2014/10/28 | 投稿者: pdo

 
 砂山の 
 砂に腹這い 
 初恋のいたみを
 遠く思い出ずる日


以前このブログかどこかに書いたような気がするが、自分が物心ついて最初に自覚的に好きになった女優というのは、長谷川真弓さんだった。

長谷川真弓といっても、知らない人の方が多いだろう。

子役としていろんなドラマに出演していて、自分が見たのは、NHKの連続ドラマ『太陽の子』(灰谷健次郎原作)での主人公「ふうちゃん」役で、完全にやられてしまった。

『太陽の子』は原作の小説も読んでいて、主人公の「ふうちゃん」を好きになった。普通、原作が好きでドラマ化されると幻滅するものだが、長谷川真弓の「ふうちゃん」は自分のイメージの斜め上を行っていて、子供心に感動していつもドラマを見ながら胸がどきどきした。

当時小学校6年生で、自分と同い年だったと後になって知った。

その後、出演作品を追いかけてはいたが、今ひとつぱっとした作品がなくて、10年も後になって『予備校ブギ』(主題歌が確かフリッパーズ・ギターだった)というドラマに出たときに久しぶりに見れて嬉しかったのが印象に残ったが、もう子役ではなかった。

今ではもう二児の母親として、テレビなんかにも出て活躍を続けている。

なんでいきなりこんなことを書いたかと言うと、今放送中のドラマ『ごめんね青春!』に出ている生徒会長役の黒島結菜を見て長谷川真弓さんのことを思い出したから。

なぜ自分が彼女に惹かれるのかと考えたら長谷川さんに似ていることに気づいた。そっくりというわけではないが、佇まいがなんとなく似ていて、要するにタイプなんですね。
すみません。以上です。

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タグ: 黒島結菜

2014/10/20 | 投稿者: pdo


宮藤官九郎脚本で、満島ひかり主演のドラマ『ごめんね青春』が始まった。

2話が終わったところだが、なかなか楽しく見ている。

満島ひかりの役どころは、厳格なキリスト教の女子高の鬼(?)教師で、「愛のむきだし」風に啖呵を切ったり、回し蹴りを食らわしたりと、コメディ要素が強い。

近頃は「WOMAN」など、シリアスな役柄が多かったので、こういうのも面白い。

個人的に注目しているのが、生徒会長役の黒島結菜

顔立ちがはっきりしていて、台詞もハキハキしていて印象に残る。

第1話で、教師の原平助(錦戸亮)に食って掛かった演技(「先生、これ授業ですか?」)はすごいインパクトがあった。

これからストーリーにどう絡んでくるのか楽しみだ。


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タグ: 宮藤官九郎

2014/10/10 | 投稿者: pdo


CSで映画『グッモー・エビアン!』をやっていたので録画して見る。

能年玲奈が『カラスの親指』と『あまちゃん』の間に撮った作品ということになる。

詳しく論じるようなタイプの映画ではないので感想もあまりないのだが、能年玲奈の演技はやはり目を引くものがあった。

緩急のつけ具合、陽と陰のコントラストが効いていて、能年玲奈だという目で見なくても印象に残る。全体の印象としてはとてもかわいい。

主演の三吉彩花もなかなかいいと思ったが、表情の豊かさという点でどうしても能年玲奈と対比してみてしまう。

二人がドーナッツを食べながら喧嘩してしまい、別れた後で能年玲奈が独りで泣く場面があって、それと『ホットロード』の演技を見比べると、クオリティが確実に上昇しているのが分かる。

彼女が大人の女性を演じるべき時期が来て、どんな演技を見せるのかに思わず思いを馳せた。

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2014/10/9 | 投稿者: pdo


ぼくは、島崎藤村という作家の、「新生」という小説を読みました。

この小説を読もうと思った理由は、島崎藤村(しまざき「ふじむら」ではなくて「とうそん」と読みます。)という名前は明治の有名な小説家というのを聞いたことはあったけれど、実際の作品を読んだことがなかったのと、「新生」というタイトルが変わっていておもしろそうだったからです。

ぼくは、読み始めてから、文章が思ったほど読みにくくなかったのと、文章がリズムというかテンポがいいので、まるで詩などを読んでいるかのように読みやすかったです。

最初のほうで、主人公が自分のお兄さんの娘と一緒に暮らしていて、主人公は妻を亡くしているので、子どもたちの母親代わりなのかなと思っていると、その娘が主人公の赤ちゃんができたというのを読んで、やっぱりなと思いました。

でも、子どもたちにとっては、自分の父親の兄弟の娘が母親(父親の奥さん)になるというのはちょっと変な気分だろうなと思いました。

主人公は、娘(節子といいます。)から赤ちゃんができたというのを聞かされて、すごく焦って、悩んでしまうということがその後にずっと書かれています。でも、主人公がいいと思って、二人ともいいと思ったから赤ちゃんができたのだと思うので、主人公が悩むのが不思議だなと思いました。

主人公は、赤ちゃんが節子のお腹にいるときに、一人でフランスに旅に出ようと決めました。お兄さんには節子のことを言おうと思ったけれど言えなくて、船に乗ってから手紙を書きました。ぼくはこれを読んで、節子の気持ちが小説には書かれていないので、節子はどんな気持ちだったのか考えました。節子はきっとさびしかっただろうなと思いました。

主人公は、一人でフランスに行こうと決めたときに、節子に「好い話があるよ」というのですが、なぜ主人公だけがフランスに行ってしまうのが「好い話」なのか、いくら考えてもよく分かりませんでした。

節子は、フランスに行った主人公に、何回も手紙を出しましたが、主人公はその手紙を全部破り捨ててしまったと書いています。ぼくは、主人公がなぜ節子の気持ちのこもった手紙を破り捨ててしまうのか分かりませんでしたが、主人公は節子が嫌いになったのだと思いました。でも節子は主人公が好きだったと思うので、かわいそうだなと思いました。

ぼくは、主人公がフランスにいたときの話は退屈だったので飛ばし読みしてしまいました。
ぼくは、ここまで読んで、主人公のことが嫌いになってきました。日本では、お兄さんの嫁(節子の母親)から、「岸本(主人公の名前です。)のおばさん」と呼ばれたりしている節子がかわいそうだと思いました。節子は、せっかく赤ちゃんを産んだのに、よその家にもらわれていって、会えなくなったというのを読んで、もっとかわいそうだと思いました。主人公が日本にいたら、こんなことにならなかったのにと思って、主人公に腹が立ちました。

ここまでが前半で、後半では主人公が日本に戻ってきて、節子がすごく弱っているのを見て、かわいそうになって、主人公が節子とまたつきあうという話になります。ぼくは、節子は主人公が好きで、またつきあえることになったので節子にとってはよかったなと思いましたが、主人公のことが嫌いだったので、あまりうれしくありませんでした。

それから、二人がつき合っているときに、主人公が小さな子供の人形を節子に渡して、節子が泣いてしまう場面があって、読んでいてすごくいやな気持ちになりました。

ぼくは、主人公が、兄弟の娘である節子と結婚できない(法律でそう決まっているから)のを知っているのに、また節子とつきあおうとする主人公の気持ちが、いくら考えても分かりませんでした。

ぼくは、主人公の気持ちがあまりにも分からないので、ぼくのお父さんに聞いてみました。お父さんは、自分にもよく分からないけれど、人間というのは分からないものなんだと、よけい分からなくなるようなことを言いました。

ここで、この本を感想文のテーマにしたのを失敗したと思いましたが、ここまで読んでしまってやめるのはもったいないので、がんばって続きを読みました。

ぼくは、続きを読んでびっくりしました。主人公が、節子との話を、そのまま小説に書いて発表したということが書かれていました。それが、この「新生」という小説のことなのでした。そのことで、主人公は、兄(節子の父)から縁を切ると言われ、節子はもう一人の兄と一緒に台湾に連れて行かれ、そこで小説が終わりました。

主人公は、節子がこのことを喜んでいたように書いていますが、ぼくはそうは思えませんでした。むしろ主人公の方が喜んでいるように思いました。

ここまで書いて分かると思いますが、この主人公の岸本という人は作者の島崎藤村のことです。小説を読んだ後で調べたら、節子というのは、実際のめい(兄弟の娘)のたま子という人のことです。

小説は、たま子が台湾に行ったところで終わっていますが、実際はたま子は数年後に台湾から戻って、藤村(とうそん)と別れて、羽仁もと子という人の学校で働くことになり、さらにその後は、京都で学生運動をやっている男の人とつきあったり、戦時中は戦争に反対して警察の拷問を受けたりしたそうです。

何十年も後に、たま子が貧しくて街の中で行き倒れになって施設に運ばれたとき、新聞に「新生」のモデルだと大きく書かれたので、藤村はその時結婚していた妻にお金を渡して施設に届けさせたそうです。

余計なことまで書いてしまいましたが、この小説は、ぼくにとっては分からないことばかりでした(一番わからないのが、なぜこの小説のタイトルが「新生」なのかということです)。文学作品というのは奥が深いのでもっといろいろな本を読んで勉強しないといけないと思いました。

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2014/10/8 | 投稿者: pdo

日本映画専門チャンネルで「吉永小百合が選ぶ日本映画特集」ということで、成瀬巳喜男監督の『浮雲』を放映していたのを見た。

映画自体は暗い話だが、高峰秀子の輝きに惹きつけられて最後まで見た。

主演男優の森雅之は、いかにも私小説文学の主役が似合いそうな役者だと思って見ていたが、文学者有島武郎の息子だという。

ドラマチックといえばそうだし、平凡な話といえばそうもいえる、それでも何だか見る者を捉えてしまうのは、映像そのものに力があることと、やはり深刻な重さを抱えた終戦後の日本という時代を背景に背負っているからに違いない。

今の日本社会を舞台にすれば、同様の話はもっと軽々しくなってしまうだろう。大状況との関わりではなく、ミニマルな(たとえば)家庭環境の話に収束せざるを得まい。

そして個々の俳優の持つ演技の重みと輝きもまた、彼らが無意識に背負っていた時代状況というものを抜きにしては考えられないだろう。

映画が放映された後で、吉永小百合が最も憧れる女優として高峰秀子について語っていた。
もちろん高峰秀子と吉永小百合は、同じ「女優」という言葉でカテゴライズするのが不自然なほどに異なった存在ではあるが、今の若い女優から見れば吉永小百合が彼女にとっての高峰秀子に相当する位置にあるのだろう。

映画の最後は「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」という言葉が表示されて締めくくられる。自分はそれを見て、なんとなく「昭和は遠くなりにけり」という言葉を思い出した。
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