Memoria

2017/7/29 | 投稿者: pdo

日暮里のSCAI THE BATHHOUSEという場所で開かれているアピチャッポン・ウィラーセタクンの展覧会「メモリア」を見てきた。

クシャクシャした日常の些末で陰惨な思考に囚われた頭のまま向かったのだが、小さな会場の中に入った途端、思考が停止して日常とは別の空間に放り出されたような感覚があった。

空間そのものが一つの作品のような展示会で壁にかけられたヘッドフォンを耳に付けると統合失調症で母親を亡くし兄の子どもから聞こえる悪魔の囁きを消すために子どもを殺してしまった35歳の男の物語が語られていた。

無料なのでそれほど見応えのある内容でもなく15分か20分ほどで会場を後にすると暫くの間気分が落ち着いて谷中霊園を歩いたがまた日常の些末で陰惨な思考に囚われた。

自己認識は、なんらかの内的な拒絶、したがってなんらかの「傷」を伴わずにいないが、それらはどんな辛辣なものであっても、ただ快適に頭の中を通過するものでしかない。要するに、それは自己認識ではなくて、自己納得にすぎない。

彼我の差異を理解することは大切だが、本当に重要なのはむしろ自分自身のプリンシプルをもつことではないのか。そして、自己認識とはまさにそのようなものだと私は思う。
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ




AutoPage最新お知らせ