2016/11/15 | 投稿者: pdo

いかに私たちは死を恐れることか。私たちが恐れているのは生きることです。私たちは真の生き方を知りません。私たちが知っているのは悲しみであり、そして死は最後の悲しみなのです。

私たちは<生>を死と生に分けます。すると、分離と孤独と孤立とともに、いやおうなしに死の苦悶が起こるのです。

生と死は一つの運動であって、孤立した状態ではありません。生きることは死ぬことであり、あらゆるものに対して死に、毎日生まれ変わることなのです。これは理論的な陳述ではなく、実際に生きられ、経験されるべきことです。

(「若い女性への手紙」J・クリシュナムルティ)


人は死ぬとき何を見るのだろうか。死とは解放なのか? 永遠の無に還ることだろうか?

自分は、永遠の闇を信じるよりは、ドストエフスキーが描いたような「キリストのヨルカに召されし少年」の物語を信じたい。死とはこの世という地獄からの救済であり人生という苦痛からの解放であると。



パルチュリ、スコット、それに私はいつものとおりそこにおり、Kもいつものように他の人のことばかり気遣っていた。彼は私に強く言った。「ベッドに行きなさい。おやすみ。ベッドに行きなさい。眠りなさい」(彼はこれを数回繰り返した)。私はそうしますと言ったが、そばを離れたくなかった。彼は眠りに落ち、私が彼の左側に座るために身を動かし、彼の手を握ったとき彼は何の反応も示さなかった。彼のベッドの上半分は、そうされると居心地がよかったので上にもちあげられていた。そして彼の眼は半ば見開かれていた。われわれは彼と一緒に座っていた。スコットは右に、私は左にいて、博士は静かに見守りながら部屋を行き来しており、看護師のパトリック・リンヴィルは次の部屋にいた。クリシュナジの眠りはゆっくりと深くなり、昏睡に入って呼吸も途絶えて行った。ドイッシュ博士は11時頃、突然、音も立てずに入ってきた。その夜のいっとき、回復してもらいたいというわれわれの必死の望みは、彼を苦しみから最終的に解放してあげたいという望みに変わらなくてはならなかった。ドイッシュ博士とスコットと私は、真夜中を十分すぎてクリシュナジの心臓が鼓動を止めた時、そこに居合わせた。

メアリー、パルチュリ博士、それにスコットは彼の体を洗い、マーク・リーが用意した新しいカーディ絹の中にすっぽりと彼を包んだ。そして病院から帰った時に居間に運び込まれていた彼自身のベッドの上に彼を横たえ、彼がたびたび使用していたウールの覆いで身体を包んだ。数名の人たちだけが彼に会いに来た。アシットは彼の足もとに白い椿の花を置いた。

葬儀屋が来ることになっていた午前8時までの数時間は、あの顔、かぎりない美を見ながら、クリシュナジの近くに静かに座るという祝福された時間であった。時間がなくなってきたとき、私は彼の足、元のままのように柔軟な、子どものような彼の足を抱えた。ちょうど8時前にスコットが入ってきたとき、彼の顔を知らない人が来るので覆いましょうと私は言った。

メアリー、リリフェルト夫妻、アシット、マーク・リー、マヘシュ、パルチュリ博士、それにスコットが、ベンチュラで火葬に立ち会った。メアリーは彼とともにかまどまで行き、彼と最後までともにいたいという彼女の約束を忠実に果たした。

(メアリー・ジンバリストの手記より)



けふのうちに

とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

うすあかくいっさう陰惨いんさんな雲から

みぞれはびちょびちょふってくる

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

青い蓴菜じゅんさいのもやうのついた

これらふたつのかけた陶椀たうわんに

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがったてっぽうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

蒼鉛さうえんいろの暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになって

わたくしをいっしゃうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまっすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

…ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまってゐる

わたくしはそのうへにあぶなくたち

雪と水とのまっしろな二相系にさうけいをたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていかう

わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ

みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

あああのとざされた病室の

くらいびゃうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまっしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが天上のアイスクリームになって

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ




そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう
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