2017/3/9 | 投稿者: pdo

菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね

セッション評でひと騒ぎ起こした菊地成孔氏がまた挑発的なレビューを書いて話題になっている。

彼の饒舌で胡散臭い文体(褒め言葉)に免疫のない人には不快な印象を与えるかもしれないが、セッションの時よりはずいぶんマイルドな批評に思える。もちろん本質は変わらない。

自分は『ラ・ラ・ランド』を見ていないので、映画についてはノーコメント。

自分が着目したのは、上の評論の中の成孔氏のコメント

ハッタリの天才。というより、ある種の現代的な解離感覚が体質化しており、現代人にフィットするのだろう。葛藤がなく、ということは解決もなく、ただ刺激があるだけである。

の部分。

この件に関して見かけたツイートの中に

アスピリン‏ @tanakamaruog 3月6日
菊地成孔氏が『粗悪ドラッグ』と否定し続けているSNSが流行し、そこから生まれた価値観に合う魅力を"持ってしまっている"映画だからこそ菊地氏は過激にチャゼル監督の作品をdisるのではないか。


というのがあった。

成孔氏が言うところの、「最初に一発強烈なカマしがあり、客がパンチドランキング効果でクラクラきているうちに、適当で稚拙な脚本/物語が進み、エンディングに、取ってつけたような乱暴などんでん返しがあるだけの、粗悪ドラッグ」という作品表現を「SNS的」というのだとすれば、それは「ポスト真実」と呼ばれる今の時流とも一致している(そして相互干渉してエスカレートしている)のかもしれない(繰り返すが『ラ・ラ・ランド』がそういう映画かどうかは見ていないので分からない)。

SNSを一種の精神的ドラッグとして規制すべきかという問題は少し真剣に考えるべきことのようにも思えるが、ひとまず備忘録的に記録しておく。

以下は成孔氏が雑誌に書いた『ラ・ラ・ランド』レビューより。この感想は、映画のみならず広くさまざまなジャンルの作品に共通して言えることのような気がする。

 で、ラストにこの監督のちょっとした鬱性がある。現代人はインターネットでつながっていて、ある意味みんな同じ心性がある。ハリウッドらしいハッピーエンディングなんて信じられないし、空々しい。暗く終わらせないとリアルじゃないと信じている。別に暗くなることはリアルではないのに、そう思いたがる病的な反射がある。この映画も曖昧な暗さで締めくくられています。

 せっかくのサプライズパーティが台なしになるシーンはとにかくうまいが、映画全体がこのシーンに象徴されている気もする。もはやこの映画がマーケットに適合しているのは歴然。夢いっぱいで始まったけど台なしになる。そんな流れに対する共感性がいま、非常に強いのかなと思います。どん底から這い上がるとか、世の中捨てたもんじゃないよという感覚がまったくないのが現代なのかもしれません。

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