王位誕生




ただ一言。


泣ける。


もう泣こう、今夜は。



棋士群像 木村一基九段[今は王位]
https://happy.ap.teacup.com/bennett/1476.html
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タグ: 木村一基 王位

2019/9/23 | 投稿者: pdo

『マイケル・ジャクソンと神秘のカバラ』という本(これが本と呼べるのだろうか?)を読む(正確には本屋で立ち読み)。

書店がアマゾンのせいで次々に亡くなっていく中で、この「立ち読み」という風習が死滅していくことは現代の悲しき事態の一つである。

ぶらりと書店によって、本の背表紙を眺めて過ごす時間が奪われることも、また悲しいことだ。

本屋というものがなければ、まかり間違っても、『マイケル・ジャクソンと神秘のカバラ』という本に目を通すことはなかっただろうし、この本に含まれている、ある観点からはとても興味深い情報に触れる機会もなかっただろう。

著者のサッチー亀井氏は、「クリヤヨガマスター」で、マイケルにサーフィンを教えて欲しいとマイケルの側近からの連絡を受けて、マルタ島の高級リゾート地域に飛ぶ。

そこでマイケルと会い、彼を呼んだ理由が、「アカシックナンバー」が一致するからだと聞かされる。

「アカシックナンバー」とは何か、そしてそこから広がる神秘の世界については、直接に本書を当たってもらいたい(そんな奇特な読者はいないと思うが)。

この本を読んだことを忘れないように、備忘録としてここに記す。
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2019/9/22 | 投稿者: pdo

車中で『貧しき人びと』を読む。最後の頁だけは読んでいると号泣しそうで怖かったので読まなかった。あとで独りになって読んだらやっぱり号泣した。

世間から侮蔑の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語。往復書簡という体裁をとったこの小説は、ドストエフスキーの処女作であり、都会の吹きだまりに住む人々の孤独と屈辱を訴え、彼らの人間的自負と社会的卑屈さの心理的葛藤を描いて、「写実的ヒューマニズム」の傑作と絶賛され、文豪の名を一時に高めた作品である。(新潮文庫裏表紙より)

当時の文壇の大物ネクラーソフがこの作品の朗読を聞いて感動し、夜中にドストエフスキーの自宅に押し掛けて激賞したというエピソードがあるが、この作品を朗読するには少なくとも日本語訳では3時間はかかると思われ、当時のロシア知識人は我慢強かったのかと思う。あちこちで朗読会と言うのがしきりに催されていた様で、この小説の主人公マカール・ジェーヴシキンもちょっとした作家ラタジャーエフの作品の朗読会に参加して、そのことをワーレンカに自慢げに手紙に書いている。一方のワーレンカにとってはそんなことはどうでもよく、マカールの情熱は完全に上滑りしているのだが。

このドストエフスキーの処女作では早くも、小娘に馬鹿にされながらも傅く中年男という永遠のモチーフが確立している。主人公のマカールは47歳だが、当時のドストエフスキーはまだ20歳を超えたばかりだ。この精神的成熟は何なのだろう。

ロゴージンとナスターシャ、ラスコリーニコフとソーニャ、『賭博者』の主人公とポリーナ、ミーチャ・カラマーゾフとグルーシェンカ、などなど、この関係性はドストエフスキーの性的嗜好そのものといってよい。そんな彼にとって、45歳になって巡り合った20歳のアンナとの結婚がどんなに幸福なものだったかは想像に難くない。

ツンデレとか寝取られとか、今のコミケや同人誌に出てくるような萌え要素が極端な形で具現化されているのがドストエフスキーの小説だ。『永遠の夫(万年亭主)』なんて究極の寝取られ小説だ。

さて、『貧しき人びと』だが、


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2019/9/19 | 投稿者: pdo

『悪霊』の登場人物の中で、最もよく描けているのは、スタヴローギンや他の人物よりも、ステパン氏であるという説は有力だ。

西欧(フランス)かぶれのリベラリストだが、偽善的で腰の座っていない姿勢を、自らの教え子である、より過激な自由思想をもつ下の世代から突き上げをくらう、という様子が、実にリアルに描かれている。

ステパン世代も、その息子であるピョートル世代も、大地とか民衆とのつながりを欠いている、という点では共通している。

実はそのことは、日本のリベラルや左翼にも言えることではないか。彼らは、民衆の中に真の基盤を持っていないから、彼らの志向する改革や革命は敗北を運命づけられている。

ロシアで成功した共産主義革命が20世紀最大の悪夢であったこは歴史が証明している。

ステパン氏のキャラクターには、ワルワーラ夫人との20年以上にわたる友情、というもう一つの側面もある。

二人の関係はプラトニックなもので、ステパン氏の死に至るまで二人の友情は高潔なままであった。

しかし、ほんの一時期、二人の関係が一線を越えそうになったことがあった。

ワルワーラ夫人の夫であるスタヴローギン中尉が死去したという知らせを受け(夫婦は既に4年間別居していた)、ふさぎ込んでいた時期、ワルワーラ夫人を慰め、大切な心の友となったのは、ステパン氏であった。

このとき、ワルワーラ夫人は、「わたし、このことはけっして忘れませんからね!」という名セリフを吐いている。

「このこと」とは一体何なのか?
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