2007/6/13 | 投稿者: pdo

じつに25年ぶりくらいに、『マカロニほうれん荘』が読みたくなり、全巻セットで購入して一気に読んだ。

僕の世代には、このマンガによって笑いの初期衝動を与えられ、笑いのツボを刷り込まれた者たちが無数にいる。

当時は、なぜ面白いのかわからないまま、文字どおり腹がよじれるほど笑っていた。
いま読み返して、すべてのコマとすべてのセリフをはっきり覚えている自分に気づく。もうさすがに息ができなくなるほど笑うことはないが、読みながら、真の才能だけが提供しうる圧倒感にある種の感慨を覚える。

連載後期の、いわゆる作者の「壊れてきた」時期にはすでに離れていたので、今になってほとんど初めて読んだ。確かに、8巻位からヤバイことになりかけていて、最終巻である9巻の話はどれもいっぱいいっぱいだ。それでも、ところどころに入魂の描写はある。だが最終回でついに力尽きた、というかんじ。

当時を振り返って鴨川つばめ氏は次のように語っている。


(週刊SPA! 1992年08月12/19合併号より、引用開始)

 当時いちばん忙しい時は、週刊誌が月5本に増刊が月2、3本。その他に掲載誌の表紙も描いてた。だけど自分は酒井さんの最後の弟子だと思ってたから、どんなにキッくても手が抜けないんです。編集者は「アシスタント入れろ」っていうんだけど、僕にとってそれは手抜きなんです。コマの隅々にまで作者の主張がないと読者は共感できないですよ。だからほとんど全部一人で描いてました。

 3日徹夜なんてのはザラで、5日間ブツ通しで仕事したこともありましたね。市販の眠気覚ましのアンプルが手放せなかった。心腹がドーンとなる強い薬を大箱で買って、一日十本以上飲んでました。「マカロニ〜」を描いてた時は、この作品と心中してもいいっていう気持ちでしたから。

 そんな生活ですからアウトプットばかりでインプットするヒマがない。だから「マカロニはうれん荘」には僕が20歳になるまでの10年間に得たものすべてを注ぎ込んだんです。それを3年間で使い果たした。連載が終わった時は、もうカラッポです。
 カラッポだけならいいんだけど、最終回はひどい手抜きでね。自分がいちばん堕落したマンガ家になってた。ひどい傷を受けましたね。

 20代前半なのに心身ともにボロボロで。薬の副作用で心腹は止まりそうになるし、対人恐怖症にはなるし。毎日フトンに横になったまま天井を見てました。いざとなったら首切って死ねるように枕の下に果物ナイフを入れてね。その状態が3か月続いたのか半年だったのか、時間感覚がないんでわからないんですが。

(引用おわり)


あの圧倒的なギャグのリズム感を生み出すために、文字どおり命を削っていたこと、そしてついに臨界点を超えて神経を焼き切ってしまったことが分かる。

今回、怖いもの見たさもあって、『マカロニ2』も買って読んでみたが、まるでシド・バレットの3枚目のソロアルバム(実在しない)を聴いているようだった。

人間の深淵がぽっかり口を開いてそこに転がっている。こんなものが少年誌に掲載されたというのは、悪い冗談でしかない。

誰にも真似のできないものすごい仕事を残すのと引き換えに、戻ってこれないところまで精神を酷使することの意味を考えさせられた。
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