2017/12/30 | 投稿者: pdo

世間のほうではのんが初めて主催した音楽フェス「のん、KAIWAフェス」やら大友良英のNHKラジオ生出演やらで盛り上がっているようですが、こちとら明日は娘と一緒に「ジャニーズカウントダウンコンサート」に参戦予定であります。

クリックすると元のサイズで表示します

しかし忌野清志郎のオーラを身に纏った元国民的ヒロイン女優ってものすげえな。

かつて椎名林檎やら宇多田ヒカルが颯爽と日本のミュージックシーンに登場した時も度肝を抜かれたもんだが、のんの破壊力はトータルで見てそれ以上。

何より、日本のレジェンド・ミュージシャン達がこぞって暖かく見守りつつ全力で応援している様子がこの上なく微笑ましくて仕方がない。

クリックすると元のサイズで表示します

2018年も全力で駆け抜けましょう!




2

2017/12/25 | 投稿者: pdo

ARASHI LIVE TOUR 2017-2018「untitled」12月24日東京ドーム公演を見に行ってきた。

娘に頼まれてファンクラブ会員になっており、前日の夜になって急遽用意できた座席(制作開放席)が用意できたという連絡が来たので、急遽参戦することに。

ナマ嵐初体験がこんなサプライズで実現し(24日は娘の自担の相葉雅紀の誕生日でもあるのだ)、狂喜と号泣の後、徹夜でうちわを制作しフラフラな娘と、午前中から東京ドームに向かい、グッズ販売の列に2時間ほど並んでポスターやパンフレットや写真やらのグッズ購入。

このときに、ライブ中に客席で観客が応援で振り回すための「ペンライト」も買うしくみとなっており、これが2500円もするので、実質的にチケット代8500円と合わせて12000円は必要となる。

列に並びながら周囲を観察。年齢層高し。自分より明らかに年長の婦人連の姿が目立つ。十代らしき女子は中年の母親と一緒というパターンが目についた。今の嵐のファン層の傾向が顕著で興味深かった。男性も若いのから中高年まで散見されるも、カップルの姿はほとんど見えず。たしかにクリスマス・イブに嵐のライブでデートという発想はあるまい。父娘連れというのはかなり珍しい。

無事グッズを入手して、開場の16時までに少し時間があるので昼食の場所を探すがドームシティ内の店はどこも長蛇の列。あちこち彷徨ったあげく後楽園駅近くのサイゼリアに辿り着き、ここでも10組くらい先着の列ができていたが、20分ほどで席に着けた。娘は胸がいっぱいで頼んだパスタにはほとんど手を付けず。

15時過ぎにドーム周辺に行くとすでにたいへんな人だかりで、さすがに若い女子のグループが目につく。「同行させて下さい」というプレートを掲げる女の子たちが通路沿いにずらっと並んでいる。ダフ屋の姿がほとんど見えないのは転売チケットに厳しい対応を取る事務所の方針の反映か、一般的な取り締まりの強化の成果かは不明。

15分くらい前から入場列の形成が始まり、デジタルチケット(自分のスマホやタブレットに表示されたバーコード。スクリーンショットやプリントアウトされたものは不可)を機器にかざして係員のチェックを受けてドーム内に無事入場。指定された席を探し、たどり着くまでにたっぷり10分は歩かされる。この時点ですでに娘は感涙に咽んでいる。

直前に決まった余り券なので、いわゆる「見切れ席」か「天井席」みたいな、ほとんどメンバーの動きなど見えない場所だろうと思っていた。実際ライトスタンドの、ステージ真横の席で、正面からの舞台のスクリーンや奥まった場所はまったく見えなかったが、ステージまでの距離はそこそこ近く、映像スクリーンも設置されているのでメンバーの姿が追えないことはない。娘の気分を盛り上げようと「こんな近い席でよかったじゃん!」と煽るとますます感動の号泣。隣の席に来た若い女性二人組も、こんないい席だと思わなかったと感激していた。

開演時間までの2時間、「始まったら終わっちゃうからこのまま永遠に始まらないで欲しい」と口走る娘。客席が徐々に埋まり、暗い室内に光るペンライトが幻想的に雰囲気を盛り上げる。

この間にトイレに立つ。男子トイレはガラガラ。女子トイレは長蛇の列。開演までに間に合うのだろうか? と思っていると、案内の人が「今から並んでも開演には間に合いません!」と絶叫していた。じゃあどうしろというのか。

当初は自分の分のペンライトは買わなかったが、せっかくなのでドーム内のグッズ売り場でペンライトを購入。座席に着くと、座席についているシールの符合と同期させて、会場全体の照明の演出に同期する仕組みになっている。

もうすぐ開演の18時になるというとき、スタンドのペンライトが、ほとんど相葉雅紀のメンカラである緑一色になる。前述のとおり、今日は相葉雅紀の誕生日なので、これも演出かと思っていたら、後に松本潤がMCで指摘したところでは、自然発生的なものだったようだ。

そしていよいよ開演。耳をつんざくような黄色い歓声の中、オープニングを飾る「GREEN LIGHT」(緑の光!)のイントロが流れる。

隣の女子二人組は涙声で叫びながら「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!」しか言っていない。娘は号泣しながらうちわで顔を隠して眼だけステージのダンスを追っている。自分も娘に渡されたうちわ(「相」と「葉」がそれぞれに書かれている)を左手に持ち、右手に持つペンライトを振り回しながら、リズムに乗って小刻みに身体を振動させる。

物凄い興奮状態の中、あっという間もなく1曲目が終わると、続いて「I'll be there」へ。これは相葉雅紀の主演ドラマ「貴族探偵」の主題歌で、当然相葉雅紀がフィーチャーされる。相葉雅紀のために徹夜でうちわを制作した娘はほとんどステージを見ることもできず号泣したままだ。

息つく暇もなく、ハードなダンスチューン「風雲」へ。オープニングからのこの3曲はすべてニューアルバム「untitled」からのもので、ファンとしてはアドレナリン大放出の最高にアガる曲順である。メンバーの衣装は赤と黒のキメキメの地球防衛軍のよう。激しい曲調にもぴったり。

続いて曲は嵐の定番パーティー・ソング「Attack It!」に移る。ひとしきり盛り上げた後、櫻井翔を中心にMCの時間へ。大興奮状態の観客もここでようやく一息つける。娘もようやくペンライトを振れるくらいまで立ち直った。

・・・・とまあ、こんな調子で書いていくと長くなりすぎて止まらないので、ライブ・レポートはここで打ち切る。

全体的に、非常に洗練され考え抜かれた演出、歌、ダンス、MC、照明、すべての面において日本のナンバーワン・アイドル・グループの名に恥じぬ素晴らしいパフォーマンスだった。

特に大野智のダンス(「つなぐ」での冒頭のパフォーマンスは圧巻)と歌唱は一流といってよく、移動ステージでのファンサービスも熱心で、個人的には担当になってもいいかと思ったくらい。

ステージでの存在感が一番あったのは松本潤だったように思う。ライブの演出面などは彼が自分で決めているというが、自分自身への圧倒的な自信と風格めいたものまで感じられた。

櫻井翔は全体への目配り、MCなどでリーダーシップを発揮していた。彼が嵐というグループの成功に果たした役割は大きいし、今後のグループにとっても最大の鍵となるメンバーだろう。

二宮和也と相葉雅紀は、「UB」というBLを連想させる曲でBLを連想させる複雑怪奇なパフォーマンスを披露していたのが印象に残る。

途中のMCで今日が誕生日の相葉雅紀を祝ってバースデー・ケーキを囲み、スマホで記念撮影するというコーナーがあったが、楽屋落ちにつきまとう嫌らしさみたいなものとは無縁な和気が会場全体のムードを温めていたことからも明らかなように、このグループが時代から祝福された状態にあることはあらゆる実績が示すとおりだ。

公演が終わり、人混みの中を駅に向かい、家に着いたときには疲れ切っていたが、たまにはこんなクリスマスもよかった。嵐のおかげで生まれて初めて娘とデートできたし(こんなハプニングでもないと絶対に不可能だった)。
3

2017/12/10 | 投稿者: pdo

文藝春秋2018年1月号にライター小松成美が『女優・のん「あまちゃん」からの4年半」という16頁の記事を書いている。

文藝春秋を買うのは10年ぶりくらいだが、早速買って読んでみた。

彼女を追いかけてきたファン達にとっては周知の事実だが、本人や関係者への取材を交えて、生い立ちから現在までの彼女の軌跡が、文藝春秋の読者層に向けて手際よくまとめられている。

小学校の担任の先生が今も大切に持っているという、のんが小学6年生の時に書いた「カサブタ」という詩が紹介されている。

小指と薬指の間にできたカサブタ

小さな小さなカサブタ

はがしてもはがしても

もどってくるカサブタ

こんなに小さいのにひつこくもどってくる

けれど

カサブタがあるということは

私は生きているしょうこ


単純な詩だが、ここにもう彼女の独特の感性の一端が露わになっている気がする。

「あの道端に落ちている石ころの形が変だ」(=カサブタが戻ってくる)という自然観察から始まって、「変なものは変って言っていいんだ」(=カサブタがあるということは私が生きているという証拠なのだ)という自己哲学に完結するという彼女の思考様式の萌芽がすでにここに見られる。

彼女の特徴は、「自分なりの論理を見つけて納得する」ところから行動する(そこからしか行動できない)というところにある。

演技についても、小松成美に対してこう語っている。

「私、『役に憑依している』と思われているようですね。でも、それは違います。天才ならそうできるかもしれませんが、私は違うんです。(中略)そうして一生懸命役に向き合って、向き合って、その役の内側に入り込んで、演技をしているんです。なので、納得できないと前へ進めないんです。演じることは自分の生き方だと思っています」

「納得しないと前へ進めない」性格は、一面から言えば「頑固」ともいえるし、集団の中では浮いてしまう厄介な面もある。良くも悪くも「職人気質」であり「アーチスト気質」ともいえる。

ただ彼女の場合、その「納得の仕方」が独特で、それが唯一無二の個性につながっている。

この点について、音楽面から、近田春夫が興味深い指摘をしている。(以下『週刊文春』「考えるヒット」より引用)

さてweb上に『へーんなのっ』のライブ映像があったので、とりあえず観始めた俺は「この女スゲー・・・。」

 思わずそう独りごちてしまった。理由はふたつだ。

 まずは「ボーカルをとりながらのロックギター演奏家」として素晴らしい、もといスゲー。いわゆる「人馬一体」のそのプレイスタイルの、なんとも様になっている半面、歌唱と楽器演奏がきちんと独立して、身体的によく整理された作業となっていることが、映像から見てとれるのである。その音色、リズム共に大変男性的な魅力に満ち溢れたものである点にも是非注目して頂きたい。これは本腰を入れてロック演奏をやってきたなというオーラが、画面から伝わってくると思うのである。

 もうひとつは、コード進行である。良し悪しはともかく、どうも我が国ではロックと称する音楽においても、その和声の動きには聴き手の気分をウェットにさせるものが多い。この曲のコードには珍しくそした「感傷に人を導く」ようなところがない。誤解されることを承知で申すならば、のんのコード感覚は「外人ぽい」のだ。

 果たしてそれが天性なのか、確信のもと論理的な模索によるものかは、一曲では判断がつかぬが、いずれにせよこの人のセンスの只者でないのは、歌詞/タイトルの表し方にも、十二分に散見は可能だ。あ、既に自分のレーベルを持ってるのもスゲーわ!


「文春」の「のん」推しがここまで露骨なのはファンにとっては頼もしいところだが、その背景には何が? という疑問はさておき、演技の仕方、言葉のチョイス、絵画のセンス、そして作曲のコード進行に至るまで、のんの感性は専門家さえ唸らせるものを持っているのは間違いないようだ。

近田春夫はそれを「外人ぽい」と表現したが、それを言い換えるなら、日本人的感性に縛られない世界的で普遍的なスケールを持っているということではないか。

私は「のん」の真価は海外で発見されるのではないかと以前から指摘してきたが(嘘)、すべての面でワールドクラスのポテンシャルを持つ彼女が、閉鎖的で陰湿で封建的で土着的でヤ○ザ的な体質を色濃く残している日本の芸能界からはみ出してしまったのは必然ではなかったかと思っている。

とにかく今の彼女に必要なのは良心的なクリエイターと協働することだ。今年は、それが十二分に実現された1年だった。目に付くところだけでも、矢野顕子、高橋幸宏、高野寛、大友良英、仲井戸麗市、岡村靖幸などなど・・・この国のトップクラスの才能と実績を持つクリエイターたちとの交流を着実に広げている。

これが音楽面だけでなく女優の世界にまで広がれば、とてつもないことになるだろう。

来年の活躍が今から楽しみで成らない。

文藝春秋の記事の中で、のんの起用に反対する勢力に対する片渕監督の怒りの声が記録されている。

「どこまで一人の若い女優をいじめれば気が済むんだ! 才能ある女優をいったいいつまで蔑ろにして放っておくつもりなんだ!」

来年は、彼女の才能に惚れ込み、くだらない常識と本気で闘ってくれる第二の片渕監督のような人がきっと出現するだろう。

のんがインタビューで語ったという次の一言を読んだときには、涙が出てきた。

「私の中にいるすずさんを、片渕監督夫妻が見つけてくれました。呉にお嫁に行ったすずさんになった2016年の夏の日を、私は生涯忘れないと思います」

クリックすると元のサイズで表示します

7

2017/12/5 | 投稿者: pdo

祝 羽生永世七冠達成

昨年の竜王戦からの流れを考えると感慨もひとしお。

今年は藤井四段の活躍もあったし、将棋は神様に守られたゲームだなと思う。

0

2017/12/4 | 投稿者: pdo

昔の記事の再掲。

ギルバート・オサリバン一世一代畢竟の名曲。

『アローン・アゲイン』の歌詞がこんな内容だと知った時は驚いたものだ。


Alone Again (naturally) / Gilbert O'Sullivan


今から少し経って
人生にとことん幻滅してしまったら
僕は決意を決めて 近くの塔を訪れ
てっぺんに登って、身投げするんだ
そうして皆にはっきりさせてやろう
体が粉々になるってのはどんなものなのか

僕は教会の中で見捨てられた存在
まわりの人たちはこんな風に言う
「まあ、可哀想に」「彼女に待ちぼうけを食わされたのね」
「私たちここに居ても仕方ないわね」「帰りましょうか」

で結局いつものように
僕はまた独りぼっち 当然のように

つい昨日まで 僕は元気で明るく陽気そのもので
未来を心待ちにしていた
僕の役目を演じたいと思わない人はいなかったろう

ところが、まるで僕を打ちのめすかのように
現実というものが姿を現して
ひと触れもせずに 僕を粉々に引き裂いてしまった

それで僕は疑ってしまう
慈愛に満ちた神が本当に存在するのなら
なぜ彼は僕が本当に必要としているときに見捨てるんだろう
僕には本当に助けが必要だったのに

また独りぼっち 当然のように

世界には、癒せないほどの心の傷を持ちながら
見捨てられたままの人がたくさんいると思うんだ
僕たちは何をすればいいんだろう
何をすればいいんだろう

何年も昔のことを振り返ると
何よりも心に浮かんでくるのは
父さんが死んだときに泣きじゃくったこと
溢れてくる涙を隠そうとも思わなかった

そして母さんは65歳で天に召された
僕には理解できなかった
彼女が愛した唯一の男性を奪われて
母さんはひどく傷ついた心を抱えながら
やり直さなきゃならなかった
僕の励ましの言葉にもかかわらず
彼女は何も語らなかった

母さんが死んだとき
僕は一日中泣きじゃくったさ

また独りぼっちなんだ、当然のように

また独りぼっちなんだ、当然のように




1




AutoPage最新お知らせ