2016/3/28 | 投稿者: pdo

【設問】

以下の括弧内に入る正しい語句をア〜オの中から選べ。

二階堂ふみ:宮崎あおい≒(   ):新垣結衣

ア 桐谷美玲 イ 橋本愛 ウ 能年玲奈 エ 夏川結衣 オ 北川景子



「すべての現実の(   )の究極の根拠は、どこまでも、資本主義的生産の衝動に対比しての、すなわち、あたかもその限界をなすのはただ社会の絶対的な消費能力だけであるかのように生産諸力を発展させようとする衝動に対比しての、大衆の窮乏と消費制限なのである。」
(マルクス『資本論』第三部 より)

ア 恐慌 イ 欲望 ウ 能年玲奈 エ 存在 オ 夢



「(   )とは人間の錯覚より起った一つの迷妄である。」
(辻潤『錯覚自我説』 より)

ア 自我 イ 現実 ウ 能年玲奈 エ 宇宙 オ 映画



「ときどきよく思うわけさ。托鉢なんかときたまやることがあるし、そしたら一軒ずつ回っていくわけだけど、そういうとき、もし何も入らないとするじゃない。そしたら俺にはすごく嬉しさが(ある)。この嬉しさっていうのを知ればさ、ものすごくこの世が簡単であることがわかる。そして、ときどき思うわけ。そういう風にして托鉢しててさ、何も食べるものがなくなってしまって、道端に倒れると。で、餓死するかもしれない。そうしたらそこへさ、スポーツカーかなんかに乗ってさ、きたねえ奴があそこに倒れてるって思うわけさ。そのときに彼に向かってね、人道に反するとか、(     )に悖るとかさ、説教を百万弁並べたとしてもさ、奴の生き方を変えることは無意味だよ。なぜなら奴はそういう時期にいてね、まさにそういう時期を辿らなくちゃならないから。球根からいきなりチューリップは咲かない(笑い)。」
(ダンテス・ダイジ 生前のテープより)

ア ヒューマニズム イ グルイズム ウ 能年玲奈 エ 職業倫理 オ 夢心理学



「作家は農夫と同じようなものだというなら、僕は喜んで作家って看板を掲げるけれど、某作家のように、まるで作家が真理を知っているかのような、正しいことを言えるのが作家だというなら、そんな看板掲げたくないですね。権力とか権威とか関係なく何かを作るなら、そこには喜んで参加したい。けれど今作家って=権威とか権力ですよね。「私はあなたの上に立ってものを語れる」立場が作家でしょ、たぶん今、人が思っているのは。そういうんじゃないってことを伝えたいんです。だから“そういうところに参加して何か書くのはできません”と書いている。最近はそういうことも書きたくないし、書いてない。それは書くのが好きになったんじゃなくて、みんながバカだから、何言ってもしょうがないということ。誰も読んでいないのに書けばいいんだってことになりますから。(     )が何で野菜を売っているのかよく分からないくらい、なんで自分が書くのか、文字を書くのか分からない。やんなきゃいけないものはやんなきゃいけないけれど、やる気が出てきたわけじゃない。」
(中原昌也 インタビューより)

ア 八百屋 イ ボーイ・ジョージ ウ 能年玲奈 エ 中原昌也 オ 石原慎太郎


「社会を変えるために破壊して、体制を崩壊させて、それから新しい社会をつくるなんて言いますけど、一度崩壊すれば、また新しい社会をつくるのに何十年もかかってしまって意味がないんですよ。崩壊によって変えるのではなく、(    )を変えることによって変えるということ、つまりあるものを壊さずにそのままにして、しかもその(    )を変えることで社会を変えるということが大切だと思います」
(オノ・ヨーコ インタビューより)

ア 価値 イ 取引先 ウ 能年玲奈 エ 芸能界 オ 事務所 


「「結局、一番大事なことって(     )ことやからね。好きなことをせんかったら表現にならへんもんね。レコーディング前にヘンに気ぃ遣うとったら、今度は表現力が弱なってもうたりするからね。ヘタでも何でもええ、好きなことを慌てんと大事にやってけたらええけど、何やかんやバタバタしてて、"相変わらずやなぁ、多分こんな感じでずっとやっていくんかなぁ..."って思いますね(笑)」
(憂歌団 木村充揮 インタビューより)

ア 好きにやる イ 嫌いになる ウ 事務所を作る エ 失敗する オ 謝る


「円満に別れるわけではありませんから、現事務所が圧力をかけるのは必至。また、活動していない間に有村架純、広瀬すず、高畑充希、松岡茉優、土屋太鳳など同世代の女優が次々にブレイクし、(      )のポジションは狭まっています。動きやすいとすれば演劇界。脚本を担当した宮藤官九郎をはじめ、『あまちゃん』共演者には演劇界の人物が多く、今でも共演者が出演する舞台には“あまちゃんファミリー”がこぞって観に行くほど、つながりは強い。当面、演劇界で鍛えてもらうというのも、この先の女優人生を考えると大切な時間になるかもしれません」
(某女性誌記者 コメントより)

ア 能年玲奈 イ 熊年玲奈 ウ 脳年齢奈 エ ナンシー関 オ 女流棋士の室谷由紀さん(ファンなので)



【設問2】

以下の文章の括弧内に適切な語句を入れた上で(括弧内には同じ語句が入る)、この文章を通して作者が伝えようとして失敗したメッセージについて、筒井康隆の作品名及び後半部分の引用元を具体的に挙げながら4万字以内で述べよ。


 最近は夢を見るということがほとんどない。いや、夢自体は毎日見ているにちがいないのだが、目が覚めた瞬間に忘れてしまって、あとになって思い出せるのはほとんどない、というのが実際のところだ。しかし、今朝見た夢だけは、どうしても忘れたくないと思い、目が覚めた後に急速に失われていく記憶の余韻を必死に手繰り寄せ、捕まえて頭脳の中に固定化しようとした。なぜなら、それは自分の大好きな女優の一人である(    )とデートすると言う夢だったからだ。今記憶に残っている限りで書き留めるならば、(    )が夫である(という設定だったかどうか夢の中では判然としないのではあるが)Daigo氏(メンタリストじゃない方の)と一緒に映画を見にに出かける予定だったのだが、急遽Daigo氏(メンタリストじゃない方の)が仕事か何かで行かれないことになり、余ったチケットが、如何なる経緯を辿ってかは不明であるが、自分に廻ってきたというわけである。
 
 自分は夢の中で(    )と一緒に映画を見に行くと言う僥倖に与った光栄に打ち震えたことをハッキリ覚えている。目覚めた状態の自分は(     )がもちろん大好きであり、空いた時間には必ず(    )の写真集「27」を眺めて過ごし、仮に現実世界で(    )に遭遇することがあれば感激する余裕もなく緊張と恥ずかしさのあまり逃亡するであろうことは微塵も疑いないが、夢の中の自分は、まさに夢の中故の性情の特質であろうか、平常時では丸であり得ない位に感動の度合いが高まり、感涙に咽び、心臓の鼓動は自分の虚弱な肉体が耐え切れないのではないかと思うほどに異常なビートを刻み、全身の筋肉がこむら返りを起こすほどに緊張し身動きが出来なくなる程であったのだ。

 チケットの番号は、○列11番と16番であったことまで覚えているが、それ以外にそもそも何の映画なのか、どんな映画館だったのかということすらまったく曖昧である。憶えているのは二人の座席が連番ではなく少し離れていたということだけである。(    )はスクリーンに向かって前方の席に座り、自分はその数列後ろの(列は同じはずなのだがそれは夢の中のご都合主義ということだろう)、スクリーンに向かって90度の位置、つまり真正面が映画館の壁の方を向いているという奇妙な椅子に座った。自分は(    )の後姿を眺めているだけで恍惚と言ってよい満足感に浸っていたのだが、自分がこの夢を決して忘れたくないと思わせる出来事がその数瞬間後に起こったのである。

 (    )は椅子から立ち上がるとこちらに近づいてきて、さあ早く一緒に、と促すしぐさをする。自分が思わず立ち上がると、突然ベッドが回転し始めて夢の中の私は目を覚ます。ゆっくりとした回転は止まらず、ベッドの片側がどんどんと床に浸食され、それに伴ってもう一方は天井に向かって上昇を始める。ベッドが半転し、私は暗闇に吸い込まれる。もう少しのところで手が届きそうだったのに間に合わず私は枕と一緒に落ち続ける。どこに落ちて行くんだろう。見上げるとベッドはほぼ一回転し終わるところで出口が閉ざされてしまう。私は落ち続ける。落ち続けながらもう向こうの世界には戻れないんだ、と私は思う。ずいぶん落ちきったところで地面らしき所に私は着地する。不思議と痛くはない。枕は途中でどこかにいってしまったようだ。見渡すと螺旋階段が見つかる。果てしなく上へと続く階段を上る決心をする。とにかく駆け上がる。かなりの距離を走ったと思うのに振り返ると上ったはずの階段が消えている。先はずいぶんと長い。そうか上ったら消えてしまうんだ、と理解する。急がなくては。全部が消えてしまう前に上りきらなくては。階段との追いかけっこに体力の限界を感じる。それでも私は走り続ける。一筋の光が差し込み、出口らしきものが見えてくる。そこで私の足が悲鳴をあげる。階段に蹴躓く。階段は消え続け、再び私は暗闇に吸い込まれる・・・

 ここで夢は終わる。目が覚めると決まって電気をつけて自分が暗闇に居ない事を確認する。この夢を見た後はいつも体がだるい。どうしてこんな夢を見るんだろう。悪い夢を見るのは良い事が起こる前兆だと聞いた事があるけどやっぱりいい気分はしないものです。同じような夢をよくみる人がいたらいいな、と思って書きました。暗闇に吸い込まれるのは言いようも無く不安だからあんまり見たくない夢なのに繰り返し見てしまう。本気で夢心理学でも勉強しようかな、なんて思っています。笑


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2016/3/22 | 投稿者: pdo

1971年1月20日の日曜日の昼下がり、上野で古美術商を営んでいる木村東介氏が店に出ると、娘が走り寄ってきて、

「レノンが来てんのよ!」と叫んだ。

明治生まれの木村氏は、レノンを知らない。

「なんだい、そのレノンてえのは」

「あらお父さん! ビートルズのジョンレノンよ! 小野洋子さんも一緒に…浮世絵を見たいと言うの」

ジョンはその年の1月13日にお忍びで来日し、25日に帰国している。そのさなかに、上野の古美術店を覗いたというわけだ。

木村氏の顔は曇った。精魂込めて蒐集した浮世絵を外人に見せる気にはなれない。日本の心ある人々に秘蔵してもらうために集めた美術には、どれも自分の心と魂が入っているから、そう安易に外人に売りたくはないのだ。氏はなるべく二流品を見せようと、心の中で意地悪くブレーキをかけた。

先に浮世絵の春画の中で、保存の悪い北斎、歌麿、栄之、春潮らを見せることにして、自宅の二階に案内した。入口の床には白隠の達磨の絵がかかっていた。

ジョンはヨーコを通じて、「これは、場合によってわけてくれるか?」と聞いてきた。

「値によって、分けてあげてもいい」と答えると、

「いくらか?」というから、

「200万」と答えた。

すると、「OK」といった。

次に、床の間の曽我蕭白に目を付けた。

「ハウマッチ?」

「45万」

「OK」

である。

続いて仙涯、これも50万でOK。そして棚につんである箱行のいいのを見て、

「これは何だ」という。

「これはあなたには無理で、日本の俳聖と言われた芭蕉という人の短冊である。中に書いてあるのは俳句というものだ」と説明した。

しかしジョンは是非見せてくれといい、床にかけた。

句は「古池や 蛙飛びこむ 水の音 芭蕉」とある。

いくらときくから、また200万といった。するとジョンは、直ちに分けてくれとおそるおそるきいてきた。

(以下引用はじめ)

私は、あなたが欲しければわけてあげてもいいと答えた。すると、彼は目を輝かして生き生きとなり、その軸を外してくれと言う。丁寧に巻いて、二重の箱に納めて渡すと、彼はそれを抱いたまま離そうとしない。そして彼は言うのである。

「ロンドンに帰ったら、この軸のために日本の家を建て、日本の茶席をつくり、床の間にこの軸をかけ、池のある庭をつくって日本のお茶を飲む。そしてその日から自分は英国人ではない、立派な日本人になり、日本人の心になって、この芭蕉や白隠や仙涯を見て楽しむから、私に譲ったことを嘆かないでくれ」

と私に心から頼むのである。私の心は、日本人に売るよりもいい人に芭蕉や白隠が行ってくれたと、これほど喜んだことはない。この日の売上げは、私が店を開店して以来最高の売上げになった。


(引用終わり)

その後、氏はジョンとヨーコを車で歌舞伎座に案内する。三人分切符を買って、一番後ろに腰を下ろした。

しかし、歌舞伎の華やかな美しさを見せようとした木村氏の意図に反して、上演されていたのは歌右衛門、勘三郎の「隅田川」の終局であった。

「隅田川」は、一粒種である梅若丸を人買いにさらわれ、京都から武蔵国の隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く、狂女物と呼ばれるストーリーである。狂女物は再会の喜びで終わるものが多いが、隅田川は悲しみのまま幕を閉じる。

土饅頭の上に衣をかけて泣き崩れる歌右衛門の演技と、それを労わるがごとき勘三郎の船頭の身のこなしが、志寿太夫の声に操られてよどみなく舞台の一角に流れている。

明るいものを見せようとしたつもりが逆になってしまったので、木村氏は低い声で隣の洋子に「外へ出ましょうか」と声をかけた。

ところが、洋子は、手にハンカチを持ちながら、ジョンの頬に伝わる涙をしきりに拭いていたのだった。

(以下引用はじめ)

これは一体どうしたというのだ。拭いても拭いてもレノンの頬の涙は、とめどなく流れ落ちてくる。歌右衛門、勘三郎の演技は、もはや終幕に近い。隅田川の劇の内容をレノンは知る由もない。清元志寿太夫の歌詞も彼にはわかるわけがない。そして歌右衛門、勘三郎のかすかなせりふのやりとりも、その意味がわかるわけがないのに、涙はとめどなく頬にふりかかる。

しかし、レノンには何もかも読み取れたのだ。それは、歌右衛門の演技力だ。歌右衛門は、我が児梅若が人さらいにさらわれたのを、日夜狂気のように探しあぐねて辛うじて辿り着いた隅田河畔、そこの土饅頭の下に埋まっている稚児さんは、その児の最後の場所と教えられ、狂気のように泣き崩れる我が子を思う母親の心を、歌右衛門の演技があたかも母に化身して演ずるのだが、一般観客以上にレノンに流れてくる。言い換えれば、「名優の演技自ずから名演奏家に通ず」の意で、レノンの涙は、歌右衛門の涙であり、歌右衛門の涙は、梅若の母の涙だったのである。


(引用おわり)

幕が下りて、場内がパッと明るくなった。ジョンの眼の下は真っ赤になっている。木村氏と懇意にしている歌右衛門に是非会いたいとのジョンのたっての願いで、楽屋を訪ねることにする。

客席から汚い奈落を歩きながら、「すみませんね、こんな汚い奈落を抜けて」と言ったら、洋子の通訳で、
「いえ、私は世界中至る所を興行して歩いたから、これ以上の汚い奈落をいくつも経験済みですから、その点お気遣いなく」

楽屋でジョンは歌右衛門と固い握手を交わし、「非常に感激した。是非ロンドンに来て、隅田川をもう一度やってくれ」と繰り返し頼んだ。

(以下引用はじめ)

その後、2,3年後に、ロンドンに歌右衛門がわたって、隅田川を上演したことは確かで、レノンが各要所要所の人々にかなり前宣伝をしてくれたことは間違いないが、レノンが感銘を受けたほどに、ロンドン市民に感銘を与えたものかどうかは甚だ疑問である。それは、日本人や歌舞伎ファンの中でも、隅田川の芝居に憧れを持つ者は稀と思う。(中略)母の心の底に潜り込んで、母の心になって演ずる歌右衛門の入神の妙技が、同じように作詞作曲を魂と共につくりこなすジョン・レノンには、ストレートに流れてきたので、泣き濡れて母を慕う稚児梅若の心は、取りも直さずレノンの心に通っていたのである。

(引用おわり)

次にパッと明るい海老蔵、福助らのお祭りを見た。手古舞が揃いの姿で舞台に並んでいて見事に美しかったが、さぞかし喜んで見てくれると思ったら、
「ノー」
といって立ち上がった。形の踊りではなく、心の踊り、魂の踊りが見たかったのだろう、と木村氏は思った。
一同は表に出て、木村氏が紹介する次の古美術店に向かった。

(引用はじめ)

芭蕉の箱を、レノンは、車の中でしっかりと抱いている。こんな純真な気持ちで、芭蕉の軸を抱え込んだ日本人がひとりでもいただろうか。白隠もいい人に売った。歌右衛門の演技を泣き濡れて涙を拭わずに見ていたジョン・レノンを、私は車の中で心から尊敬すると、後日金を貰うことが一瞬罪悪のようにも思えた。しかしその金は、事実受け取るには違いないのだが……。

(引用おわり)

このときに買った白隠の達磨の絵が、ジョンの自宅に飾ってあるのを、『イマジン』というドキュメンタリー映画の中で確認することが出来る。
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2016/3/22 | 投稿者: pdo

以前の記事で少し書いた、『ビートルズってなんだ? 53人の"マイ・ビートルズ"』(講談社文庫)という本を、実家に行ったついでに持ってきた。現在は入手困難な本なので、中身を改めて紹介したい。

村上龍がまえがきで書いているとおり、ビートルズは最初ポップミュージシャンで、聴いていたのは10代の女の子が中心で、知識人は無視していた。

それが変わっていき、現代音楽家がサウンドを褒め、現代詩人が歌詞を褒め、詩や評論の雑誌が特集を組むようになった。

この本に登場し、ビートルズについて論じるのは、寺山修司、北杜夫、大佛次郎、遠藤周作、いいだもも、竹中労、草野心平、谷川俊太郎等々といった、日本の権威ある知識人といった人々である。

彼らの多くはビートルズより上の世代に属するので、同時代を共に過ごしたファンのような熱気はなく、醒めた目でビートルズという現象を眺めている。

昔はこの手の文章は腹が立って読めなかったものだが、今はこっちだってそういう権威者たちのピント外れな御意見を醒めた目で読むことができる。そう言う目で読んでも、卓見と思われるものも確かにある。しかし、哀しいかな、やはり彼らの言葉には対象との距離があり、ビートルズが身体精神の一部に同化されてしまっている同時代のファンたちの書く文章から伝わってくるようなリアリティに欠けている。

僕にとっては、

ビートルズとは何よりもこのリアリティのことだ。

それでも、この本の中で忘れられない文章がある。

一つは、以前の記事で紹介した飯村隆彦の「僕にLOVEを歌ったジョンが死んだ」というエッセイ。

もう一つは、木村東介という古美術商の書いた文章である。

「ジョン・レノンと歌右衛門」というタイトルがついている。

これについては改めて書く。



ビートルズってなんだ?―53人の\"マイ・ビートルズ\" (講談社文庫)
作者/村上 龍, 香月 利一

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2016/3/14 | 投稿者: pdo

ウーマン ジョン・レノン

意訳

Woman I can hardly express

うまく気持ちを言葉にできない

My mixed emotions at my thoughtlessness

思慮に欠ける自分の入り混じった感情を

After all I'm forever in your debt

結局のところ 僕は君に永遠の借りがあるんだ

And woman I will try to express

何とか伝えようとしてみるよ

My inner feelings and thankfulness

僕の内なる感情と感謝の気持ちを

For showing me the meaning of success

なぜなら君は僕に成功の意味を教えてくれたから

Woman I know you understand

君なら分かってくれると思う

The little child inside of the man

男の内側には小さな子供がいることを

Please remember my life is in your hands

忘れないでほしい 僕の人生は君の手の内にある

And woman hold me close to your heart

君のハートの親密なところに僕を抱いてほしい

However distant don't keep us apart

どんなに離れていても僕たちを分かつことはできない

After all it is written in the stars

結局のところそれは星の中に書かれているから

Woman please let me explain

どうか説明させておくれ

I never meant to cause you sorrow or pain

けっして君に悲しみや苦痛を与えるつもりはなかった

So let me tell you again and again and again

だから僕は何度も何度も何度も君に言うよ

I love you,Now and forever

君を愛している 今もこれからもずっと


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2016/3/11 | 投稿者: pdo


このところ立て続けにビートルズについて書いていたら、

なんと、ジョージ・マーチン氏(90歳)死去のニュース。

『「5人目のビートルズ」は世界に何万人もいる』というジョークがあるが、その呼び名が真にふさわしいのは、ブライアン・エプスタインでも。ピート・ベストでも、スチュワート・サトクリフでもなく、このジョージ・マーチンだろう。

誰もが口を揃えるように、彼の存在がなければ、ビートルズの作品はあのような形にはならなかったし、その音楽のマジックも半減していたのではないか? と思う。

これは、ジョージ・マーチンだけではなく、ジェフ・エメリックをはじめ当時のEMIの録音スタッフが奇跡的に優秀であったという歴史の偶然(?)も作用している。

ビートルズの7年にも満たないレコーディング・キャリア全体を通して、ジョージ・マーチンの影響力は圧倒的なものがあるが、彼の人生の中で、そしてビートルズの歴史の中で最高の一日(ベスト・アンド・ブライテスト・デイ・イン・ザ・ライフ)を選ぶとしたら、それは、本日からちょうど53年と1か月前、デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を録音した1963年2月11日ということになるだろう。

(以下ウィキペディアより転載)

午前10時にビートルズとプロデューサーのジョージ・マーティンはスタジオに入り、約3時間のセッションを3回繰り返し、10時間弱でシングルで既に発表されていた4曲を除く10曲を仕上げ、事実上わずか1日でアルバムを完成させた。時間と予算が限られていたことから、ほとんどの曲は原則一発録り(当時は2トラック録音のため、演奏と歌は同時録音で、それぞれが1つずつのトラックに録音された)で制作された。

レコーディング当日、ジョン・レノンは風邪をひいており、その影響でヴォーカルがやや鼻声になっている。ジョージ・マーティンはジョンの喉への負担を考慮し、ツイスト・アンド・シャウトの録音はセッションの最後に行い、ジョンはこの曲をワンテイクで仕上げた。後にジョンは「ビートルズの(当時の)ライヴ感の生々しさを出しているという点ではこのアルバムが一番近い」と解散後に発言している。

(転載おわり)

今はアルバムだけでなくブートレッグなどでこの日の録音の様子を聴くことができるが、この日のことだけで、優に一冊の本が書けるだろう。

まだ自分が何者なのか、何者になるのか、本人達もジョージ・マーチンもよく分かっていなかったこの時の期待と不安の入り混じったワクワク感がたまらない。すべてが始まる前の永遠の一瞬。

ジョージ・マーチンも亡くなって、ビートルズもいよいよ歴史上の人物化が進行しつつある。

ポップ・ミュージックの聖者に音楽の神の祝福を。偉大な業績に感謝。








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