2009/11/30 | 投稿者: pdo

最後に,これは自分でも確信が持てない部分ですが・・・

マイケルが幼いころの父親との関係について語っている文章。

父はいつだって僕にとっては不思議な存在でしたが,彼もそのことを意識していました。僕がとても悔やんでいる数少ないことのひとつに,彼と本当の意味で親しくなれなかったことがあります。彼は何年かかけて,自分の殻に閉じこもってしまいました。ファミリー・ビジネスに口を挟まなくなってから,僕らと付き合いにくくなったのかもしれません。僕が家族と一緒にいると,彼は黙って部屋を出て行ってしまいます。未だに,いわゆる父と子の関係というものが苦手なんです。あまりにまごついてしまうのです。そんな父を見ていると,僕の方もどうしていいかわからなくなってしまいます。 p32-33(下線部引用者)

原文は

My father has always been something of a mystery to me and he knows it. One of the few things I regret most is never being able to have a real closeness with him. He built a shell around himself over the years and, once he stopped talking about our family business, he found it hard to relate to us. We'd all be together and he'd just leave the room. Even today it's hard for him to touch on father and son stuff because he's too embarrassed. When I see that he is, I become embarrassed, too.

下線部について,上記日本語訳では,父親が息子たちのビジネスに関わらなくなった,メジャーデビュー以降について,つまり将来のことについて述べているように思われますが,これは,当時の話,つまり子ども時代の関係のことを言っていると考えた方が自然なのではないでしょうか。

だから,下線部を意訳すれば

お父さんは,長い間に自分自身の周りに壁を築き上げてしまったので,僕たちと音楽ビジネスの話をするとき以外には,僕たちとどう関わっていいか分からなかった

ということになるのだと思います。そして,

家族が皆同じ部屋にいると,お父さんは部屋を出て行ってしまう

のです。

ジョー・ジャクソンという人間の,自分の息子たちとさえ生身の人間として関わることが難しいという謎の人格と深い孤独感が伝わってきます。


マイケルと父親の,いたるところで語られるストーリーを踏まえた上で,映画 This Is It の中で,マイケルが I'll Be There
を歌いあげた後,

そうだ,こう言おう・・・ジョー,キャサリン,感謝してます,ありがとう

と言う場面を見ると,涙が溢れるのを抑えるのに苦労します。


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2009/11/30 | 投稿者: pdo

日本語版p188,ジャクソンズのアルバム『トライアンフ』に収録されている「ハートブレイク・ホテル」についてのくだり。

人を安全な場所に連れ戻してくれるものや,連れて来られた場所の音がなければ,脅えさせても意味がないのです。

原文は

there's no point in trying to scare someone if there isn't something to bring the person back safe and sound from where you've taken them.

ですから,おそらく訳者は safe and sound の sound を「音」と誤解したのでしょう。

脅えさせた後で,その人を再び安心させるようなものがないのなら,誰かを怖がらせようとする意味がありません。

とでも訳す方がいいと思われます。

ちなみに,これは同曲の最後のピアノとチェロのコーダ部分についてのコメントです。

個人的には,マイケルが「ハートブレイク・ホテル」や「ビリージーン」などの「復讐」をテーマにした歌を作ったのは,僕にはその感情が理解できないからだ,と言っているのが興味深かったです。


次に,これはあからさまな誤訳。p197の

『スリラー』というアルバムを作るのは非常に大変な仕事でしたが,はまり込んでしまった何かから逃げだすために努力しただけ,というのも本当です。

原文は

Making the Thriller album was very hard work, but it's true that you only get out of something what you put into it.

下線部はもちろん,

人は(作品に)注ぎ込んだだけのものしか得られない

という意味です。なぜあんな訳になったしまったのか不思議です。


次は,かなり重要な誤訳です。「ビクトリー・ツアー」についてのくだりで,昔のツアーのスタッフに指摘された言葉からマイケルが大切な教訓を学んだと語っている部分ですが,

コントロールされているのだと彼に言われて,僕は目が覚めました。(p.271)

これはまったく逆で,原文は

When he told me I was in control, I finally woke up.

ですから(太字引用者),

コントロールしているのは僕なんだと彼に言われたとき,僕はついに目覚めました。

と訳すべきです。

これは何のことを言っているのかというと,マイケルは,「スリラー」の後,兄弟たちに半ば無理やり参加させられた「ビクトリー・ツアー」のときに,自分のキャリアを自分でコントロールすることの重要性を痛感したと述べているのです。

その重要性に気付かせてくれたのが,以前のスタッフに言われた「スタッフはあんたのために働いているんだ。あんたがスタッフのために働いているんじゃない。あんたがスタッフに金を払っているんだよ」という言葉だったといいます。

マイケルはこれを,何から何までモータウンの管理下にあった過去の自分の立場との対比という文脈で語っています。モータウンを出た後も,いわばモータウン時代のマインドコントロールが抜けきっていなくて,前述の男の言葉でようやく「脱洗脳」できた,と言っているわけです。

以後,マイケルが自覚的にポップ・ミュージック史の中で特異なキャリアを築いていくのは周知のとおりです。
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2009/11/30 | 投稿者: pdo

田中康夫訳のマイケルの自伝『ムーンウォーク』(河出書房新社)を一通り読んでみました。

原文とも読み比べてみても,おおむねよい翻訳だと思います。ただ,日本語では文章が軽い語り口調になっていることについては,好みの問題があるかもしれません。

もっとも,担当編集者のあとがきによれば,マイケルのインタビューをもとにしてライターが書いたものだということなので,語り口調も個人的にはアリだと思っています。

上記のことを前提に,いくつか誤訳を指摘させてもらいます。ニュアンスの問題ではなく,明らかな誤訳も含まれます。

まず日本語版(2009年11月初版)p179 

ところで,「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」には,とても多くの思いが詰まっています。

ですが,

原文は

But I got too wrapped up in "She's Out of My Life."

なので,

しかし,僕は「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」に没頭しすぎました。

でしょう。

少し意訳すれば,

しかし僕は,「シーズ…」の歌詞の世界に入り込みすぎました。

でしょうか。

この後,レコーディングで泣いてしまったという有名なエピソードが続きます。

ちなみに,この曲の意味についてマイケルが解説している文章(p178)は,

「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」は,僕を他人から隔てている壁は,一見,簡単に飛び越えられそうなくらい低いのに,自分の熱望していたものを見失った今も,その壁は依然として立っているんだということを歌った曲です。

と訳されています(下線部引用者)。

原文は,

"She's Out of My Life" is about knowing that the barriers that have separated me from others are temptingly low and seemingly easy to jump over and yet they remain standing while what I really desire disappears from my sight.

です(下線部引用者)。

下線部は「自分が本当に欲しているものが目の前から消えようとしているときに」とでもしたほうがより正確だと思います。

マイケルの言わんとしている意味を自分なりに解釈すると,文字通りのことなのですが,「僕はほかの人とは違う」という認識と,その認識のために他人といつも完全に打ち解けることができない,見えない壁をいつも感じている。そして,自分のもっとも愛する人との関係の中でも,その違和感をどうしても克服することができない。その結果,愛する人が自分から去ってしまうのを煩悶しながら孤独に嘆いている歌,ということです。

たしかに非常に重いテーマであり,マイケルの人生を象徴するような楽曲といえるかもしれません。

なお,この曲についての文章の最後のくだり,スタジオで泣いてしまったマイケルが,

後になって僕は弁解しましたが(p179)

の apologize は,「弁解した」よりは「謝った」と訳すほうが素直な気がします。

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2009/11/27 | 投稿者: pdo

六本木で3回目の This Is It を見て,マイケルの自伝 MOONWALK の日本語訳を買う。

映画館は超満員で,こんな大勢の人が映画館に詰めかけるのは初めて見た。年齢層も実に幅広い。考えてみたら「スリラー」の当時20歳だった人はもう47歳なんだもんね。

「ムーンウォーク」は最初のほうしか読んでいないが,誤訳も思ったより少なく,なかなかいい翻訳だと思う。

ヤッシー,やるね。

全部読んだらまた感想を書く。
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2009/11/9 | 投稿者: pdo

プリンスといっても,マイケルの子供のことではない。

80年代にマイケルと並んでブラック・ミュージックとロックの垣根を取っ払った革命児,プリンス・ロジャー・ネルソンのことである。

1982年から83年にかけてチャートを席巻したMJの「スリラー」の直後,プリンスは1984年,「パープル・レイン」で大ブレイクを果たした。

その出自と音楽史に果たした役割から,両者はどうしても比較の対象となる運命にある。

もっとも,マイケルは基本的にシンガー及びダンサーであり,傑出したパフォーマーとして後世に名を残す天才であるのに対して,プリンスは,あらゆる楽器をスタジオ・ミュージシャン並みに弾きこなす生粋のミュージシャンであり,音楽家として後世に名を残す天才である。

もちろんMJも作曲はするし,プリンスも超一流のパフォーマーなのは言うまでもないが,二人の才能と活動領域は完全に重なるわけではない。

当然ながら,ミュージシャン受けは圧倒的にプリンスの方がいい。音楽的アイディアの豊富さではプリンスの才能に比肩する者がいない。一方,MJに関しては,80年代以降「音楽的には語るに値しない」というのが暗黙の了解みたいなところがあった(今となってはかなり不当な評価にも思えるが)。

僕自身,初めて買ったレコードが「パープル・レイン」であり,それ以降も一貫してプリンスを聞き続けてきた。この頃のプリンスには神がかり的なところがあって,「パープル・レイン」の直後に出た「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」から「パレード」,「サイン・オブ・ザ・タイムス」「ラブセクシー」という一連の作品は,当時のすべてのミュージック・シーンを威圧する輝きを放っていた。

同時期のマイケルは,「スリラー」の後,満を持して発表した「BAD」の評価がいまひとつぱっとせず,大衆的な人気はともかく音楽面では完全にプリンスに引き離されていた。

「BAD」という曲はプリンスとのデュエットを念頭において書かれたという。

実際にMJがプリンスにコラボを申し入れたという有名なエピソードがある。会談は30分で終わり,プリンスは「僕がいなくてもこの曲は売れるよ」とクインシー・ジョーンズに言い捨てて去っていったらしい。確かに当時プリンスがあの曲に参加するメリットは何もなかっただろう。楽曲として成功したとはとても思えないし,実際MJがプリンスを「BAD」のどこにどう絡ませるつもりだったのかいまだに想像がつかない。

直接これと関係ないが,BADのアルバムには「ジャスト・グッド・フレンズ」というMJとスティービー・ワンダーのデュエットが収録されている。これも二人の競演にしてはいまひとつの出来だ。「スリラー」を超える作品を作らなければならないという猛烈なプレッシャーの下,MJは途方もない模索を続けていたのだろう。

プリンスはMJとクインシーが仕切った「ウィー・アー・ザ・ワールド」への参加も断っている。当時のプリンスの先鋭的なアーティスト・イメージから考えて,この判断も正解だったといわざるを得ない。まあ,単に背の低いプリンスが他のミュージシャンと並ぶのを嫌がったという話もあるが。

二人が大ブレイクの夜明けにあった頃,ジェームス・ブラウンを介して一瞬だけMJとプリンスが同じステージに立ったことがある。YOUTUBEなどでも見られる動画なので目にした人も多いだろう。ここでの二人のパフォーマンスが示唆的である。

まずMJがJBにステージに呼ばれ,ほんの少しだけ甘い歌と激しいダンスを披露する。続いてプリンスがJBに呼ばれる。プリンスはあまり気乗りしない様子だが,“ゴッドファーザー・オブ・ソウル”JB御大に呼びつけられては,出て行かないわけにも行かず,ボディーガードを引き連れて舞台に進んでいく。

プリンスはギターをプレイする。アンプの調子が悪くよく聞こえないのが残念だが,非常にファンキーである。その後,おもむろに上半身を露出させ,奇声を発し,マイクスタンドを使ってJBばりの動きを披露する。

この一瞬のパフォーマンスに,二人の特徴が見事に現れている。マイケルが甘い歌とキレキレのダンス,プリンスがエロチックで奇抜なパフォーマンスとファンキーなギタープレイ。二人の共通項はJBにある。マイケルとプリンスはJBの二つの要素を別々に進化させたといえるのかもしれない。



MJとプリンスの直接の共演はなかったものの,80年代後半に,ジャネット・ジャクソンとジャム&ルイスという,MJの妹とPの弟分によるコラボレーションが実現した。これはご存知の通り大成功を収めており,ジャネットとジャム&ルイスによる「コントロール」,「リズム・ネイション1984」,「Janet.」は,いまだに色褪せない傑作群である。

マイケルはプリンスにかなりの対抗意識を燃やしていたと思う。自分が最高でないと我慢できない人間だから,音楽的にプリンスが自分より評価されているという事実が受け入れられなかったに違いない。最後のロンドン公演の数を50ステージに増やしたのは,同じ場所で21ステージやったプリンスの記録を塗り替えるためだった。

マイケルは,This Is Itツアーの舞台監督オルテガに「ステージ上にナイアガラの滝をつくろう」と提案し,オルテガが「もうこれ以上派手にする必要はないよ」と思いとどまらせようとすると,「夢で神が僕に告げるんだ。僕がやらないとプリンスに先を越されるかもしれない」と言ったという。

これは邪推かもしれないが,「King Of Pop」という名称は,「プリンス」に対して「キングは俺だ」ということをはっきりさせるためではなかったか。

一方,プリンスの方でもマイケルを意識していなかったはずはない。
しかしアーティストとしての自分を知り尽くしているプリンスは,自分がパフォーマーとしてのマイケル,芸能スターとしてのマイケルに勝てないことは十分に悟っていた。

だから,賢明にも,その分野でのガチの勝負は徹底して避けた。その代わり,「音楽では絶対に負けない」という自信はあったと思う。

プリンスが何度もマイケルのオファーを断ったのは,自分が引き立て役になることを拒絶するのと同時に,マイケルと絡むことが,芸能史的な意義はともかくとして,プリンスのミュージシャンとしてのキャリアにとって損にしかならないと分かっていたからだ。

90年代,どんどん人間離れして「ポップ・イコン」化していくマイケルとは対照的に,プリンスはどんどん人間的になっていく。特に「エマンシペイション」以降,その傾向は顕著だ。

あくまでも「絶対的に最高 Baddest」であることにこだわり続けたマイケルに対して,プリンスはセールスよりも精神性を重視した,余裕をもった活動を行っているように見えた。

その結果,皮肉なことに,セールス面でも音楽的評価でも,プリンスは再び頂点に達する。2000年の「レインボー・チルドレン」と続く初の2枚組ライブ・アルバム「ワン・ナイト・アローン」のクオリティーの高さは感動的ですらあった。

二人ともレコード会社とは鋭く対立したが,その方法はまったく異なっている。マイケルはソニー相手に正面から喧嘩を挑み,講演やデモを通して世間に訴えた。

プリンスはワーナーと決裂した後,インターネットを通じた独自の販売網を確立しようとした。その後も作品の販売方法に関して種々の実験的試みを続けている。ここでも成功を収めたのはプリンスの方だった。

マイケルの被った一連のスキャンダル攻撃や,あやうく冤罪で刑務所にまで行くところだった刑事裁判を頂点とする不当な疑惑は,有名税と言うにはあまりにも大きな代償であり,悲劇としかいいようがない。

プリンスは,もともと品行方正なイメージとは無縁で,むしろスキャンダラスな部分を売りにしていたことから,マイケルのような被害には逢わずに済んでいる。

パブリックイメージの操作という点では,プリンスはもう一人のスーパースター,マドンナに引けを取らない巧者である。

マイケルは,世界一の標的となるスーパースターでありながら,この点について無防備すぎた。周囲の人間にも問題があったのだろう。それにしても,捜査当局がマイケルに対して示した悪意は,単なる有名人に対する嫉妬だけでは説明がつかない。キング牧師の暗殺とも通じる,アメリカ社会の暗部を示す物語だと思う。

マイケルは生前「僕の命を狙っている人間がいる」と真剣に考えていたらしい。プリンスは,2000年頃の記者会見で,マイケルについて「彼は僕たちが知らないものを知っているんだよ」という趣旨の意味深な発言をしている。もしかしたらプリンスは,悪意ある勢力によってマイケルに覆い被さる不吉な影のことを示唆していたのだろうか。

二人はライバル同士でありながら,お互いの実力は認め合っていた。この話の真偽は不明だが,マイケルはコンサートのリハの際,バンドのスタッフに対して,「プリンスのところへ行って勉強して来い」と言ったことがあったらしい。プリンスは,マイケルが亡くなったとき,「これで音楽から本当のダンスが失われた(本当に踊れるアーティストがいなくなった)」と呟いたとか。

映画「This Is It」の中で,マイケルが女性ギタリスト,オリアンティに「ここは見せ場だから,もっと高い音を!」と指示しながら,ステージに並んで演奏する場面がある。一瞬,僕の中で,オリアンティが弾いている場所でド派手なギターソロをぶちかますプリンスの姿が脳裏に浮かんだ。ああ,この競演を一度でいいから目にしたかった。

トム・ペティなどからなるバンドがジョージ・ハリソンの「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」をプレイしている最中に,プリンスが突如現れて,嵐のようなギター・ソロをやって去っていくビデオがある。MJのコンサートでこんな場面が見れたら,僕はもう現世で思い残すことはない。だが,もはやそれもかなわぬ望みとなってしまった...




(追記)
上のビデオをよく見ると,プリンスは「突如現れた」のではなく,最初から隅っこの方でバンドと一緒にプレイしている(赤い帽子・・・)。
嘘かもしれないが面白いのでついでに書くと,プリンスはこのビートルズの名曲をこのとき初めて聞いたらしい(笑)
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