2016/1/21 | 投稿者: pdo


東京外国語大学で行われた菊地成孔氏の講演会を聴きに行ってきた。

オリジナル音源を含むいろんな音源を聴きながら、「言語と音楽はどのくらい似ているのか? あるいは似ていないのか?」を探求する(?)刺激的で興味深い内容だった。

音階を持たない言語の発話は不可能



キリスト教世界はなぜ<5>を排除したのか?




フーガと対位法〜音楽にあって言語にないもの(同時通訳とかは?)



頭のいい人の話を聞くと何となく賢くなったような気分になるのだが、自分は相変わらず4拍子と5拍子の違いもよく分からないまま気分だけで音楽の好き嫌いを決めていくんだろうな。

音楽リテラシーを上げるというのは、ニュースなどの情報リテラシーを上げるのと同じように、これからは音楽愛好家の嗜みになるのかもしれない。

そういえば小沢健二がまた活動再開するとか

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2016/1/19 | 投稿者: pdo

『ザ・ビートルズ解散の真実』という本は読んでいて中々辛い。



4人がバラバラになって「ザ・ビートルズ」ではなくなり、アレン・クラインをはじめ胡散臭いビジネスマンたちの餌食になって、金銭や権利関係を巡って法廷闘争に明け暮れるさまが詳細に描かれている。

しかし、この4人は解散してからも決して顔を合わせていないわけではなく、ちょくちょく行き来している。4人全員が揃うことはなかったが、それぞれのソロ作品で一緒にレコーディングもしている。

この4人の間には、傍から見ているだけではわからない、兄弟の絆にも似たものがあったんだろうなと思う。だからビジネス面では揉めたが、お互いの人格は最後まで尊重し合っていた。

「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ」というジョンの泣かせる言葉がある。

ポールも「ずっとジョンに認めてもらうために(音楽を)やっていた」と言っている。




さて、昨夜の(わずか2分ちょっとの)生放送で「謝罪」したSMAPだが、一体誰に向けて謝罪したのか?

どう見ても「メリーさんとジャニ―さん」に公共の電波を使って謝罪させられているようにしか見えなかった。

「ファンに対する誠意」というが、彼らの眼はファンの方を見ているようにはとても見えなかった。

果たして、例えば「ザ・ビートルズ」の4人が、全世界に向けたテレビの生放送で、あんな風に振る舞うことを強制される様子を想像できるだろうか?

もっともジョン・レノンは「ビートルズはキリストより有名だ」と発言したことを記者会見で弁明させられたが、それは放置すれば彼らの生命が危なかったからであり、ジョンはマネージャーのブライアン・エプスタインに指定されたラジオ番組を休暇だからとすっぽかして録音メッセージで済ませたという。

付け加えれば、SMAPのメンバーは皆40代のいい大人だが、ビートルズは当時全員20代だった。

日本社会(芸能界はその縮図だ)の嫌な部分を見せられたという不快感だけが残る、とても後味の悪い「生放送」だった。

※1月20日追記

ちなみに、不快感を覚えたのはあくまで「運営サイド」に対してであって、メンバーに対してはない。

中居らは「木村に裏切られた」と思っているだろうし、木村の方では「俺がSMAPを救った」と思っているだろう。どっちにも言い分はあるし、そういう確執は時が経てば水に流せるものだろう。

しかし、SMAP育てのマネージャーに「出ていけ」と言い放ち、退社させた後はSMAPをそのまま手の内に収めようとする事務所のやり方には嫌なものを感じる。

このままだともう一波乱あるんじゃないかな、と密かな期待を抱いている。




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2016/1/14 | 投稿者: pdo

今、『ザ・ビートルズ解散の真実』(ピーター・ドゲット著)という本を読み始めているのだが、日本の某国民的アイドルグループも解散するのしないので揉めているとか。

日本のショービジネスの世界は、基本的に大手芸能事務所が牛耳っていて、彼らほどのビッグなタレントでさえ、円満でない形で事務所を独立すれば干されてしまうというのが現実のようだ。

最近では能年玲奈が記憶に新しい。(乞復活!)

海外のショービジネスには詳しくないが、基本的に芸能事務所というのはタレントが自分をマネージメントさせるために作るもので、事務所に雇われているスーパースターというのはあまりいないのではないか。

ビートルズが、ブライアン・エプスタインを失ってから作った「アップル」という会社は、マネージメントだけでなく、いろんなことに手を出し過ぎて、しかもまったく地に足がついていなかったために大失敗し、解散へとつながるのだが、それは自業自得という物で、今回のスマップのように大手事務所の派閥争いにタレントが巻き添えを食らうというパターンとは違う。

キムタクが事務所に恩義を感じて独立を思いとどまったとか言う話もあるようだが(まったく別の話もあるようで真偽のほどは不明)、ここで「義理」とか「人情」とか言う話になるのがまた日本的だなあと思う。

いっそ独立したSMAPのメンバーがいろんな場所で大活躍して芸能界の慣行を変えてくれれば面白いと思うのだが、そこまでは期待できないか。

こういう日本的慣行(タレントにとっては奴隷的拘束を強いられる束縛でしかない)がなくならないのは、事務所の責任ではなく、タレントを発注する側の問題である。
いいタレント(女優)なら引き上げとかバーターとか気にせずに堂々と使えばいいじゃないか。

それにしても、北川景子の結婚はつくづくこれしかないドンズバのタイミングだったよなあ。日ごろの行いの良さがこう言うところに現れるのかな、なんて思ったりもする。
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2016/1/12 | 投稿者: pdo


昨日から考え続けているのだが、デヴィッド・ボウイについて、よく知っているつもりだったのに、以外と何も知らないことに気づいた。

彼のリリースしたアルバムは、80年代までのものは全部聴いている。大好きな曲はたくさんある。というよりほとんど大好きだ。

ルー・リードやジョン・レノンその他のミュージシャンと共演した作品も素晴らしいものばかりだ。仲のよかったTレックスのマーク・ボランとは、グラム・ロックの一時代を築いた。

でも、デヴィッド・ボウイという人が結局何を残したのか、改めて考えてみると、よく分からない。

変わること(CHANGES)それ自体が彼のアイデンティティだったともよく言われる。

変幻自在という言葉がふさわしいアーティストとして彼以上の存在は見当たらない。

変化し続けながら、常に時代の最先端の、ヒリヒリした場所にいた。

ボウイを見ていさえすれば、時代(音楽、演劇、ファッションその他のコンテンポラリー表現一般)の一番肝心な部分は攫んでいられた。

ファンの多くが「おや?」と思い始めたのは、『レッツ・ダンス』の頃だろう。

ナイル・ロジャーズと組んで、ダンサブルで、キャッチーで、売れ線の曲を、何か吹っ切れたようにやりだした。もちろん今聴いても大傑作である。

自分にとってのボウイはやはり、「スペース・オディティ」であり、「フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年」であり、「ジギー・スターダスト」であり、「ロックンロール・スイサイド」であり、「レベル・レベル」であり、「ヤング・アメリカン」であり、「ゴールデン・イヤーズ」であり、そしてあの「ヒーローズ」までである。

「ヒーローズ」の中で彼は、「誰もが、一日だけは英雄になれる」と歌った。英雄(ヒーロー)は日々入れ替わり可能な存在になった。

その後のボウイは、超一流の中でもさらに別格のアーティストであり続けたが、唯一にして絶対の英雄ではなくなった。別にそれで構わない。最期まで最高のアーティストであり続けたのだから。

バンドではなく個人のロック・ミュージシャンとして、デヴィッド・ボウイを超える存在はいないし、これからも現れないだろう。

これは、あのニルヴァーナがライブでカバーして90年代に再び有名になった名曲だ。




THE MAN WHO SOLD THE WORLD / DAVID BOWIE

世界を売った男/デヴィッド・ボウイ


俺たちは階段の上で出くわした

昔のことについて話した

俺はそこにはいなかったが、奴は俺が奴の友達だと言った

それは俺にとってちょっとした驚きだった

俺は奴の眼をまっすぐに見つめて言った

お前はとっくの昔に、ひとりぼっちで死んだと思っていたよ


いや違う、俺じゃない

俺は自分を失ったことはない

お前がいま面(ツラ)を突き合わせているのは

世界を売った男なんだ


俺は笑って、奴と握手した それから家に帰った

俺は人影と土地を捜して、何年も何年もさ迷い歩いた

ここにいる無数の連中を目を凝らして眺めた

俺たちはとっくの昔に、ひとりぼっちで死んでいたに違いない


誰が知っているというんだ? 俺じゃない

俺たちは決して自分を見失ったことはない

お前がいま向かい合っているのは

世界を売った男なんだ


誰が知っているというんだ? 俺じゃない

俺たちは決して自分を見失ったことはない

お前がいま向かい合っているのは

世界を売った男なんだ
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2016/1/12 | 投稿者: pdo


昨夜からDAIGO氏(メンタリストじゃない方)と北川景子さんの記者会見が何度も放送されるのを見て頬が緩みっぱなしになってしまう。

(以下、北川景子のことを「景子さん」と書きます。理由は、自分が女優北川景子に対して勝手にかつ一方的に人間的な親しみを覚えていることと、昨日婚姻届を提出した時点で「北川さん」ではなくなっているので、「北川さん」と呼ぶよりは「景子さん」と呼んだ方がふさわしいだろうと勝手にかつ一方的に判断したことによる。)

景子さんは、かなり緊張していたようにも見えたけれど、幸せオーラの方がはるかに勝って輝いていた。8歳年下なのに早くも夫の手綱を握っている感じも伝わってきた。

義理のお姉さんになる漫画家の影木栄貴さんのブログでも祝福されていて、とてもいい関係が伝わってくる。
今後是非、影木栄貴さんの漫画エッセイの中で色々なエピソードが描かれることを期待している
『エイキエイキのぶっちゃけ隊!!』は面白く読ませてもらいました)。

結婚のタイミングは、色んな意味で“ピンポイントでドンズバで最高”だったのではないかと思う。

景子さんにとって思い入れの深い森田芳光監督の代表作『の・ようなもの』の35年後を描いた『の・ようなもの のようなもの』(北川景子準主演)の公開を目前に控えているというのも感慨深い。

景子さんは、森田監督について、「間宮兄弟で森田監督に出会い、演出していただいてから私は本気で"女優になりたい"と思いました。それからというもの"もう一度森田監督と仕事がしたい"という一心で積極的にお芝居に取り組んできました。私に将来の夢と目標を与えてくださった森田監督を、私は18の事からずっと敬愛しています。」と語っている。

この作品については、16日(土)のTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の中で特集されることになっているようなので、それも楽しみにしている。

あとこれはつまらないことだが、今朝の日テレのワイドショーで景子さんと親しい伊藤綾子アナがインタビューされていて、「二人で食事しているとDAIGO氏が途中から加わって三人になることがよくあった」と語っていたが、綾子さんとしては内心複雑だったのでは、などと余計なことを思ったりもした(本当に余計な心配であることを願う)。

自分にとって、北川景子は、インドア派で、グラムロックが好きで、深刻な小説の愛読者で、文章が上手くて、生真面目で、いつでも内面の切迫感や焦燥感と葛藤していて、華やかな外面に憧れていて、いい意味での野心家で、何か宿命のようなものを感じながら生きている人だ。彼女の天賦の才能と言ってよい卓越した美しさについては今さら何を語る必要もない。

DAIGO氏との結婚を機に、というより、結婚後も変わらず、一層魅力を発揮し続けてくれると思う。

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