2016/5/31 | 投稿者: pdo



トーマス・ベルンハルトというオーストリアの作家の『消去』という小説をようやく読み終えました。

面白かったけれど、しんどかった。しんどかったけど、面白かった。

面白い小説というのは、ドストエフスキーなんかその典型ですが、読み始めるとあっというまにぐいぐい引き込まれて、止められなくなるので、仕事と仕事の合間のようなスキマ時間に読むのは不向きなんですよね。

一番いいのは、移動中の乗り物の中。自分なんかは、喫茶店やファミレスのような場所では逆にあまり集中できないタイプなので、やっぱり電車の中とかがいいです。もし丸一日時間があれば(半日でもいいけど)、山手線をグルグル回りながら読書し続けるとか最高ですよね。でも途中でお年寄りが乗ってきて目の前に立ったりすると気になって集中できなくなったりもするのが玉にキズといったところです。

さて、そんなトーマス・ドルビーの最高傑作とも言われている『消去』ですが、どんな話かというと、ムーラウという主人公はオーストリアのヴォルフスエックという村の裕福な家の二男坊で、家族と折りが会わず、因習的で窮屈な家を飛び出して今はローマで学者をしています。

まだ働き盛りの両親に、ヨハネスという兄がひとり、ツェツェーリアとアマーリアという二人の妹がいます。妹はふたりともなかなか結婚せず独り身でしたが、ツェツェーリアの方が結婚することになり、結婚式に出席するために久しぶりに地元(ヴォルフスエック)に帰って、いろんな思いを抱えながらローマに戻ってきたムーラウ。ところがなんと戻ってきた二日後に、両親と兄が亡くなったという電報を受け取ることになります。

小説の前半は、この電報を受け取ってから、地元に再び出発するまでの間、ムーラウのモノローグ(独白)が改行も段落分けもなしに延々と続くのです。その中でいろいろな事実が明らかになりますが、まあ言っちゃえばどこの家族の中でもありそうな確執の延長線上にあるものといってよく、ムーラウの出自にはそんなに特殊な事情や環境があるわけでもありません。敢えて言えば、裕福でオーストリア地元の名士だった父親は戦後も親ナチスの立場をとり続けナチ関係者を家に匿ったりしているなど、ムーラウが嫌悪感を抱く理由が政治的問題も絡めて語られているといったところがやや特殊と言えば言えるでしょうか。

家族は皆ムーラウの極端な色眼鏡を通じて語られるため、本当にムーラウが言うほど酷い人たちなのかどうかは分かりませんが、世俗を嫌い精神的傾向を持つ人間から見て非常に関係を持ちにくいタイプの人々であったことは確かなようです。

いわば俗物を絵にかいたようなの家族の集団の中で、二男のムーラウだけが特殊な存在であったため、両親や兄や妹からは疎んじられ、馬鹿にされ、ほとんど虐待に近いような躾を受けていました。

そんなムーラウの心の支えになっていたのが、ゲオルグ叔父の存在で、ムーラウは叔父が哲学や芸術など精神的価値への手ほどきをしてくれたことに感謝しています。主人公がほぼ肯定的な印象しか持たない珍しい存在です。

大人になってからは、スパドリーニというカトリック聖職者がムーラウをローマに導き、ガンベッティという愛弟子にも引き合わせてくれました。ムーラウにとってスパドリーニは尊敬し憧れる存在ですが、同時にスパドリーニは母親の愛人でもあり、彼の持つ偽善的な側面をムーラウは鋭く見抜き批判しています。

小説の後半は、ムーラウが葬儀に出席(喪主として主宰)するためにヴォルフスエックに赴き、そこで展開される種々の人間ドラマ(といっても専らムーラウの個人的体験)が、これもムーラウ自身のモノローグによって、改行無し段落無しで延々と語られます。客観的に何が行われたのかもすべてモノローグの中で語られますが、モノローグの中で客観世界と主観世界についての語りを敢えて抽出して分けるとすれば、たぶん1:9くらいで、世界の9割はムーラウ自身の主観に染め上げられています。

しかしこの小説が傑作として世界的に評価されていることでも分かるとおり、ムーラウの極私的観点は同時に普遍的な共感を呼び起こす内実を備えています。まあ言っちゃえば、「季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち、夢のない家を出て、愛のない人に会う」ような青少年時代を過ごした人なら、思わずニンマリしたり膝を叩いてしまうような「あるある」ネタの宝庫といってよいかもしれません。

そして訳者の解説にも書いてあるように、小説全体が呪詛に満ちているといってよいトーンで書かれているにもかかわらず、重苦しさや息苦しさは不思議と感じられず、ユーモアと透明な光が常に降り注がれていることが分かります。僕はこれを読みながらショーペンハウアーの厭世哲学を常に想起していました。ショーペンハウアーもまた世界の暗愚さを苦々しく語りながらも軽妙な若々しいユーモアに満ちています。この二律背反した感覚はやはりドイツ文学ならではといえるのでありましょうか。日本語でも中原昌也の小説なんかはこれに通じるものがあるように思います。

この「軽み」がどこから来るのか、個人的には、「何もかもどうでもいい」と現実世界の一切を見切っている、執着を離れた心的態度がその鍵ではないかという気がしました。

主人公は一見、世界を憎悪し、家族への恨みに粘着しているようでいて、実はすべての感情や思考をサラサラと水のように流し続けていて、その中身にはまったく捉われていない(もちろん小説としては捉われている風に描かれていますが)。刻々と襲ってくる暗い思い出やうんざりする感情といったものを、自らの中で明確に認識し、味わい、瞬刻ごとに落としている(ムーラウがそうしているというよりは読者に与える効果がそのような物であるという意味)。この延々と続くモノローグの記録は、この浄化のための手段ではないかとさえ思える。つまりムーラウが直面しなければならないストレスに満ちた個人的体験を乗り切るためにはこのように絶え間ないモノローグによって自らの体験を「消去」し続けるような文体を選択するしかないという必然性が伝わってくる。

だから読み終えたときの読書体験に、決してじめじめした後味の悪さは残らない。ここまで書き切るのはガラクタに満ちた濁流の中を傷一つ負わず泳ぎ切るような達人の芸といったものが必要で、ドストエフスキーがそうであるように、ベルンハルトもまた小説の奥義を会得した作家のみが持ちうる筆さばきを物にしているという印象を受けます。

最後に翻訳の素晴らしさを特筆すべきでしょう。どんなにすぐれた小説も、外国語で書かれたものである限り、翻訳によるバイアスは避けられませんが、この『消去』の訳者はベルンハルトの文体、リズム、感情といったものを完全に理解し咀嚼したうえで日本語に変換しているから、まったく違和感を覚えず読み切ることができます。

ちなみにドストエフスキーの翻訳は、米川正夫さんも工藤精一郎さんも江川卓さんもいずれも素晴らしくて好きです。私なんかが言うのは大変おこがましいですが、この『消去』の池田信雄氏の訳もそれと同じくらい素晴らしいと思いました。
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2016/5/30 | 投稿者: pdo

松本人志、サラリーマン川柳の結果に不満爆発!「決めたやつのセンス疑う」
2016年5月29日 12時17分 マイナビニュース

お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(52)が、29日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ワイドナショー』(毎週日曜10:00〜10:55)で、今年の「サラリーマン川柳コンクール」の結果について不満をぶちまけた。

毎年恒例となっている「第一生命 サラリーマン川柳コンクール」。第29回となる今年は3万9,551句が集まり、約11万人が投票に参加。1位は6,305票を獲得した「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」だった。

番組内でこのことが取り上げられると、松本は首をひねりながら、「いつも引っ掛かるところがあって。1位が……なんか……そんなに面白いか?」と言葉を選びながら疑問を投げかけた。今年1位になった作品については、「何にもかかってないじゃないですか」と指摘し、「ドローンは何にも関係ないから、全然1位じゃない。これを決めたやつのセンスを疑う!」「プロは全く納得していない!」と語気を強めた。

ゲストのナイツ・塙宣之(38)も「全く同じことを思っていました」と流れに乗り、「『喧嘩して 操縦できずに 妻ドローン』とか」と"ドローン"の正しい使い方を解説。松本はその例に納得しながら、「せめてドローンの機能がちょっと加わっているとか」「(1位の"ドローン"は)関係ないから!」と叫んで共演者を笑わせた。

一方で、「うまい」と評価しているのが、2位の「じいちゃんが 建てても孫は ばあちゃんち」、4位の「娘来て 『誰もいないの?』 オレいるよ」。ようやく落ち着きを取り戻した松本に対し、ゲスト・ウエンツ瑛士(30)は「そもそも、今つらいですよ。一般の人にプロがこんなにもキレるのを見るのはつらい……」と吐露。松本は恥ずかしそうに笑顔を見せつつ、「違うねん。この1位の人にキレてるんじゃないねん」と投票側へのダメ出しであることを強調していた。



これってわざわざニュースにするようなことか?


というのが第一点。

(それをわざわざネタにして、こんな誰も読んでいない、自己満足的なブログを自己逃避的に書き散らしているお前自身はどうなのか、というツッコミは無視するとして)

次に、「サラリーマン川柳に噛みつく」というのは、松本のお家芸というか、今回が初めてではないということ。

過去に、まったく同じような形で松本は「サラリーマン川柳」批判を繰り広げている。この時の方がより詳しく論じられているので、以下、少々長いが、引用する。


以下、「第349回松本人志の放送室」(2008年6月7日放送)より書き起こし

松本:高須さん。僕、怒ってるんですよ。
高須:何に怒ってるんですか?
松本:ほんとに腹立ってしゃあないんですよ。
高須:何にですか?
松本:サラリーマン川柳。
高須:ほう、ほう。
松本:知ってます、これ?
高須:知らないです。まあ、あるのは知ってますけど。
松本:これもう僕、あんま腹立って調べたったんですけど、
高須:うん。
松本:安田生命かなんかがやっとるんですよ。
高須:へえ、そうですか。
松本:で、毎年ね、1年に1回かな、
高須:うん、うん。
松本:何年前からや、行われてるんか知らないですけども、サラリーマン川柳いうのを募集してね、
高須:うん。うん。
松本:で、1位決めてるんですよ。
高須:うん。うん。うん。
松本:今年の1位、知ってます?
高須:知らないです。
松本:えーとね、えー、『「空気読め!!」それより部下の気持ち読め!!
高須:・・・
松本:何にもかかってないんですよ。
高須:うーん。何でそれ、
松本:何でこれが1位なん?
高須:うーん。空気読め、
松本:ほいでね、ベスト10って言うかね、10個ぐらい選ばれたやつ、いっぱいある中から、まず10個が厳選されたんですね。
高須:うん、うん、うん。
松本:で、この中から1位をって言うて。これね、なんか聞いたら、誰や審査員とか俺思うて、腹立っててんけど、
高須:うん。
松本:一般人なんですよ。
高須:ああー。
松本:で、これダントツ1位なんで。
高須:それが。
松本:もうその安田生命もたぶんもう、もうしゃあないんですよ、これね。
高須:これにはしたないかったかもしれん、
松本:絶っ対おかしいの、みんなわかってるもん。
高須:他にもっと、もうちょっとええのあるんですか?
松本:だからね、やっぱり。いや、そらもう残りの9のがよっぽどマシですよ。
高須:ほんまですか。それかわいそうですね、残りの。まあでもまあ、僕は見てないからわかりませんけども。
松本:いやもうだから、いやだから僕はこの、ね。
高須:うん。
松本:これが、
高須:うん。
松本:どれだけの、なに?価値があって、
高須:うん。
松本:なんか賞金がなんぼもらえてとか、知りませんけど。
高須:うん。なるほどな。
松本:ちょっとこれは。切ないわ。
松本:安田生命。もう毎年これ、なんか恒例みたいになりつつあるんですよ、これが。
高須:第一生命?誰が安田生命言うてんの?
松本:二人でやんか。二人で決めたことやんか。安田生命っていうのは。
高須:あれ?第一生命っていうのや、これ。
松本:二人で決めたことやんか。
高須:安田生命、安田生命言うて。
松本:そうそう。だから二人で決めたことやんか、これは。打ち合わせしてたやんか、本番前に。
高須:ははは、自分、無茶苦茶やな。まあ、いいですけど。
松本:ええ。
高須:二人で決めたことで。
松本:第一生命ね。
高須:第一生命。へえ。
松本:うん。第一生命がやってるんですよ。
高須:はあ。『赤字だぞ、あんたが辞めれば、すぐ黒字。』
松本:別にこっちのほうが、まだいいじゃないですか。いや、別に、この、別にあれやけどね。別にあれやけど、ま、こっちのほうがええやん、それやったら。
高須:『国民の、年金損なの、関係ねえ。』
松本:まあ、「そんなの」いうのは損得の損ね。それとまあ、かけてるんですけど。
高須:まあ、これなんかまあ。
松本:まだそっちのほうがいいじゃないですか。
高須:うん。なるほどね。
松本:これをね、あの、『空気読め、それより部下の、気持ち読め』。これを、あのう、今のあの流行のKYを見事にもじってひっかけたみたいなこと言うてるんですよ。
高須:うーん。
松本:かかってへん言うねん!
高須:なるほどねえ。
松本:かかるということをね、どう捉えてんの?!
高須:うーん。まあ。おお、怒ってますねえ。
松本:だって、空気読め、
高須:うん。
松本:それより部下の空気読めって言うてんのと同じやからね。
高須:まあ、ほんまやね。
松本:「気持ち読め」は「空気読め」ん中、入ってるからね。
高須:うん。なるほど。でもこれがダントツなんすか。
松本:ダントツ1位なんですよ。
高須:はあ。はあ。えらいもんですなあ。

松本:川柳ってね、ちょっとやっぱ笑い、ユーモアを含めたもんじゃないですか。
高須:うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん。
松本:まあ、ある意味これは、ま、プロの僕から言わしてもらって
高須:うん。
松本:こういうものを1位に、わかってもないやつがね、
高須:うん。
松本:こんなもんをかかってるとか思って、ね。
高須:うん。
松本:間違ったことが、こんなもんが1位にされることが、僕はやっぱ許せないんですよ。
松本:別にうらみもなんもないですよ。
高須:うん。
松本:でも成立してないもん。
高須:そうね。俺、それやったら『国民の、年金損なの、関係ねえ。』かな。
松本:まだそっちのほうがええなあ。
高須:うん。見事にね。
松本:見事に。だからね、そのね、かかるということをね、どう捉えてんのかと。
高須:うん。まあ、かかるだけではこれ、捉えてないのかもしれんけどね。なんかもうその、今年の空気、なんかなんちゅうの?
松本:なんかKYを、
高須:うん、うん、うん。
松本:テーマにしたんをなんか、
高須:そうそう。っていうぐらいのことなんや。
松本:ええわって思ったんか知らんねんけど、もうほんまにもう、うっとうしいわ。だから僕が一体何が言いたいかっていうと、素人に決めさしたらあかんって言ってるんですよ。
高須:うーん。まあ別に、まあこれはまあ、それ、そういう風に、
松本:もう結果出てもうてますからね。素人に決めさしたらあかんかったんが、こういう風に如実に。
高須:表れてると。
松本:表れてるんですよ。
高須:なるほど。
松本:素人は素人やから、素人なんですよ。
高須:まあでもこれはこういう遊びなんじゃないんですか。第一生命も。
松本:いや、あかん!
高須:あはははは。
松本:そんなもんはね、ちゃんとやらなあかんねん!
高須:そのちゃんとやるものを作りゃあいいじゃないですか。別にこれ、たぶんここは、
松本:何かのキャラクターで、
高須:うん。
松本:何か募集して、これが1位なんのは、
高須:うん。
松本:なりました言うんやったら、それは別にね、
高須:うん、まあね。
松本:それは俺がとやかく言うこっちゃない。そんなもん正解はないから。
高須:たぶんこれ、
松本:でもこれに関しては、正解あるからね。
高須:これたぶんね、うまい・うまないじゃないんですよ。これたぶん、世の中の人がこういう世の中なんですよというのを、
松本:ああ。
高須:一番わかりやすく伝えてんのがこれやと捉えてるんですよ。
松本:全然違う。
高須:うん。
松本:それはもうほんとに安田生命がわかってない。
高須:第一生命や言うてるやろ、それは。
松本:第一生命がほんまはやってるんですけど、安田生命がわかってないわ。関係ないのにね。
高須:それは、ははは。
松本:ははははは。
高須:それはとばっちりにも、
松本:ははははは。
高須:甚だしいですけどね。でも、これたぶん、うまい・うまないで選んでないんですよ、たぶん。世の中の人が、今のその、
松本:いや、
高須:世情みたいなことを、一番詠ってんのがこれという、たぶん。
松本:ある意味僕はだから、「これ、審査員誰やねん」っていうとこに僕、行ったわけですよ。
高須:なるほど。
松本:ほんで、これはプロというか、そういう人が、達が選んだんじゃないっていうのを聞いて、ある意味僕は安心したんです。
高須:それはそうですよね。
松本:うん。ああ、よかったと。
高須:うん。
松本:これもし、ちゃんとした人達がこれを選んだんやったとしたら、これもう、
高須:うん。おかしな、
松本:大問題や。センス疑うわ!と思った。
高須:うん。
松本:でも素人が選んだっていうので、ある意味安心はしたんですけども、今度出てきたのが、この怒りですよね。
高須:うん。なるほど。
松本:素人に決めさして、ろくなことないんですよ!
高須:そうですか。
松本:ほんとに!
高須:うーん。

高須:まあでも、それ、そういうものもあっていいんじゃないですか?別にそれがすべてじゃないですけど。もちろんね。僕もどっちがいい言うたら、僕もまあそれは素人のほうには行かないですけど。
松本:あのね、お笑いなんてね、素人が聞くもんやから、素人を笑わすためにあんねやから、素人が決めんのが一番ええって言うあほがいますけどね、
高須:うん。
松本:絶対、違うからね。

松本:でも、こういう川柳みたいなもんは、
高須:うん。
松本:素人に聞くより、ちゃんとしたプロの目で、ちゃんとやったほうが絶対いいですって。
高須:うん。
松本:導いて行かないと。プロが。プロとして。
高須:ま、だからたぶん、ここの会、この会がたぶん、そういううまいのを選んでるわけじゃないんやと思います、僕。
松本:もう、それがもう、僕はもうほんまに、
高須:ようわからんってことでしょう?
松本:安田生命の間違ってるところなんですよ。
高須:ははは、第一生命ですけどね。曲行きましょうか。
松本:ええ。
二人:ははははは。
高須:えー、イミテイション・ゴールド 。
松本:ほら!イミテイション・ゴールド や!俺に言わしたら!
高須:はあ?
松本:今回の、こんなもんは!
高須:山口百恵。

松本:僕、だからこういうのを聞くと、ほんとに悲しくなるんですねえ。
高須:うーん。どういうことですか?
松本:やっぱりこう、プロとしてねえ。ああ、こういうことかあというねえ。ほんとに劣っとるなあっていう。
高須:うーん。
松本:これをひっかけたと思えるんやっていうことにこう、愕然としてしまう。
高須:それはねえ、実は多いと思いますよ。そう思ってる人は。
松本:うーん。
高須:それは。それでまあ、あのう、まあ、あなたはそれをよく口にしますが、
松本:ええ。
高須:たぶん、世の中の人、世の中というかその道のプロはみんなやっぱそう思いますよ、やはり。

松本:でもまあこれが、
高須:世の中はこんなもんなんですよな。
松本:世の中はこれを見て、「え?かかってないやん」って、
高須:うん。
松本:何人の人が思うかよね。

松本:いやあ、まあ、ほんとにねえ。なんか腹立って、しゃあないんですよ。
高須:そうですか。
松本:でもこれ、腹立ってること自体、意味がわからんのでしょうね。
高須:あのう、世の中の人はわからないですよ。
松本:何を松本、カリカリしてんねんみたいな。
高須:なんで?あなたのことじゃないじゃな〜いって、やっぱり思うでしょうね、これ。
二人:ははははは。
高須:なんで〜?って、たぶん。
松本:うーん。
高須:ただでもね、
松本:うん。
高須:これはほんま、そんな言うてたらね、
松本:ええ。
高須:じゃあもう、笑いも何でもそうですけど、
松本:ええ。
高須:ええ?なんでこれが?
松本:せやろ?
高須:っていうことは、それはありますよ。でもそんなこと言うてたら、もうこれ一個一個、
松本:うーん。
高須:どないしたらそんな上げて行けんねんって。もう無理ですよ、これ。
松本:うーん。
高須:ね?
松本:そう。だからこう、なんかもう愕然としてくんねん。
高須:でしょう?
松本:そう。
高須:そんな見たらだめなんですよ。
松本:見たあかんねん。こんなんな。

松本:腹立つわあ。ほんま腹立つわあ。
高須:うん。見てしまうと、そんなこと思うから。見たあかんねん。
松本:そう。
高須:ふんふんふんふん♪って、しとかなあかんねん。こんなもん。
松本:そう、そう。
高須:ね?意識してまうとこれ、ややこしいからね。
松本:俺とかやっぱりムーディが頑張るしかないねん。これはな。
高須:もちろんそうですよ。
松本:うん。
高須:何にも別に、それは。それはそうですよ。なんでそこに、
松本:ははははははは。
高須:なんでそれ、ちらちらちらちら見る感じ、これ。ははは。
松本:いや、ごめんなさい。ほんとに。ははは。
高須:そうですよ。
松本:ほんまですよ。
高須:うん。
松本:腹立つわあ。

(引用おわり)

これは余談だが、松本は以前、「西日本貸しおしぼり協同組合キャッチコピー」に「一まいのシャワー」というコピーでエントリーし、最優秀賞受賞、10万円を獲得したことがある。

なお、上記ニュースに対するネットの反応の代表的なものは、

たぶん松本が考えた川柳は採用されないだろうね。多くの人に伝わらなければただの戯言・自己満足。受け手目線のバランス感覚が欠けている。彼の映画がそれだよね

こういう勘違い丸出しの気持ち悪い上から目線をしてる奴の知能を疑うわ。たかが芸人が一般人(笑)よりセンスがあるっていう根拠はどこから出てきたの?


というものであった。

松本人志の監督した映画諸作品(「大日本人」、「しんぼる」、「さや侍」、「R100])の問題点については、菊地成孔が文庫版『ユングのサウンドトラック』で余すところなく論じきっていると思うのでここでは触れないとして、



ここで問題とすべきは、

(1)松本の示すある種のエリート主義(前衛主義)的姿勢の是非

及び、

(2) 退職金 もらった瞬間 妻ドローン

または 空気読め それより部下の 気持ち読め

を1位にするという選択は間違いなのか? 

さらには

(3)「『ドローン』や『空気読め』が<かかってない>」という批判は適切なのか?

(4)「ドローン」や「空気読め」は本当に「かかってない」のか?

という諸問題に細分化可能だろう。

そして最終的には、

果たして「サラリーマン川柳」にツッコむという芸風はアリ(2016年の日本社会という歴史的現在において成立している)か?

という深刻な問いが横たわっている。

最後の問題は深刻すぎるため後回しにするとして、取り急ぎ各項目について検討すると、


(4)「ドローン」や「空気読め」は本当に「かかってない」のか?

 これはパースペクティヴの問題。つまり、どこまで文脈を考慮するかという解釈にかかっている。

 評価の対象をこの1句の世界のみに限定するなら、確かに松本の言う通りかもしれない。しかし、「世相を表す言葉でサラリーマンの悲哀をユーモラスに表現する」というサラリーマン川柳の投稿趣旨(要綱は未読だがおそらく大きく外れてはいないと思う)からすれば、「ドローン」や「空気読め」という言葉の用い方は間違いとは言えないのであって、大きく言えば「世相にかかっている」と言う言い方も可能ではないか。そして本来川柳とはそうしたものなのではないか。

したがって、

(3)「『ドローン』や『空気読め』が<かかってない>」という批判は適切なのか?

 という問題についても、そのような批判は批判者である松本の視点からのみ正当性を持つにすぎず、サラリーマン川柳の審査員である「素人」の審査基準(世相を表す言葉でサラリーマンの悲哀をいかにユーモラスに表現できるか)からすればまったく的外れな批判であると言える。

 ちなみに、「かかってない」という言葉で川柳作者とその審査員に対し執拗に正しい日本語の使い方がわかってないと論難する松本自身、その監督作品「さや侍」の中で「30日の業(ぎょう)」という、日本語として成立していない不適切な表現を用いていることが指摘されている(前掲書)。

このことからすると、

(2) 退職金 もらった瞬間 妻ドローン

または 空気読め それより部下の 気持ち読め

を1位にするという選択は間違いなのか? 

 についても、決して間違いとはいえない、となる。加えていえば、「サラリーマン川柳」の審査員は「笑いのプロ」である芸人に限るべきであり、一般人(素人)を審査員にすることが間違いである、という松本の主張も、上記の松本自身の観点から正当化される以外の根拠を欠いていると言わざるを得ない。

 なお、ゲストのナイツ・塙宣之氏(38)は、「僕も全く同じことを思っていました」と空気を読んで流れに乗り、「『喧嘩して 操縦できずに 妻ドローン』とか」と"ドローン"の正しい使い方を解説しているが、ナイツのネタの中にも、厳密に言えば「かかってない」ものはあるだろう。それでも、その方がウケると判断すれば、「かかってないネタ」を敢えて押し出すこともありうる。たとえば、「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」と「喧嘩して 操縦できずに 妻ドローン」のどちらがウケるか、という観点から考慮するならば、自分は前者の方に一票を投じたい。

そして最後に、これが最も本質的な問題なのだが、

(1)松本の示すある種のエリート主義(前衛主義)的姿勢の是非

について言えば、今回のニュースは、「松本の笑い」の「負の遺産」を最も端的に示すエピソードであったといえる。

この点についてはマキタスポーツが『一億総ツッコミ時代』というすぐれた本の中で余すところなく分析しているので、詳しくは触れない。



要するに、松本が監督した映画の諸作品を通じて完膚なきまでに露呈されてしまった「松本人志的感性」の幼稚さ、愚劣さが、ことテレビの世界においては未だ乗り越えられておらず、未だにお茶の間レベルでは十分に通用してしまっていることに現代日本の抱える闇の一端が凝縮させられていると言わざるを得ない。

だから、このニュースを見て自分は実に暗澹たる気分を拭えなかった。なぜなら、このような愚劣で幼稚な「松本人志的感性」が広く国民によって共有されることの結果、この国がますます救いようのない時代に落ち込んでいく絶望的なビジョンが脳裏をよぎってしまったからである。

菊地成孔は、前述『ユングのサウンドトラック(文庫版)』の中で、「『ダウンタウン松本の時代』が日本人が本格的に退行してゆく時代の始まりを告げる、日本と松本の蜜月」であり、「『映画監督松本人志の時代』は、その負債に苦しむ日本と松本の倦怠期である」と、見事に総括しているが、もはや時代は『(国民の本音を代弁する)ワイドショーのコメンテーター松本人志の時代』という、まったく笑えないフェーズに突入してしまっているのだ、との認識を持たざるを得ない今日この頃のご時世である。(了)



※6月1日追記

 この件について伊集院光もラジオでネタにしたらしい。笑いの感覚に秀でたプロの皆さんは納得していないようなので、やはりサラリーマン川柳は企画自体を止めるか、第一生命ではなく安田生命に代えるか、審査員をすぐれた芸人の方々に統一した方が良いのかもしれない。

 こんなふざけた企画が毎年飽きもせずに続けられ、あたかも風物詩のようにして毎年ニュースで取り上げられるという日本のメディアの腐った在り方自体が問われているのだと思う。

 行き過ぎた表現の自由の弊害、個人の権利ばかり主張して集団や国家の利益をなおざりにした戦後世代の歪んた価値観が生み出した悲劇といえるだろう。

 素人のくせに偉そうなことを書いてすみませんでした。
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2016/5/29 | 投稿者: pdo

※内容中に不適切な表現・差別的な表現が含まれますが、オリジナルの表現を尊重して敢えてそのまま掲載させていただきました


モデル目指したった一人で田舎から出てきた少女

演技に目覚め女優目指し受け続けたオーディション

当て馬なのに選ばれたドラマでブレイク

演技力と透明感が評価され期待上々 なのに

よってたかって「徹底的に潰せ」とのお達し 

ヤクザと何が違う? 酷すぎる業界 腑抜けどもの大所帯

職業選択の自由は憲法で保障 そんなの無視で「しきたり」に縛られる一生

くだらねえ村社会 ガラパゴス以下の惨状

弱い者いじめの一方 TVの視聴者は激減

ドラマ視聴率は5%平均 7%あれば御の字との絶望的な意見

プロダクションの太鼓持ちで食うメディア ふんぞり返る芸能マフィア 

本当の情報なんてほぼゼロ 21世紀にもなって人権侵害の感覚ゼロ

芸NO界? 芸無し界? の「オキテ」? 笑わせんなよ

目を覚ませよ 起きてないのはあんたらの方

掟に破れて置き手紙遺して消えたあの娘は今何処に?

罪なゲーNO界 そろそろマジで取り締まれよ

アメリカなら裁判で億単位の損害賠償で降参

零細企業の個人事務所なんかあっという間に倒産

個人の才能より事務所の脅しで動く現場の異常

業界に染まりきって異常に気づかない末期症状

まるで事務所がバックアップして順調に仕事取ってきたみたいな言い草

タレントのおかげで飯が食えてるくせに契約違反とは笑止千万

社長とマネージャーからは罵倒され続け 奴隷になれと強要

事務所内で干した挙句「連続ドラマの仕事は取れないヨ!」

洗脳してるのはそっちの方 こんな事務所辞めるべきとの情報

しかし2年間は辞めたくても辞められない理不尽な条項

給料なんか受け取りたくなく口座解約

丸2年にわたって何も受け取らないと誓約

メジャー仕事なくなっても死ぬほど嫌な場所から解放されて晴れ晴れとした気分

ルール違反? タレントをいびり続けるのはルール違反じゃないとの言い分?

契約期間守って解約の何が不義理か意味不明

更新するもしないも自由なのは自明

己の尊厳と引き替えに奴隷拒否の表明

事務所擁護してる間抜けどもは 労働者の権利を学んどけ

今度はテメーらが搾取される番だぞw

事務所が失ったのは金の卵 あの娘が失ったのは鉄の足枷

ネガキャンをマスゴミ使って連日やるしか能がねえ

テメーのビジネスモデルに自信がないから 

たかが契約を拒否した小娘にここまでやるしかねえ

もうまともな人間はこんなヤバい事務所と契約できねえ

潰そうとする方が業界中から総スカン食らって潰れるべき

今こそ芸能プロの前近代的奴隷商法にメスを入れるべき

酷いことされたら即発信 仲間同士手を結んで前進

圧力にビビッて報道しない記者どもを刷新

許可制で報道 大本営と同等

己で鍛えた技術持って独立なんてどこでも常識

芸能界が異常 時代遅れの方式

大手が強すぎていつも同じタレントばかりテレビに選抜

弱小プロは契約で縛って負債をタレントに押しつけるとの告発

そのせいでヌードになったりAVに出たり悲惨なケースも続発

もう一度外圧で外国が日本占領して戦後の財閥解体令みたく

芸能界及びマスコミやテレビ局らを全部解体しかないのか?

芸能人は全員強制引退 芸能事務所は全て解体

テレビ局は全て停波の上解体 新聞社や出版社も解体

このままだと独裁政権がメディアを支配

GET UP STAND UP 繰り返せ 己の権利のために立ち上がれ

自由は天からの贈りもんじゃねえ

テメーの手で分捕らねえと一生手に入らねえ

不満な奴らは彼女に続け 俳優も女優もタレントも

テメーらも一生飼い殺しで終わるぞ 己の頭で考えろYO!
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2016/5/28 | 投稿者: pdo

テレビ局関係者8人に聞きました 「このまま、能年玲奈を干しますか?」
(日刊サイゾー)

テレビ業界は、このまま女優・能年玲奈を干してしまうのか?

主要テレビ各局のプロデューサー、ディレクター、放送作家ら関係者8人に、非公式に「今後、能年を起用するつもりがあるか?」と聞いたところ、「はい」と答えた者はひとりもいなかった。

『使うな』と圧力をかけられたわけじゃないですよ。ただ、なんとなく事務所でゴタゴタしているタレントを使って、余計な揉めごとを起こしたくないだけ。 所属事務所から起用の打診があったら、そのときに検討しますが、こちらから声をかけることはなさそう」

こう話すのは民放のドラマプロデューサー。

「自分がすべてキャスティングをしているわけではない」と前置きしながらも、能年の起用には否定的だった。

“本業”のドラマではなく、バラエティ番組での単発ゲストではどうかと聞いたが、こちらもディレクターが

「独立騒動の影響で、正直、今は使いにくいです。オファーしようにも、どういう契約状況かわからないですし」

と首を振った。みな、触らぬ神にたたりなしといった感じだ。

根強いファンがたくさんいる能年だが、まさにタレント生命の危機にある。


* * *


これを逆に取れば、勇気のあるプロデューサーが一人いれば、根強いファンのいる、国民的なネームバリューのある若手女優を独占できるという事ではないか。

出演交渉時に、他のオファーは受けませんという言質を取っておけばいい。

そんな虫のいい話はない? 上層部から止められる?


日本の芸能界(テレビ・映画・演劇関係者含む)は、なぜこんなにも臆病になってしまったのか?

彼らは一体何を恐れているのか?


彼らは、ひたすら波風を立てずに、自己保身に徹することしか頭になく、大手事務所の顔色ばかりを窺って、多少のリスクはあっても優秀な役者を起用して、少しでも質の良いコンテンツを創ろうという気概は残っていないのか?

「あまちゃん」が、あれほど大成功した理由は、ドラマ製作陣が、事なかれ主義を捨て、少しでも良いドラマ作りを優先して、未知の可能性に充ちた能年玲奈という女優をリスクを取って起用したからではないのか? 

いやしくもコンテンツ製作者は、一部の利害関係者の意向ばかりを慮って、視聴者のニーズを無視することがあってはならない。

視聴者というとき、それは抑圧的なプロダクションの独裁を歓迎し、ひたいを地にすりつけて時の主人の前に平伏する安楽な連中、保守的な国民層を意味しない。

より良い作品のためのたたかいにおいて、視聴者とは、誰もが約束し、誰もが欺く、救われなかった膨大な大衆を意味する。

よりよい、もっと立派で正しい作品を求める人々、何年も何年も「芸能界の掟」という名の不正とごまかしに苦しんできたため正義の志に突き動かされる人々、彼らの文化的生活が大きく賢明な変化をするようにと願う人々、何事か、あるいは何者かを信じ、ことに自らを信ずるとき、そのような変化を獲得するために、彼らの持てる財力と活力をとことん投げ出す用意のある人々を意味する。

目的について語るとき、誠実であるための第一の要件は、誰もが敢えてしないこと、すなわち、絶対にはっきりと恐れずに言うことである。

すべてについて正しくすべての人を喜ばす奇跡を行おうとする職業テレビマンや芸能界マフィアたちは、必ず、すべてのことについてすべての人を欺く。

革命的なことを為そうとする者は、彼らの理想を大胆に宣言し、彼らの原則をはっきりさせ、彼らの意図を明らかにして、味方であろうと敵であろうと、何びとをも欺くことのないようにする。

われわれが依拠しなければならない人々は次のような人々である。

1万の若いAD、若手脚本家、監督志願者、ライター、芸能記者、デザイナー、アーチスト、俳優女優志願の若者たち、衣装スタッフ、ヘアメイク、美術、大道具、照明その他の番組製作陣、かれらは、働きたい気持ちに溢れ、希望に満ちて業界に入る。しかし、彼らを待ち受けているのは、行き止まりの路地であり、真実を語ることを禁ずる不正な圧力であり、正義を求めていくら訴え、叫び、哀願しても、それに耳を傾ける者がいない。

彼らは理不尽な抑圧に従わされる不幸というものを知っており、それ故にこそかぎりない勇気をもって闘うことができる。

この人たちの一生を通じての絶望の道は、欺瞞と偽りの約束でしきつめられている。この人たちに、われわれは、『君たちの必要なものをかならず君たちに与えよう』とは言わず、『むしろ、君たちは必要なものを持っている。全力を挙げてそのために闘おう、そうすれば自由と幸福は君たちのものになるだろう』と言おう・・・



倒れていった僚友のために、私は復讐をもとめはしない。かれらの生命は尊く、殺人者自身の生命でそれを購うことはできなかった。祖国のために倒れた者の生命を購うことのできるのは、血によってではない。祖国の人民の幸福だけがかれらにふさわしい手向けである。

わが同志たちは、死んでおらず、忘れられてもいない。彼らは今日、いつのときにもまして、生きている。同志を殺した殺人者どもは、同志の理念の勝利の精神が不滅であるのを見て驚愕するだろう。使徒マルティに語らせよ。

死者の墓にそそぐことのできる涙にはかぎりがある。

死者を嘆き悲しむためでなく、祖国とその栄光に対するかれらの無限の愛―よろめくことなく、希望を失うことなく、弱まることなき愛を思うため、われわれはその墓に詣でねばならぬ。

有難き受難者たちの腕に抱かれて

死は終わり、牢獄の壁は破れ―

ついに、死とともに、生ははじまるのだ。

Termino mi defensa, no lo haré como hacen siempre todos los letrados, pidiendo la libertad del defendido; no puedo pedirla cuando mis compañeros están sufriendo ya en Isla de Pinos ignominiosa prisión. Enviadme junto a ellos a compartir su suerte, es inconcebible que los hombres honrados estén muertos o presos en una república donde está de presidente un criminal y un ladrón.

これで弁護を終えようと思う。しかし私は、弁護士ならだれでもするように、被告の無罪釈放を訴える形で、私の弁論を終えるつもりはない。私の同志たちがピノス島の屈辱的な牢獄へ送られ苦しんでいる最中、私の無罪釈放を訴えることはできないのだ。私をピノス島に送り、同志たちと運命を共にさせよ。共和国大統領が犯罪者であり、国賊である時は、誠実な人々が死ぬか、囚われの身であることは当然の運命であろう。

En cuanto a mí, sé que la cárcel será dura como no la ha sido nunca para nadie, preñada de amenazas, de ruin y cobarde ensañamiento, pero no la temo, como no temo la furia del tirano miserable que arrancó la vida a setenta hermanos míos. Condenadme, no importa, La historia me absolverá.

私は牢獄が、ほかの人たちと同様に過酷で、脅迫、卑劣、意気地なしの残忍さであふれていることを知っている。しかし私は、70名の同志の息の根を止めた憐れな暴君の怒りを恐れないのと同様に、牢獄を恐れない。
私を断罪せよ。
どうということはない。
歴史は私に無罪を宣告するであろう。
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2016/5/27 | 投稿者: pdo


能年玲奈が「救済される」のではない。

能年玲奈が「救済する」のだ。

この世界を。

この宇宙を。

吉田豪氏によれば、『週刊文春』情報によると、小金井事件の犯人は「橋本愛の狂信的なファン」だったけれど、彼女が「ロマンポルノにハマっていたという記事を目にし、さすがにドン引き」。その結果、彼女には執着しなくなったらしい。

人間、何が身を助けるか分かったもんじゃない。他の方々も、厄介なストーカーにお困りの際は、勇気をもって「ドン引き」されるような趣味をカミングアウトしてみては? もっとも橋本愛にとっては勇気でも何でもなく当たり前のことなのかもしれないが。橋本愛といえば、夏川結衣さんと並ぶ熊本美人。よく見ると、この二人、なんとなく似ている。特に若い頃の夏川さんは橋本愛にそっくり、に見えるときがある。橋本愛は夏川結衣主演のハードコアな『夜がまた来る』(石井隆監督)はもう観たのだろうか?

木下古栗の小説に出てくる「茂林健二郎」や「茂森健三郎」が誰のパロディ(当てこすり?)なのかは分かるのだが、「菱野時江」が誰なのかが分からない。知っている人がいたら教えてたもれ。

大事な日に限って体調を崩す。外に出たとたん大雨が降ってくる(しかも屋内に入ると止む!)。乗らなければいけない電車にギリギリ間に合わない。

やることが全て裏目に出る「間の悪い日」は誰にでもあるものだが、あまり続くようならその原因を探ってみてはどうだろう。

勘違いされがちだが、「間の悪さ」と「運の悪さ」は別物だ。むしろ「運」のせいにしていたら「間の悪さ」は決して改善されない。

では「間の悪さ」とは一体何なのか。『「間」の悪さは「魔」の悪さ!』(ドクター代々木著、衆英社刊)から探っていこう。

「間が悪い」とはつまるところ「自分と世界の間に<魔術的な何か>が介在しているために起こる」と著者は述べる。そのせいで「いるべき時にいるべき場所にいることができない」ということが起こる。「乗らなければならない電車にギリギリ間に合わない」というのは最たる例だろう。

これを考えると、ミもフタもない話だが「間の悪さ」の要因の一つは、「魔界からのメッセージ」なのだ。

「夜寝る前に翌日の準備を済ませておく」「考えうるリスクを想定しておく」といったことをしておいても、乗った電車が事故で遅延したり、いつもは停まるはずの駅を電車が通過してしまうということは起こるはずだ。ある種の間の悪さは、どうやっても自分では解決できないものだと考えるべきなのである。

では、「大事な日に限って体調が悪い」類の間の悪さについてはどうだろうか。

もちろん、事前に体調を整えておくことである程度は対応することができるだろうが、前日まで特に体に不調はなかったのに、大事な用事がある当日に急に具合が悪くなることもあるだろう。

本書の著者で医師のドクター代々木師は、体調面での「間の悪さ」の一因として「自律神経の乱れ」を挙げている。

よく知られているように、自律神経には「交感神経」と「副交感神経」があり、一般に現代人は交換神経が優位で副交感神経が劣位だといわれている。このバランスがあまりに崩れると体の不調を引き起こす。

ただ、自律神経のバランスを崩す要因はあまりにも多い。睡眠不足や不規則な生活、そして季節の変わり目や天気による気圧の変化なども、私たちの交感神経レベルを上げ、副交感神経のレベルを下げる。

副交感神経は血流をつかさどるため、あまりに劣位になりすぎると日中の疲労が抜けにくくなったり、脳の機能低下を招く。こうなるとちょっとしたことでも体調を崩しやすくなっているから、「大事な日」ということで普段と違う緊張状態に置かれたりすると、それが表面化しやすいといえる。

本書を読むと、私たちは季節や時間、天気の移り変わりといった「大きな流れ」の中で生活していることがわかる。そして、「間の悪さ」というのは、「電車に乗り過ごす」といった準備不足によるものは別として、この流れと自分の心身のバイオリズムがうまく合わないことで生じるのだ。

ではバイオリズムを「大きな流れ」に合わせるにはどうすればよいのか。

「祈る」しかない。

どの様な「思い」も、生病老死の本然的な苦を、解決はしてくれない。「思い」だけでは、苦しみから、逃れることは、できない。

むしろ、思いが、強ければ、強いほど、苦しみは、増す。
だから、人は祈る。
祈らずには、いられないのだ。

信仰は無意味だ。

意味は、しょせん、人の世界の事象でしかない。

意味に囚われていたら信仰は成就しない。

信仰は、意味もなく信じることだ。

信仰に意味を持たせるのは、人間である。

意味があって祈るのではない。

ただ無心に祈るのだ。

世の中は、自分の思い通りにはいかない。

それは、そうだろう。

世の中と自分の世界は違うもの。

そう思っていなければ、やってられないよ。

人は、寒風、吹きすさぶ荒れ野に一人立ちつくした時、神に祈りを捧げる。

絶望に打ちひしがれた時、

挫折から立ち直れなくなった時、

哀しくて哀しくて仕方がない時、

無視された時、

迫害され、弾圧された時、

馬鹿にされた時、

怒りや憎しみに負けそうになった時、

恥ずかしい時、

差別された時、

大切なものを失った時、

平静さを失った時、

苦しい時、

新しいことに挑戦しようとする時、

未知な世界に踏み出そうとする時、

誰も理解してくれない時、

何が正しくて、何が間違っているのかがわからなくなった時、

自分の罪や過ちを認める時、

人の罪や過ちを正す時、

生まれ変わろうとした時、

嬉しい時、

成功した時、

感謝した気持ちを、誰かに伝えたくなった時、

何かを誓う時、

重い病に冒された時、

逝く時、

最愛の人を失った時、

生きる希望がなくなった時、

何も信じられなくなった時、

何をしていいのかわからなくなった時、

自分や他人を許せなくなった時、

自分の無力さに気がついた時、

危機に陥った時、

救いを求めた時、

神を信じられなくなった時、

人は、神に、祈るしかないのだ。


別れは、必ず訪れる。

しかも、その時は、いつ訪れるのか、誰にもわからない。

幸せの絶頂の時、挫折や失敗に絶望している時、別れは、時を選ばずに訪れる。

幸せの絶頂の時に別れが訪れた人と、絶望した時に、別れが、追い打ちをかけた人のどちらが不幸か、それは、誰にもわからない。それは、その人の心の有り様が決めるからだ。だから人は祈るのだ。祈らずには、いられないのだ。

人は、何に祈るのか。神にである。だからこそ、神は、必要とされるのだ。

神の本質は、愛。至上の愛だ。

許し合う以外に、救いはない。だからこそ、神の本質は、愛なのだ。

愛は、祈り。

神に自分の思いをぶつける事、それが祈りなのだ。

そして、神のみが自分の思いを受け止めてくれる。

それが、至上の愛。

病は、治すだけでは駄目なのである。

癒さなければ、駄目なのだ。

癒さなければならないのは、心だ。

気をこもれば思いとなり、思いをこもれば心となる。心を込めれば命となる。

故に、癒されなければならないのは、心。

故に、祈るのである。祈ることによって癒されるのである。

神に祈ることで、神の意志を変えようと思っても無駄である。

神の意志は、不変なのだから。

祈ろうと、祈るまいと神には、無縁だ。

神に祈ることによって変わるのは、あなたなのだ。

だから、ひたすらに祈るしかないのだ。

祈りは、神のためにするのではない。

あなた自身が救われるためにするのだ。

故に、祈り、そして感謝するのだ。

祈りによって現世利益を求めるのは愚かなこと。

あなたは、神をどのような時に感じますか。

雲の切れ間から夕日が川面に射し込み、ああきれいだなと、感じた時、私は、神の恩寵を感じます。

あなたの力では、どうしようもない事にであった時、自分を越えたところにある偉大な力を感じるでしょう。

それこそが神の力なのです。

その時、神に祈るのです。

今日ここに生きて在る事を神に感謝するのです。

神に感謝するのです。

神に祈るしかないのです。

祈るしかないのです。

いかに科学、医学が発達しても、生病老死の苦しみから、逃れられるわけではない。

若く輝いている人もやがては、やがては老い、死んでいかなければなりません。

いかに、相手を思い、悩み苦しんでも、届かぬ思いがある。

どんなに用心、注意しても、不慮の事故に、遭遇することがある。

すばらしい出会いにも、必ず哀しい別れがある。

人は、避けられぬ運命に出会った時、ただ、ひたすらに、祈るしかないのです。

何を祈るのかは、胸に手を当てて考えればいいのです。



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