2016/11/30 | 投稿者: pdo

「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」(アンドレ・ジッド)

もうこの2週間は必要時以外は『この世界の片隅に』とのん(能年玲奈)のことを考えることしかしていない気がするがそれでもいいような気がしている。

冒頭のジッドの言葉はこうの史代先生の座右の銘とか。いい言葉だ。

しつこく、のん(能年玲奈)について書く。

以前、映画「ホットロード」について書いたとき(もう2年以上前になるのか…)、僕はこう書いた。

自分は、『ホットロード』を見れば、能年玲奈という女優のポテンシャルが把握できる、或いは少し嫌な言い方をすれば「底が見える」のではないかと思っていた。

しかし、『ホットロード』を見た後に、今自分が能年玲奈に対して感じるのは、一層の「得体の知れなさ」とか「底知れなさ」という感覚だ。


これと同じ言葉をもう一度繰り返したい。

僕には、まだ能年玲奈という女優のポテンシャルの上限が見えない。

「あまちゃん」の天野アキ、「この世界の片隅に」の北條すずという、並みの女優が一生に一度巡り合えば大幸運のような「ハマリ役」に、若干23歳にして2度も巡り合うという快挙を成し遂げたにもかかわらず、彼女にはまだこれ以上の可能性があるような気がしている。

一つ言えるのは、彼女が演じる作品の質が高ければ高いほど、演じる役柄に奥行きがあればあるほど、その分だけ彼女の巨大な潜在能力が引き出されるということだ。

僕は能年玲奈の20歳という大切な時期を奪った前事務所を許すつもりは一切ないが、どんな事務所でも持て余す規格外の女優かもしれないなとは思う。たとえば普通の事務所なら「のんちゃんねる」の配信は止めると思う。

でも、彼女は固い意志をもって「のんちゃんねる」を続けるし、「ワルイちゃん」を商品化する。そこに一切の妥協はない。幼い日々の純粋で穢れない心と羽の生えた想像力の翼を失った大人たちには手が届かず把握もできない世界を彼女は確かに持っていて、それを大切にしている。

「あまちゃん」や「ホットロード」や「この世界の片隅に」で見せた彼女の側面はほんの見せかけに過ぎず、案外一番彼女の内面世界に近いのは「海月姫」だったんじゃないかという気がする。

ビートルズで喩えれば、天野アキやすずは万人受けする「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」みたいなもので(もちろんそれはそれで素晴らしいのだが)、まだまだ「サージェント・ぺパー」や「ヘルタースケルター」や「レボリューションナンバーナイン」みたいなものが彼女の中にはあるような気がする。

舞台や映画で、これからはそんな能年玲奈(のん)が見れるのを楽しみにしている。

とはいえ、何はともあれ、今はこの『この世界の片隅に』という名作をとことん味わうことに集中したい。
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2016/11/28 | 投稿者: pdo

能年玲奈(のん)がすずの声優じゃなかったら『この世界の片隅に』という映画を観に行かなかったかもしれない。そうするとこんな映画体験をし損なったのかと思うとぞっとする。でものんが声優じゃなかったらここまでの凄い映画になっていなかったかもしれない(ほぼ全編すずの台詞とモノローグで構成されているから)。それに、そもそものんが事務所トラブルで干されることがなければこの声優の役をやることもなかっただろう。そう考えると不思議な縁だなあと思う。

これほど口コミとネット効果で動員がすごいことになっているのに、民放テレビがまるで無視しているというのも面白い。「大人の事情」だか何だか知らないが、テレビというメディアが現状いかに腐り切っているかがよく分かる話だ。

そんな中でなぜか「週刊大衆」の公式ツイートが「コノセカ」とのん情報をツイートしまくってるのが笑える(笑)。

NHKもフェイスブックのページで「クドカン大河ドラマの主役は誰がいいですか?」というアンケートをやっていて、ちゃっかりのん(能年玲奈)が選択肢に入っている(笑)
もちろん圧倒的に彼女を推す声が大きい。

総務省のアカウントが映画の上映情報をリツイートしたり、国会では議員連盟が映画の上映会を企画したり、毎日新聞の取締役が読売新聞の記事を引用してのんを褒めたり、雑誌ではのんのグラビアが出たり写真集も出たりと、もはや民放テレビ以外のメディアは完全に「のん推し」シフトに移行している。とてもよいことである。


ネット上や紙媒体やラジオその他いろんなところで断片的に知った『コノセカ』にまつわる「ちょっといい話」を備忘録としてまとめておく。(随時更新)


・片渕須直監督は、初めてこうの史代先生の作品を読んだとき、自分が存在を知らなかった親戚に、ある日突然出くわしてしまったような感じがした

・こうの史代先生は「名犬ラッシー」が大好きだったので、片渕監督からアニメ化したいという手紙をもらったとき嬉しくて手紙を枕の下に敷いて寝た

・監督がのんを初めて見たのは『鍵のかかった部屋』(2012年)というTVドラマが最初だった

・その後『あまちゃん』(2013年)の第1話で主人公の天野アキを演じてるのを観たとき「あー、あの人か」とびっくりした

・のんが「天野アキちゃんは変な子です」と発言しているのを見て、単にハマり役だっただけでなく、のんという子は、確固とした彼女自身があったうえで、役作りとして実年齢より上の秘書や下の高校生を作りあげてるんだなと分かった

・監督はのんからの声優を引き受けますという返事の手紙を大切に保管している

・のんから監督に来た手紙(メール?)に「命を懸けてやります」と書いてあった

・監督はのんに初めて会ったとき「やっと会えた」と思った

・のんは初めてのリハーサルの時ガチガチで本人が「殺されるんじゃないか」と思うくらいに緊張していた

・監督がのんの緊張を解くために「北三陸から来た、天野アキです!」というセリフを振りを付けてやらせた

・アフレコは長時間ぶっ続けで食事なしでやったためにのんのお腹が鳴ってマイクが拾ってしまった

・監督曰く、のんはキスシーンがすごく苦手で、内面が乙女というか小学生女子のようだった

・のんは自分には「生活の才能がない」と思っていたが、この映画の仕事をきっかけに食事や洗濯など生活を楽しめるようになった

・のんは「監督は生活の才能がない」と言って、食事もとらずに仕事している監督に「焼きそばパン」を差し入れした

・のんは原作の最後にある「・・からの手紙」を自分が読むつもりでやる気満々で練習してきた
(実際はコトリンゴの挿入歌の歌詞になった)

・こうの史代先生はPVでのんのすずの声を初めて聴いたとき、自分の作品がふわっと地面から浮いたような気分になり、自分が表現した以上の世界に連れて行ってもらえるんじゃないかと思った

・のん曰く「すずと自分の共通点は、ぼーっとしていると言われるところと気が強いところ。違うところは結婚できてるところ!」

・監督は自分は世界で一番すずのことが好きだと思っている

・監督曰く「すずさんは今91歳で、今も広島カープを応援してますよ」

・監督曰く「『ローマの休日』がワイラーの映画だと思う人は世の中にどれくらいいるだろうか。でも、『ローマの休日』はオードリー・ヘプバーンの映画だ、みんな知っている。映画ってそういうものなんだ。『この世界の片隅に』は のん の映画であってよい。そうあるときこの映画は幸せを手に入れたことになる。」


この作品が世に出た背景に、ひとりのプロデューサーによる、挑戦と革新的な試みがあった。アニメ企画プロデュース会社GENCOの社長であり、同作品のプロデューサーを務めた真木太郎氏に、この映画の成り立ちについて語ってもらおう。

「2013年の1月ごろ、MAPPAの丸山さんから “こういう状況だから参加してほしい”と請われ、そのとき初めて片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』をDVDで見たんですよ。それで、ものすごくびっくりした。泣かされた。それも尋常じゃないぐらい。監督に会いたいと思い、同時に“これは引き受けなきゃいけない。これを引き受けずに、何がプロデューサーだ。作家を世に出すのがプロデューサーの役目だ”と。苦労を背負い込むことになるけれど、会社としてもそういうことをやらないといけない時期。“片渕を男にしないのならば、プロデューサーの風上にも置けない”とさえ思いました」(真木氏)

片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』は、2009年11月21日から松竹配給で全国38スクリーンにて公開されるも、興行収入は2873万8500円と惨憺たる結果。作品評価こそ高かったものの、商品としては失敗。ファーストラン終了後、一部のミニシアターや名画座でセカンドランが行われたり、上映会が開催されたりしたが、現在までの累計興収は4805万4600円にすぎない。

クラウドファンディングで話題を作り、同時に出資企業を募り製作委員会を組成するという、真木のもくろみは徐々に現実化して行った。まず出資を申し出たのが、都内を中心に映画興行・配給・製作のほか、飲食店経営なども手掛ける老舗企業・東京テアトルだ。

「クラウドファンディングの反応がとてもよく、それで“配給をやります”と、東京テアトルが手を挙げてくれた。それから渋谷のミニシアター・ユーロスペースの堀越社長と北條支配人が来社され、“この映画を上映したい”と言ってくれました。テアトルとユーロスペース。なんて非常識な人たちだろう(笑)。でも、涙が出ました……」(真木氏)

「ネット上、特にSNSでこの映画が絶賛されていることについては、クラウドファンディングからスタートした市民運動ととらえています。これも世の中の“常識”に対するベクトルだと思います(笑)。SNSで上がっている声は、宣伝ではなく応援。応援団っているんだなあ。多くのお客様にご覧いただいています。いずれも好評をいただいています。大変ありがたいことです」(真木氏)

兵器などの製造に駆り出された、女学生たち。
原作には登場しないが、当時を知る市民から、「駅前をよく歩いていた」と聞き、シーンに入れた。そこには、こんな思いが込められていた。

片渕監督曰く、「女学生たちが、かなりたくさん、防空壕で生き埋めになってしまったらしいんですよね。それを助けに行った、当時中学生だった男性の話とかうかがって、とにかく掘って、人工呼吸するんだけど、かわいそうだったって話とか。なんとか、その女学生たちの姿を、画面に残したいなと思って、駅前にそうやって歩かせたりとか。1人ひとり、人生があって、そこを生きていた方々ってことですよね」

舞台挨拶の監督「すずさんは生活苦を苦と思わずあたり前だと思ってたが終戦で『我慢していた』ことに気づいてしまった。すずさんは今91歳。きっと『我慢しない』で日々楽しく暮らしている。」

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2016/11/27 | 投稿者: pdo

今日も『この世界の片隅に』を観に行こうかと思ったのだけど、近場の映画館が全部満席ぽくて、体調もいまいちなので断念。改めて後日行こう。

今年は、デビッド・ボウイが亡くなったり、プリンスが亡くなったり、モハメド・アリが亡くなったり、フィデル・カストロが亡くなったり、身近な人や大切な人が亡くなったりする年だったけれど、『この世界の片隅に』と能年玲奈(のん)の復活が見れて救われた。

この世にはプリンスがいなくてもまだ能年玲奈(のん)がいる。この人と同時代を生きていられることにしみじみと感謝したい。

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2016/11/26 | 投稿者: pdo

※キモいので能年玲奈(のん)のファン以外の人は読まないでください


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2016/11/25 | 投稿者: pdo



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「ユリイカ こうの史代特集号」と映画「この世界の片隅に」パンフレット購入。

読めば読むほど、この原作とアニメ作品の奥深さが分かってくる。

片渕須直監督は現役の航空史研究家でもあり、戦争中の軍事飛行機や軍港施設について専門誌に論文を執筆している。

アニメでは呉市の当時の写真や当時を知る人々の証言を元に、すべてが現実に即して再現されている。

アニメーションのコマ撮りにも、自然な日常感を出す「動きの質」を表現するために従来の手法ではない実験的なやり方を用いるなど尋常でないこだわりがあった。

作品に含まれている厖大な情報をひととおり整理するだけでも大変なことだ。

もちろんそういう予備知識なしでもストレートに感動できる。普遍的な芸術作品とはそういうものだ。

「のん」はとんでもない歴史的名作に遭遇したものだ。しかしそれも必然であったような気がする。

片渕監督は、原作をアニメ化する過程で、「これを絵空事じゃないものにしたい」と強烈に思ったという。

一番大事なことは、すずさんという人が本当にいる人なんだと、作り手たちが完全に信じ切って作らないといけない。

そのためには内面にすずさんと共通しているものを持っている役者さんに、すずさんを演じてもらうことが必要だと監督は思っていた。

普段は飄々としていて、舌ったらずなたどたどしさがあって、内気で言葉少なだけど、でも内側には色々なものを抱えていて、いざスイッチが入ると、すごく情熱的なところも出てくる。

そういう、「普段見せている姿や喋っていることがすべてではない」という肉体を伴った存在感を醸しだせる人を求めていた。

すず役の声優については、ギリギリまでオーディションをやったが、この特別な目標設定にハマる役者がどうしても見つからなかった。一体どうすれば画竜点睛を満たせるのだろうと思い悩んでいたときに、ずっと監督の念頭にあった「のん」に心当たりを通じてオファーしたら、どうにかアフレコ期間に間に合う位の時期にスケジュールが確保できた。

他の役の収録が概ね終わった後、数回のトレーニングを経て、4日間ですずの部分を別録りした。「このめぐりあわせは、本当に奇蹟的だった」と監督は振り返る。

すずは、一見ぼんやりして素朴なのんびり屋というキャラクター設定に見える。しかし「すず」役を演じることになった「のん」がまず最初に監督に質問したことは、すずというキャラクターの本質を突くものだった。

「すずさんの気持は表面的には読み取れるんだけど、彼女の内面にある<痛み>って何なんですか? そういうのがあれば教えて下さい」

それに対して監督はこう答えたという。

「すずさんは、自分の中身が空っぽであることが表に出るのが怖いんだと思う。けれども、空っぽに見える心の中の部屋にある床下を開けると、すごく豊富な宝物があることに気が付いてなくて、そこがすずさんの痛みというより痛さなんじゃないか。そこにアプローチできるのは、すずさんが右手で絵を描くときだけなんだ」

監督の「マイマイ新子」を見て役作りを考えたのんがまず言ったことはこうだった。

「すずさんというのは、新子ちゃんたちみたいな子供心をずっと抱えたままお嫁に来てしまったことを痛みとして抱えていて、なおかつそれが戦争によって踏みにじられてしまったという話なんですね」

この作品は、すずが子供であるという魂を持ったまま、どういう大人になっていくかという話なのだという解釈が、二人の間で一致した。

収録に慣れてきた終盤のシーンのある瞬間、のんがこう言った。

「この作品はすずさんのモノローグみたいに進んでいくんですけど、ここはモノローグじゃなくて、本当に口を動かして喋ってるんですね。今までのすずさんなら、絶対に口に出して言わないですよね。でもここで言っているということは、すずさんが変わったということなんですね?」

こうした監督自身もきちんと考えていなかったのんの質問や指摘を受けて、アフレコ後に作画をリテイクしたり、他の登場人物の演技を捉えなおしたりという作業が結構あったという。

原作にない、その後のすずたちが明るく生きている姿を、エンディングテーマに重ねて急遽描いたのも、物語のラストで、すずが戦災孤児を拾って「母親になる」というすずの大人への成長が映画の終着点として見えたからだという。

のんは、声優の話が来たときに見せられたセリフ抜きのパイロットフィルムを見ただけで泣けてしまったという。同時に、この映像に声をのせるのは簡単なことじゃないなとも感じた。

実写の芝居とは別世界で、体全部を使って演技をするときの表現が制約されて、声だけですべてを表現するのはとても難しかったという。

原作者のこうの史代インタビューでは、「当初、私の頭の中にあったすずさんの声は、少しひねくれたというか、もっと内に籠ったイメージだった」という。原作では、少女のまま嫁いできたとは思っていなくて、大人の女性として描いていたのだが、アニメになって少女と大人の境目の印象が強いキャラクターになったのは映画ならではの特徴だとか。

のんの演技を実際に聞いてみると、素直さが加わって、下手するとすごくグズな印象になるかもしれないところを、きちっと抑えるところは抑えられていて、芯のある子になっていたという。
「文字にならない『むむぅ』とか『ふへぇ』といった呻きみたいな声がすごくいい(笑)」とも。

声優のんばかりが脚光を浴びているが、この映画は、劇団「ナイロン100℃」所属で舞台でも活躍する新谷真弓(周作の母、北條サン役。広島県出身で方言指導に当たる)、広島県尾道出身の細谷佳正(周作役。軍法会議書記官)、黒村径子役の尾身美詞、原作のエピソードが割愛された白木リン役の岩井七世、黒村晴美役の稲葉菜月、水原哲役の小野大輔(のんも大好きな「おそ松さん」の十四松役!)など、どの声優も素晴らしい演技をしている。彼らが脇を固めていたからのんのすず役が光ったのだともいえる。

自分がこの映画の冒頭からぐっと来てしまったのは、この作品に詰め込まれた関係者のさまざまな「想い」の集積が目に見えないパワーで迫ってきたからだと思った(なんだかオカルトじみた話だが、この映画を見ること自体が一種の神秘体験のようなものだ)。そこでとどめを刺したのが「のん」の声で、一気に涙腺の防波堤を決壊させた。

この作品には、製作者の想いだけでなく、その背後に、あの戦時下に生きた無数の人々の「声なき声」が実在している。その「声なき声」を具体的な形にしたのが原作漫画であり、それに動きと色彩を与えたのがアニメ化作品であり、それに最終的な「声」を与えたのが「のん」をはじめとする声優陣だったのだ。

想いを形にして、それに生命を吹き込むというのが「アニメーション」の原義だとしたら、この「この世界の片隅に」という作品は、アニメーションという芸術形態の一つの理想を具現化したものではないかと感じた。
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