2010/10/21 | 投稿者: pdo

NHKのMHKについての感想のつづきだけど、前にも書いたけどあれを見て「笑えなかった」とか「松本衰えたな」とかの感想を書いてる人が異様に多いのが僕にとっては逆に異様に思われた。意外にも松本にとって時代の風は逆風なのだろうか。

僕個人はどのコントも素直に笑ったし、特に「ビUFOアフター」で解体業者がUFOの壁を思いっきりブチ抜いて天井から大量のホコリが舞い落ちる場面では腹筋が割れそうになるほど笑った。

実は僕も結構あの番組「大改造ビフォーアフター」の家族ぐるみのファンで、アスベスト問題があって毎週の放送がなくなるまでは欠かさずチェックしていた。もちろん種々のツッコミを入れながらである。

それこそ「匠(たくみ)」という存在そのもののおかしみから始まって、リフォームじゃなくて新築でしょそれは、とか、おじいちゃんの形見の品を勝手に利用してんじゃないよだいたいそれって建築士の仕事なの?とか、あの番組には素人目にも本当にツッコミどころ満載なのである。そして司会の所ジョージは決してそうした部分には突っ込まないのである。

松本のあのコントは、パロディというよりは逆に、あの番組が潜在的に持っていて誰もが感じている「笑い」の要素をデフォルメして示してくれたということだと思う。昔とんねるずとかナイナイとかのよくやっていた人気番組のパロディとは明らかに別種のものだ。

前置きが長くなったが、僕は「ダイナミックアドベンチャーポータブル」のようなコントがたとえば「ビジュアルバム」収録のコントと比べて引けを取るとはまったく思わないし、逆に「ピー助」や「スカイハングリンジャー」や「実業団選手権大会」などの松本の生み出した最高峰のTVコントに比べて劣っているとも感じなかった(逆に進化しているとも感じなかったけど)。

でも視聴者の多くはそうは思わなかったということは、僕及び松本の感性がおかしいのか、逆に松本がコントを発表しなくなったこの10年の間に受け手の感性が退化してしまったのかのどちらかということになる。いずれにしても深刻な事態かもしれない。もちろん元々松本の笑いに興味のない人にはまったく関係ないことではある。

もう一つの可能性としては、わが身を振り返って思うのだが、松本を批判している人の多くには、松本に代表される「(現在の)吉本的笑い」の持つ権力性のようなものへの反発があるのではないか。それはMHKの翌日に放映された「プロフェッショナル」で、この20年以上変わらず松本の側に位置して共同作業しているスタッフの姿を見ることによって逆説的に増幅されているのかもしれない。

僕自身、笑いの「手順」や「技法」を過度に強調することで本来自由であるべき笑いというものを逆に堅苦しいものに変えてしまった松本を筆頭とする吉本勢力に対して敵対心すら持っていた時期がある(鳥居みゆきが出てきたころの本ブログを見れば明らか)。

マキタスポーツらが「東京ポッド許可局」で「すべらない話論」というテーマでこのへんのことを面白く語っていて、僕も共感するところが大きい。
そして吉本興業の場合、今のテレビ業界をあまりにも席巻しすぎているため、この反発はより根深いものでありうる。

でも、結局、面白いものは面白いのだ。コントを見て笑うことと、コントを見て生まれる笑いを分析することの楽しみ、この二重の快楽を松本のコントは与えてくれた。このことはやっぱり評価しないといけない。

一つ僕が知りたいのは、MHKを見て「全然笑えなかった」と言っている人は、何を見て笑っているのか、ということだ。その答えを知れば、どっちの感性がおかしいのか逆にはっきりするのだが。残念なことに、僕は最近の笑いには疎いのだ。「キングオブコント」も見たことがないし・・・


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