2017/1/11 | 投稿者: pdo

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「ウゼエんだよ、やりてえと思ってる事、他人からやれって言われんの、すげえウゼエんだよ」


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「これがブクロスタイルらしいよ?」


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「アタシに賭けなかったヤツ、パン買って来い!」


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「アタシの事、タチの悪い女だと思ってるかも知んないけどさ、君もさ、ガキの癖に相当たち悪いよ」


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「キレなさいよ....何してんの?早くキレなさいよ」



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「いい?ここじゃいい学校出てても、金があってもコネがあっても何の役にもたたないの。いい?」


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「いっちょめいっちょめワーオ」

※以上の出典はいずれもTVドラマ『池袋ウエストゲートパーク』より


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「大人たちに支配されるな」


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「テメーのルールで生きろ」
1

2017/1/11 | 投稿者: pdo

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きみの実体とはなにか きみはなんでできているのか

無数の不思議な影がきみにつき従っている

人間は誰もそれぞれ一つの影しかもっていないのに

きみはただ一人で あらゆるものの影を地に宿す

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美少年アドーニスを描いても

その絵は きみを下手に描いた模写にすぎない

美女ヘレンの頬に美の技巧のかぎりをつくしても

ギリシャの衣装をまとったきみがあたらしく描かれるだけだ

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一年の春 それから秋の豊饒について語っても

春は きみの美の影を宿し

秋は きみの恵み深さとして現れるにすぎない

私たちが知るあらゆる形の中にきみは現れる


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きみは 外面のあらゆる優雅さとなにかを分かち合う

だが 変わらぬ心はきみだけのもの 誰とも違う

シェイクスピア ソネット第53番


What is your substance, whereof are you made,

That millions of strange shadows on you tend?

Since every one, hath every one, one shade,

And you but one, can every shadow lend:

Describe Adonis and the counterfeit,

Is poorly imitated after you,

On Helen's cheek all art of beauty set,

And you in Grecian tires are painted new:

Speak of the spring, and foison of the year,

The one doth shadow of your beauty show,

The other as your bounty doth appear,

And you in every blessed shape we know.

  In all external grace you have some part,

  But you like none, none you for constant heart.


The Sonnets 53


2

2017/1/10 | 投稿者: pdo

キネマ旬報日本映画ベストテンで第1位に『この世界の片隅に』が選出というニュース。この映画の評価はとどまるところを知らない。あとは海外の賞しかなくなってきた。

この映画は観た後に容易く言語化できるような作品ではない。「泣ける」とか「鳥肌立った」とか「心が震えた」とかいう感想で済ませられるものでもない。過去の古典的傑作映画と同じで、ただ作品を「体験」し味わうことができるだけだ。

たとえば僕は映画の冒頭1分も経たぬうちから涙がこみあげてきて映画が終わるまで嗚咽を上げて泣き崩れるのを必死で我慢しなければならなかったのだが、それは物語を理解したからでもアニメーションの素晴らしさに感動したからでもない。ただこの作品に宿っている<何か>が自分の心の(敢えて「魂の」と呼びたい気もするが)琴線に触れてしまったからで、同様の現象は、宮沢賢治の或る作品を読んだときにも起こるし、ベートーベンの第九交響曲を聴いたときにも起こる。この映画にはそれらの芸術作品と共通するものが在った。

『この映画の片隅に』という映画は、自分の魂に触れさせてくれたわけで、これはやはり主人公のすずの声優として能年玲奈(のん)が主演していたことが大きい。彼女の声からは奇跡のように純粋なものが伝わってきて、多くの聴衆は「のんの声がすずにハマっていた」というが、単にそんな言い方で済ませられないレベルの化学反応が映画館という場で起こっていた。

「のん」がこの作品に取り組むまでまったく演技の仕事をさせてもらえないブランク期間が2年近く続いた。彼女が耐え忍んできたこの苦難を、戦時下のすずの苦難に無意識のうちに重ね合わせたというと不謹慎の誹りを免れないだろう。しかし、「すず」というキャラクターと「のん」の中にある特質は確かに共鳴しており、それが必然的に聴衆(特に自分)の中に尋常でない感動を呼び起こしたのである。

この映画の持つ豊饒さと「すず」の表層的ではない奥行きのあるキャラクターが、「のん」自身の多面的な存在感とうまく呼応していた。僕はこの映画を見て、のん(能年玲奈)が特別な存在であり、時代に選ばれた女優であることを改めて確信せざるを得なかった。というより、そう感じない人がいなかったとしたらどうかしている。それほど能年玲奈(のん)の天賦の才能は明らかだ。ライバルは同世代の若手女優ではない。「のん」は最初から単なるアイドル女優のカテゴリーには属していない。彼女のライバルがいるとするなら、原節子や高峰秀子のような日本映画の歴史を作った大女優たちだ。僕は本気でこう書いているのだが、狂人の叫びように聞こえることは承知している。それでも後になって皆が認めるようになってから「実は俺もそう思っていた」などと告白して赤っ恥をかくのは嫌だから今こう書いておくことにする。

6

2017/1/9 | 投稿者: pdo

渥美清が舞台で活躍していた浅草時代のことを振り返りながらこんなことを云っていた。

「お客は両手を舞台に向かって差し出しているんですよ、役者はその手をギュッと握ればよい、お互いのはだのぬくもりがそうやって通い合えばあとはもう、何をやってもいいんです。その握手が実は難しいんですけどね」

城戸さんはこの章の中で本当に観客を感動させる映画を例えて、

「いわばスクリーンの中から手を出して、大衆をスクリーンの中にひきずりこむような」

と表現している。なんと素晴らしい言葉だろうか。浅草の芝居小屋の中で鍛えぬいた渥美清氏の言葉と、蒲田撮影所長としての若き日から日本映画の頂点を歩み続けた城戸さんの言葉の、なんと奇しき一致だろうか。スクリーンの中から手を出して、という実に分かりやすい表現に、城戸さんが映画について語らんとするすべてがあると云って過言ではないだろう。」

(山田洋次『城戸四郎 わが映画論』「現代シナリオ論」より)






映画レビューサイトの感想より

「のん」、良かったです。おそらく、彼女が今、直面している苦難は、映画の主人公の悲劇に比べれば、小さなものなのでしょう。しかし、大切なものを奪われた主人公と、「名前」を奪われたのんは、私の中でオーバーラップします。この映画、彼女にとっては、一生の思い出となるでしょう。映画のエンドロールは、戦争で破壊されたあの家族の再生と希望の物語となっていました。のんは、非常に才能があります。私は、のんが今の苦難を乗り越え、再び、芸能界で活躍することを、心から願っています。

しかし声優のんには驚かされた…紛れもなくすずそのものだった。作中でも「ぼうっとしている」と自称しているすずに見事にのんが重なったような。でもぼうっとしてないシーンもすごい上手かったな…お見それしました。

観た人みんなが声優としての「のん」(能年玲奈)をべた褒めしてるけど、この作品のまさに大黒柱のすずさん役をこれだけやりきったらそりゃ絶賛されるよね、セリフも語りも良い演技だった。
 そしてすずさんが本当に可愛いくて、面白くて、力強い。そこに生命力を感じてまた惹かれる。
そしてこの世界の片隅にの凄いところは、1週間たっても、未だに心に残り続けて、何がこんなに人の琴線に触れるんだろうと考え続けてしまうこと。こんなにずっと考えさせる作品ははじめて。

のんさんの声の演技は、素晴らしい。
辛くも明るく振る舞うニュアンスが絶妙で、
命が宿っていた。
とてつもない女優力を感じた。

正直私は事務所のゴタゴタが始まってからの能年さんの印象はあまり良くはありませんでしたが、そういったことは一切抜きにしてのんさんの女優・声優としての演技は素晴らしいものがあります。先程も述べましたが日本人の俳優はおしなべて過剰な演技やテンプレート化した演技が多く、金太郎飴のような演技が多く見られます。しかしのんさんは最初から主人公の「すず」そのものとなって登場しました。一言目から「昭和に居たすずという可愛らしい女性が喋っている」ことのハマり方が尋常ではないのです。これはキャスティングもそうですがのんさん自身が他の俳優、声優さんでは真似出来ないような「本当にその人物になり切る」能力がずば抜けているのだと思います。過剰な演技ではなく自然体として感じられる「すず」そのものがいきなり完成されているのです。私は声優さんも好きなので正直、俳優さんが声優をやることに肯定的では無いですがのんさんのずば抜けた「その人そのものになる」演技を見ると声優、俳優というい垣根を超えて演者としての圧倒的なのんさんの演技力を感じてしまうのです。

でもとにかくすずが…とても良くて、戦争の話じゃなかったとしても、このすずを中心にしたストーリー展開ならどんな話でもみてみたいしそう思わせてくれる。
そんなすずの声優をやった、のん。この人も才能の塊だよ…「あまちゃん」のアキ、「海月姫」の月海、「この世界の片隅に」のすず、すべて能年ちゃんじゃないとしっくりこない難しい役どころ。他の人でも脚本自体が面白いからきっと名作にはなるのだろうけど、この人だから何倍も良くなってるし人を納得させる能力があるんだろうなーと、あほな私でもぼんやりそんなこと思った。

皆さんレビューされている通り、能年玲奈はすごかった。声優としての彼女は天才だと思います。あの演技力は努力だけで到達できる領域になく、天性のものでありまさに「すず」そのものでした。のんに合わせて映画作ったのか?と思うほど。テレビ業界の裏事情は知りませんが、彼女は必ず再ブレイクする逸材であることはこの映画だけでも明白ですので早く抜け駆けした方が懸命かと。

のんが素晴らしい。女優のんにとって、声優での表現は難関であったようだが、すずさんという人物像に迫るアプローチを極め、すずさんを「演じる」のではなく、すずさんを「生きる」というレベルまで達している。その結果、その声は作ったアニメ声でなく、確かに「のん」の声なのだが、同時にこれが「すずさん」の声だと皆が思うのである。少女から人妻となり、戦争を経て大人の女性になるところまできっちり「すずさん」になってるのだ。監督がリアリティを求め続けた中で、これだけの再現をしたのんの演技は、映画に不可欠なものだったと断言できる。
4

2017/1/8 | 投稿者: pdo

役者は繰り返して戯曲(台本)を読み、戯曲の中へ入ってゆかねばなりません、そして、本来自分のものでない行動や、生命や、運命や、世界を、完全に自分のものにして、戯曲から出てゆかねばなりません。それらのすべてを、自分の内部へ吸収して、自分の肉体と心情との内に染み通らせて、戯曲の向こう側へ、現実の対岸へ、演劇的現実の方へ出てゆかねばなりません。そして、あたかも元の書かれた戯曲が存在しなかったかのように、自由に感じ、行動し、生きて見せなければならないのです。

いわば役者は、そこに書かれてある言葉を、もっとも生き生きと、正しく語り得る身体と心の状態をつくりあげるために戯曲を読むのです。(芥川比呂志「戯曲を読む」より)



学校帰りのアキとユイがホームのベンチに座って、お互いの家族のことを話している。そこでアキは「なんでそんなに東京にこだわるの?」とユイに聞く。とんでもない答えが返ってくるとも知らず。

「ここは、大事なシーンですね。…難しいシーンでしたが、ここで能年さんは天才だなって思いました。最初にユイが『東京に行って、アイドルになるの』と言ったあと、『何言ってんだ、この子は。…ばかなのか。…とりあえずアキは、聞こえないフリを装いました』というナレーションが入ります。そのとき思わずユイから顔を逸らしてしまう能年さんの顔は秀逸です。憧れていた顔から急激な疑問顔。このマンガチックな表現がはまるのがコメティエンヌの才能です。あからさまなだけに“寒く”なりがちなのに、彼女は何の演出もしていないのにやってのけました。ヒロインが彼女でよかったって感じた瞬間でした」(演出家・吉田照幸 『NHKあまちゃんメモリアルブック』より。以下同じ)


純喫茶アイドルで、アキがアルバイトをしていると、そこに営業まわりをしていた水口が入ってくる。その表情から、仕事が取れなかったのは一目瞭然だ。

「すごく細かいアキの一瞬の表情に、僕は注目してほしいと思います。水口が入ってきて、入口近くにいるアキの前を通ってカウンター席に座って、缶コーヒーを開ける。注目シーンは、水口がアキの前を通り過ぎた瞬間のアキの表情としぐさです。落ち込んだ表情をしている水口に声をかけることも出来ず、自分の髪の毛をちょっとだけ直します。その一瞬で、仕事が取れなかったんだというガッカリした感情と、仕事が取れないのは自分が評価されていないからで申し訳ないという感情を同時に表現しています。とても地味なシーンですが、またしても能年さんの才能に驚かされました」(演出家・吉田照幸)


NHK訓覇圭チーフプロデューサー制作のことば

「そして、もうひとつ特別なこと。それが能年玲奈さんという女優さんとの出会いです。

このドラマの大事なコンセプトの一つが、『成長しないヒロイン』です。ヒロインは変わらなくても周囲が変わっていく、というテーマは能年さんの肉体があって初めて具体になりました。能年さん自身は、撮影を経てとても成長しているんだけど、彼女のよさはいつまでも変わらない、という感じです。

能年さんは、私たちスタッフから共演する俳優さんたちまで全員に、『ずっと見ていたい』と思わせる魅力を持った人です。まさに周囲を照らす、太陽みたいな子――本当にアキそのものなんです。」



『この世界の片隅に』ヤフー映画ユーザーレビューより

私は有名俳優が声優を演じるのが大嫌いです。顔が思い浮かんで感情移入しにくくなるし、声だけだと化けの皮がはがれて実は下手だというのがはっきり分かってしまうケースが多くいらいらして集中できません。

その点、のんは凄かったです。この人の透明感のある声は実に自然でアニメの世界に溶け込んでいました。

あまちゃんでは圧倒的な可愛らしさで大ブレイクしましたが、声だけでもこれだけの演技力があるんだという事に感動すら覚えました。この女優を干している芸能界は愚かさを恥じるべきです。
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