2016/1/12 | 投稿者: pdo


昨日から考え続けているのだが、デヴィッド・ボウイについて、よく知っているつもりだったのに、以外と何も知らないことに気づいた。

彼のリリースしたアルバムは、80年代までのものは全部聴いている。大好きな曲はたくさんある。というよりほとんど大好きだ。

ルー・リードやジョン・レノンその他のミュージシャンと共演した作品も素晴らしいものばかりだ。仲のよかったTレックスのマーク・ボランとは、グラム・ロックの一時代を築いた。

でも、デヴィッド・ボウイという人が結局何を残したのか、改めて考えてみると、よく分からない。

変わること(CHANGES)それ自体が彼のアイデンティティだったともよく言われる。

変幻自在という言葉がふさわしいアーティストとして彼以上の存在は見当たらない。

変化し続けながら、常に時代の最先端の、ヒリヒリした場所にいた。

ボウイを見ていさえすれば、時代(音楽、演劇、ファッションその他のコンテンポラリー表現一般)の一番肝心な部分は攫んでいられた。

ファンの多くが「おや?」と思い始めたのは、『レッツ・ダンス』の頃だろう。

ナイル・ロジャーズと組んで、ダンサブルで、キャッチーで、売れ線の曲を、何か吹っ切れたようにやりだした。もちろん今聴いても大傑作である。

自分にとってのボウイはやはり、「スペース・オディティ」であり、「フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年」であり、「ジギー・スターダスト」であり、「ロックンロール・スイサイド」であり、「レベル・レベル」であり、「ヤング・アメリカン」であり、「ゴールデン・イヤーズ」であり、そしてあの「ヒーローズ」までである。

「ヒーローズ」の中で彼は、「誰もが、一日だけは英雄になれる」と歌った。英雄(ヒーロー)は日々入れ替わり可能な存在になった。

その後のボウイは、超一流の中でもさらに別格のアーティストであり続けたが、唯一にして絶対の英雄ではなくなった。別にそれで構わない。最期まで最高のアーティストであり続けたのだから。

バンドではなく個人のロック・ミュージシャンとして、デヴィッド・ボウイを超える存在はいないし、これからも現れないだろう。

これは、あのニルヴァーナがライブでカバーして90年代に再び有名になった名曲だ。




THE MAN WHO SOLD THE WORLD / DAVID BOWIE

世界を売った男/デヴィッド・ボウイ


俺たちは階段の上で出くわした

昔のことについて話した

俺はそこにはいなかったが、奴は俺が奴の友達だと言った

それは俺にとってちょっとした驚きだった

俺は奴の眼をまっすぐに見つめて言った

お前はとっくの昔に、ひとりぼっちで死んだと思っていたよ


いや違う、俺じゃない

俺は自分を失ったことはない

お前がいま面(ツラ)を突き合わせているのは

世界を売った男なんだ


俺は笑って、奴と握手した それから家に帰った

俺は人影と土地を捜して、何年も何年もさ迷い歩いた

ここにいる無数の連中を目を凝らして眺めた

俺たちはとっくの昔に、ひとりぼっちで死んでいたに違いない


誰が知っているというんだ? 俺じゃない

俺たちは決して自分を見失ったことはない

お前がいま向かい合っているのは

世界を売った男なんだ


誰が知っているというんだ? 俺じゃない

俺たちは決して自分を見失ったことはない

お前がいま向かい合っているのは

世界を売った男なんだ
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2016/1/12 | 投稿者: pdo


昨夜からDAIGO氏(メンタリストじゃない方)と北川景子さんの記者会見が何度も放送されるのを見て頬が緩みっぱなしになってしまう。

(以下、北川景子のことを「景子さん」と書きます。理由は、自分が女優北川景子に対して勝手にかつ一方的に人間的な親しみを覚えていることと、昨日婚姻届を提出した時点で「北川さん」ではなくなっているので、「北川さん」と呼ぶよりは「景子さん」と呼んだ方がふさわしいだろうと勝手にかつ一方的に判断したことによる。)

景子さんは、かなり緊張していたようにも見えたけれど、幸せオーラの方がはるかに勝って輝いていた。8歳年下なのに早くも夫の手綱を握っている感じも伝わってきた。

義理のお姉さんになる漫画家の影木栄貴さんのブログでも祝福されていて、とてもいい関係が伝わってくる。
今後是非、影木栄貴さんの漫画エッセイの中で色々なエピソードが描かれることを期待している
『エイキエイキのぶっちゃけ隊!!』は面白く読ませてもらいました)。

結婚のタイミングは、色んな意味で“ピンポイントでドンズバで最高”だったのではないかと思う。

景子さんにとって思い入れの深い森田芳光監督の代表作『の・ようなもの』の35年後を描いた『の・ようなもの のようなもの』(北川景子準主演)の公開を目前に控えているというのも感慨深い。

景子さんは、森田監督について、「間宮兄弟で森田監督に出会い、演出していただいてから私は本気で"女優になりたい"と思いました。それからというもの"もう一度森田監督と仕事がしたい"という一心で積極的にお芝居に取り組んできました。私に将来の夢と目標を与えてくださった森田監督を、私は18の事からずっと敬愛しています。」と語っている。

この作品については、16日(土)のTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の中で特集されることになっているようなので、それも楽しみにしている。

あとこれはつまらないことだが、今朝の日テレのワイドショーで景子さんと親しい伊藤綾子アナがインタビューされていて、「二人で食事しているとDAIGO氏が途中から加わって三人になることがよくあった」と語っていたが、綾子さんとしては内心複雑だったのでは、などと余計なことを思ったりもした(本当に余計な心配であることを願う)。

自分にとって、北川景子は、インドア派で、グラムロックが好きで、深刻な小説の愛読者で、文章が上手くて、生真面目で、いつでも内面の切迫感や焦燥感と葛藤していて、華やかな外面に憧れていて、いい意味での野心家で、何か宿命のようなものを感じながら生きている人だ。彼女の天賦の才能と言ってよい卓越した美しさについては今さら何を語る必要もない。

DAIGO氏との結婚を機に、というより、結婚後も変わらず、一層魅力を発揮し続けてくれると思う。

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