2016/11/9 | 投稿者: pdo

疲れてしまったんだよ でも、あなたにではない
あなたの気配を感じる前からさ

どう思う? 僕たちは会ったりしたかな
あなたは僕をつかまえた気でいたけれど

ああ十一月はなんて虚しいんだろう 
あなたの中に見たかった、愛ってものを

愛なしでは人生なんて無駄というもの
でも欲しがったのはあなたのほう

言ってみればさ、ジャワ・ダンスの間は愛し合っていたさ
その曲の間だけは

(La Javanaise/Serge Gainsbourg)



埋もれさせるには惜しい原稿を著者の了解なしにアップします(著者ともう数十年会っておらず連絡が取れないので)。とある秘教サークルでメンバーに配布された資料より。著者から不同意の意が示されたら削除します。


音楽家としてのゲーンズブルを考えてみようかな

1990年5月22日

ジョン卍ろう

私にとってセルジュ・ゲーンズブルが欠かせない存在になってからまだ半年にもならず、彼に対する位置づけが確立しないうちに彼の死を知ってまた動揺し、ようやく何とか安定してきたというとこでしょうか。といっても「これでゲーンズブルを極めた」と豪語するにはまだ遠く、映画俳優としてのゲーンズブル、著作家としてのゲーンズブル、そして私生活におけるゲーンズブル(スキャンダラスな断片の寄せ集めを越えた意味での)についてはまだ未知の部分が多いのですが、とりあえず入手可能な音源は全部聴いたし、純粋に音楽面だけを取り出してあれこれ論じてみることはできるんじゃないかと思ったわけです。

彼は30数年にわたる音楽活動の中で様々なスタイルを取り入れ、それがすべて成功したとは決して言いませんが、その変幻自在ぶりが彼を“巨匠の殿堂”に葬られることなく常に同時代人として存在し続けることを可能にしたといえるでしょう。

その変化ぶりはマイルス・デイヴィスと比べることもできるかもしれませんが、マイルスが神秘的な雰囲気を持つ“帝王”の座から自ら降りて俗人としての姿をさらけ出していったのに対し、ゲーンズブルは始めから俗世の中をさまよい続けながら自らの高尚さを維持していったことが大きな違いであったといえるでしょう。

晩年の彼は相当自分の娘に入れ込んでいたようですが、これも“俗人性”と“高尚な精神としての狂気”の二面を備え持っていた彼らしい生き方であったのではないでしょうか。

まあ話を音楽に戻しましょう。現在手に入る音源は1958年から80年までの全曲を収めたCD9枚組(9枚セットとバラ売りがあるが最近バラ売りは見かけない。9枚セットは池袋WAVEにまだあると思うが私は渋谷HMVにバラが全部揃っていた頃に全部揃えた。今はもう1枚もない。渋谷FRISCOにバラがまだ少しある)、80年まだレゲエにどっぷりつかっていた時のライヴ En Concert Theatre le Palace 80、そして Love On The Beat、Live in Paris、You’re under Arrest、Zenith Live、ということになるでしょうか。

他に彼が関わったものとしてはカトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・バーキン、シャルロット・ゲーンズブルの作品等がありますが、そこまで手をまわすのは今回はやめておきましょう。

今回の特集は上記の9枚組が中心となっているのですが、このCD集のいいところはほぼ時代順(ただし第9巻は彼の作曲した映画音楽集なので除外)に並んでいること、そして1枚1枚の区切りが作品傾向の区切りとほぼ一致している点でしょうか。できればアルバム収録曲ならばその点の記述が欲しかったんですが、まあしょうがないか。

それでは彼の軌跡を作品傾向によって時期区分をして紹介してみましょう。

1)“期待の若手シャンソン歌手”期(1958〜1965)

彼が歌手デビューしたのは1958年、30歳のときで、それ以前にも伴奏や作曲などはしていたようだが、これをデビューと見て間違いないだろう。聴いて驚くのは例の“歌っているのかつぶやいているのかわからない唱法”以前は彼は人並みに「ろうろうと」歌っているということである。
そして作曲も後の曲に比べればはるかにシャンソン的で、結構難しいコード進行の曲もあるんだな、ということである。

当時の彼はボリス・ヴィアンの信奉者で、ヴィアンの唱法を相当真似たそうだ。「リラの門の切符切りLe poinçonneur des lilas」はボリン・ヴィアンのショーに招かれて初めて歌った曲で、歌手としては勿論、作曲家としての彼の才能も十分感じさせる。60年代になるとジャズやラテンリズムを取り入れた曲を録音し、単なるシャンソン歌手とは違う一面も見せているが、やはり特筆すべきはジュリエット・グレコのために書いた「ラ・ジャヴァネーズ」が大ヒットしたことだろうか。

2)フレンチ・ポップス〜ソフト・ロック〜アート・ロック期(1966〜1975)

60年代後半より、エレクトリック・ギター、エレクトリック・ベース、キーボード、ドラムス(&オーケストレーションetc)の演奏をバックに歌い始めるようになる。この頃の彼は作曲家、アレンジャーとしてはピークにあったと言ってもよく、メロディーはよく練られているし、アレンジもそれぞれ工夫されているので、どの曲をとってもとても印象深い。

60年代後半はブリジッド・バルドーといい関係だったので、しょっちゅう彼女をコーラスに入れた曲を録音し、破たんした後にも「イニシアルズB・B」というバルドー賛歌をつくったりするしぶとさを見せている。「ジュテーム…モア・ノ・プリュ」は最初バルドーと録音したが、バルドーの反対でオクラ入りとなり、彼は1969年に、ジェーン・バーキンと録音した曲を発表し大きな話題を呼んだ。

1971年には“The History of Melody Nelson”というアート・ロック風のコンセプトアルバムを制作。この作品は私は面白いと思う。以降は「手切れJe suis venu te dire que je m'en vais」のようなフォーク・ロック風の曲や「Titicaca」のようなサザン・ロック調の曲、さらには「Nazi Rock」のようなR&B調の3コード曲などアメリカンな曲が続く。1975年にアメリカのど田舎を舞台にした映画「ジュテーム…モア・ノ・プリュ」という映画をつくった理由もこの文脈の中では何となく納得する。

3)何だかよく分からない期&レゲエ期(1976〜1980)

1976年に再びコンセプト・アルバム L’homme a Tete de Cho を制作する。これは Marilouというセックス・シンボルをめぐっての物語のようだが、音楽的に面白い曲と面白くない曲とにはっきり分かれていて全体としてはどうも印象が薄い。

その後はカリビアン・リズムあり、 Sea Sex & Sun のようなディスコ・サウンドありでよく分からないが、78年以降はレゲエ路線を突っ走りはじめる。それ以前にも Good-bye Emmanuel のようにレゲエ・リズムを取り込んだ曲はあるのだが、ここまで「どレゲエ」をやられるとさすがにヘキエキしてしまう。

ただし80年のライヴでやった Bonnie & Clyde はいい。原曲の匂いをまったく感じさせないこのレゲエ・ヴァージョンは痛快である。ちなみにAux armes et caetera(祖国の子供たちへ)はフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の歌詞をレゲエにのせて歌ったものだそうで、その辺が彼らしいといえば彼らしい。

4)晩年

1983年アルバム Love on the Beat を発表する。このアルバムは化粧したジャケット写真で話題を呼んだが、すっかりモダン化したサウンドはちょっと私の耳にとってはつらいものがあった。ただしフランスではバカ売れしたようだ。

次いで Live in Paris を発表。メンバーはLove on the Beat と同様にアメリカ人セッション・ミュージシャンで占められ(この編成は最後まであまり変わらない)、昔の曲を結構やっているもののモダンなアレンジになっているのが少しさみしい。1985年のアルバム You’re Under Arrest もほぼ同じ路線。このアルバムの最後にシャンソンの古典 Mon Legionnaire をモダン・アレンジでやっているがあまり感心しなかった。88年には Zenith Live を発表。これが彼の最後のアルバムとなった。80年代の作品はあまり好きなものはないが、あくまで“現代”に生きようとした姿は充分評価できるだろう。

まあざっと思ったままに書いてみたのですが、何せ資料が少ないので、でたらめなことを書いていたら謝ります。日本ではゲーンズブルの名前を知っている人は多いのに彼の音楽を知っている人は案外少ないのでもし興味を持たれたらまとめて聴いてみてはいかがでしょうか。

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