2014/6/24 | 投稿者: pdo


ブラジルで行われているワールドカップを毎日見ている。

僕が初めてリアルタイムでワールドカップを見たのは1982年で、それを見るために我が家はVHSのビデオデッキを初めて購入した。地元のサッカークラブに通っていた僕は、土曜日の夕方にやる海外サッカーの番組「三菱ダイヤモンドサッカー」に映る選手たちを崇敬していた。当時は海外のサッカークラブの試合が見れる番組はそれしかなかった。その選手たちが戦う舞台をリアルタイムで見れることに興奮した。

82年のスペイン・ワールドカップの試合はNHKで半分くらいは放映された。マラドーナがまだ若く、2次リーグのブラジルとの試合で相手選手のボディーに蹴りを入れ、一発退場になったのを見て、夜遅く起きてテレビを見ていた僕はショックを受けた。イタリアとの試合でジェンチーレというDFに徹底マークされ、削られ、ブラジル戦でも思うように活躍できずストレスが溜まっていたのだろう。それでも1次リーグのハンガリー戦で見せた左足のゴールは物凄かった。

結局、イタリアのFWロッシが覚醒して、2次リーグでブラジルを打ち破り、一気に優勝した。
このときのブラジルは、黄金の中盤と呼ばれ、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの4人が見事な連係プレーを見せて世界中のサッカーファンを魅了した。誰もが優勝すると思っていたから、2次リーグでの敗退はとてもショックだった。

続く1986年のメキシコ大会は、「マラドーナの大会」として誰もが記憶している。マラドーナの活躍がずば抜けていたことは言うまでもないが、この大会に出場したブラジルとフランスも素晴らしいチームだった。準々決勝で激突したこの2チームの死闘は、僕が見た歴代ワールドカップで最高の試合の一つだった。

フランスは当時最盛期にあった皇帝プラティニを擁し、ブラジルはジーコを怪我で欠いていたがソクラテス中心に黄金の中盤を形成していた。ブラジルが先制し、プラティニのゴールでフランスが追いつく。後半途中から出場したジーコの最初のプレーが必殺の縦パスで、これがPKとなったが、ジーコはこれを外してしまう。延長戦でも決着がつかず、PK戦となり、プラティニが外すというアクシデントもあったが、フランスが勝利を収めた。フランスは勝つには勝ったが、この試合で全精力を使い果たし、準決勝では西ドイツにあっさりと敗れた。

アルゼンチンがブラジルともフランスとも対戦しなかったという幸運も含めて、この大会はまさにマラドーナのためにあったような大会だった。イングランド戦での伝説の「神の手」ゴールと5人抜き、ベルギー戦の密集地帯突破によるゴールなど、彼にしかできないプレーのオンパレードだった。このときのマラドーナの輝きを超える選手は今後も現れないだろう。今大会のメッシが期待されているが、どうなるだろうか。

1990年のイタリア・ワールドカップもまたマラドーナの大会だった。ただし今度は悲劇のヒーローとして。マラドーナは当時イタリアのナポリというクラブでプレーし、同クラブの救世主となっていた。しかし皮肉なことに、準決勝ではマラドーナ率いるアルゼンチンは開催国イタリアを敵に回して戦うことになった。誰もがイタリアの勝利を確信していたが、PK戦の末、アルゼンチンが勝ってしまったことにより、マラドーナはイタリアの全国民からブーイングを浴びる立場になってしまった。

決勝の西ドイツ対アルゼンチンは、前回のメキシコ大会と同じ対戦だったが、今回は凡戦だった。西ドイツがPKを決めて1−0で勝ったが、試合的には見どころがなかった。マラドーナは満身創痍で、彼を支えるチームメイトがおらず、得点源のカニーヒャは退場処分で出場できなかった。僕は当時この決勝戦のNHKの実況を見ていて、サッカーにはまったく門外漢の巨人の王貞治が解説を務めていることに苛立ち、彼が「アルゼンチンの選手には覇気がない」とコメントしたのを見て発狂しそうになったのを覚えている。

この大会で注目すべき試合は、マラドーナのアルゼンチンと、オシム監督率いるユーゴスラビアとの一戦だった。スコアレスドローでPK戦となったため、注目されていないが、オシム監督の生涯ベスト・バウトだったのではないか。

さて、僕にとって、真に記憶に残るワールドカップはここまでである。

1994年以降のワールドカップは、見るには見ていたが、本当に身体の底から揺さぶられるような興奮を覚えたことはない。これは自分の年齢とも関係するのだろう。多感な思春期に経験したことと大人になってからの経験はどうやっても質的に異なるものにならざるをえない。

その意味では、多感な時代に82年、86年、90年のワールドカップを見れたことは幸運だったと思う。ここにはサッカーで味わうことのできるすべてのドラマとすべての輝きがあった。人生(サッカー)で必要なことは全部これらのW杯から学んだとさえ思っている。

僕は未だに、日本代表がワールドカップで戦っている姿を現実と思えない。

1998年のフランス大会に日本は初めて出場したが、日本人がワールドカップという舞台で戦う資格があるとはどうしても思えなかった。それほど僕はワールドカップというものを神聖化していた。

他の国の選手は、本当に命を懸けて戦っている。それだけの意気が日本のサッカー選手にあるとは思えなかったし、技術的にも大きな開きがあるのは歴然だった。

2002年の日韓共催のワールドカップは、僕にとってはワールドカップという名前を借りた余興にしか思えなかった。開催国のアドバンテージで1次リーグを突破したが、まだ100年早いよ、というのが正直なところだった。

だから2006年のドイツ大会で日本代表が無残に1次リーグで敗退した時にもショックはなかった。むしろ当たり前だと思った。日本がワールドカップで勝つなんて許されないと思っていた。

2010年の南アフリカ大会で日本が1次リーグを突破したときには驚いた。このときは日本は非常にいいゲームをした。本田を始めとして、今後の可能性を期待させるに足る活躍だった。

事実、その後、本田や長友や香川といった選手が、ヨーロッパのビッグクラブに入っていったのを見るにつけ、2014年のブラジル大会への期待は高まっていった。


今日、日本にとって今回のW杯の最終戦となるであろう、コロンビア戦を前にして、僕の気持ちは、1998年当時とそれほど変わらない。

日本代表にワールドカップという舞台に立つ資格があるとは思えない。

「絶対に勝つ」などと言うのは100年早い。

この舞台でプレーできる幸運と喜びを存分に味わってほしい。

そしてできれば、観戦している僕たちにもその喜びが伝わるようなプレーをしてほしい。

以上

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