2010/4/14

ご満足いただけましたでしょうか。  

葬式にお坊さんを呼ばないというのは、現実的に充分可能な話だ。

お坊さんを呼ぶ理由の最たるものは故人に戒名を付けてもらうということだろうが、そもそも戒名はお釈迦さまが生きていたころには無かったものだし、お布施の金額によって戒名が変わるというのもおかしな話だ。もしあの世があったとして、私だったら現世と違う名前で後ろから呼ばれてもまず振り向かない。(笑)

お坊さんを呼んでおいて「戒名は要りません」とも言いにくいので、舅さまの残した「坊さんも戒名も要らん」というのは理に叶っている。
戒名がなくても現世で使っていた名前(俗名)で弔えばいいだけの話だ。
最近でも故忌野清志郎の位牌に書かれていたのは本名ではなかったけれど「忌野清志郎」という俗名だった。

ではそれでお葬式をやってみよう〜〜!、と考えてみた。
お坊さんがお経を読まないので、間が持たない。静まり返った中で一人ひとりお別れを告げるのもアレなので、舅さんの好きだった映画の曲や好きだった歌手(どちらもほとんど洋楽)を思い出しながら葬儀の前日にCDを作った。
他にも姑さまからのリクエストで、2号と私とでギターを弾くことに。これは前もって斎場に話を聞きに行ったときに行われていた葬儀で楽器を運び入れている子供達がいたのを見ていたからだろう。プロの奏者を呼んでやる音楽葬もあるけれど、車椅子でギター教室の発表会にまで来てくれた舅さまなので、ここは頑張って一夜漬けでも私達が弾きましょう!ということにした。
司会進行も業者には頼まず、ダンナがやることに。「このたびは誠に・・・」なんてわざとらしく神妙な挨拶を業者さんから聞くのもイヤだったし、とことん自分達でやることにこだわってみた。

わざとらしく神妙というか、自分の父親の葬儀を見ていても思ったのだけど、「葬儀は悲しくなきゃいけない」みたいな業者による「作られた悲しみ」という雰囲気が、特にダンナの家には似合わない。そういう意味では今回の公共の斎場(働いている人が委託の民間業者ではなく、完全に市の職員)というのは良かった。

そのエピソードの一つとしておぼえ書きしておきたいのは、葬儀30分前にもなろうかという時まで舅の遺影ができていなかったこと。

遺体を運び込むと同時に遺影用の写真(親戚の結婚式のときに舅さま姑さまが満面の笑みで写っている)も渡してあったのに、おかしいおかしいと姑と話していたら、申し訳無さそうに職員の人が来て、

「実は・・・」

うっかり作り忘れていたんだろう、くらいに思っていたら、その予想をはるかに上回っていて、

「間違えて奥さん(姑さま)の写真を引き伸ばしてしまいました・・・」


・・・私、姑さま爆笑。
プロの業者さんなら、これが本当のことでもまず身内には口が裂けても言わないだろう。

すかさず私、

「せっかくだから、もらって帰ったら?」


言った後で(マズかったな??)と一瞬思ったのだけど、姑さまも、

「そうやねぇ、どうせいつかは用意せんなんしぃ〜」

せっかくもらって帰る気になったのに、何故か職員の人にはその後
「縁起悪いかもしれんし、こっちで処分しておきますわぁ・・」と言われてしまった。(ショボーン)

とまぁ、そんな家なのだ。(どんな家だ!)


式の流れとしては結局のところこんな感じ(ダンナのブログの記事リンク)になった。

あと、親や自分の親戚の葬儀で常々思っていたのは、「仕出しの弁当はマズい」ということ。1号の学校が始まっていたこともあって、葬儀の開始は2時にした。火葬が済んだら夕方になるので、後はみんなで舅さまの好きだった中華料理店に移動して、遺影とお骨を前に楽しく想い出を語り合いながら食事会をして、最後はせっかく一族集まったので笑顔で集合写真(もちろん舅さまも遺影で参加)を撮って終了した。

形式ばったお葬式ではないので、会葬御礼代わりにみんな笑顔の集合写真を来てくれた人達に送る予定だ。


葬儀を終えて・・・

はっきり言って、葬儀業者に頼むより全然面倒くさい。(爆)
でも、家族にとっては納得のいくというか、充実感のある葬儀になったと思う。
舅さまにはご満足いただけましたでしょうか?

クリックすると元のサイズで表示します
夕暮れの桜。(震災記念公園にて)
これから毎年、桜を見るたびに舅さんを思い出すんだろうなー。

姑さまの暴走を止めてくれる人(舅さまのこと)がいなくなって、これから大変なことがたくさん増えることだろう。でもお嫁ちゃんゆっきは頑張ります。見ててください、舅さま!!

2010/4/7

舅さまの遺志。  

姑さまと舅さま、そして2匹の猫とで穏やかに過ごした2年ほどの間に、おばちゃん(姑さまの姉)の死という出来事があった。

おばちゃんはこれまでブログに書いたこともあるように、普通の人とは違うところがありすぎた人なのだけれども、一度自分でも死を覚悟したことがあった舅さまはおばちゃんの死に思うところがあったようで、

「自分が死んだら、坊さんは呼ばんでえぇ」「戒名もいらん」

と、姑さまに伝えていたのだった。

もともとの家系では「もんとさん」(浄土真宗)らしいのだけど、舅さまの両親はキリスト教で、舅さまも生まれてすぐ幼児洗礼を受けている。かと言ってその後も教会に通っていたというわけでもなく、親戚にはキリスト教の人も神道の人もいたりする。舅さまの両親は舅さまが子供の頃に亡くなっているので今まで確認することもなく、親戚兄弟みなバラバラの方法で信仰、法事諸々をやってきたのだ。
一般的に故人の意思を生前に確認しておく機会はなかなかないものだけれど、舅さまがこうやって少しでも言い残してくれたことで、葬儀でそれほど悩むことはなかった。


大動脈瘤・・・私の父の時は破裂とほぼ同時に亡くなったのだが、例え手術ができたとしても予後は非常に悪い。姑さまからも「ゆきさん、またお願いね〜」と今回も早々に葬儀の段取りを丸投げされたので、舅さまが手術後のICUに入っている間、お見舞いの合間に姑さまを連れて葬儀場に行って話を聞いたりパンフレットをもらったりしていた。

その資料の中の一つに『私について』というものがあった。
クリックすると元のサイズで表示します
これは何かというと、自分が死んだ後に家族が困らないように残しておく覚え書きだ。
葬儀以外で葬儀場に足を運ぶ人は、家族の葬儀を控えている人か、自分が死んだときのための見学以外にないのだから、こういうものが置いてあることに納得すると共に感心してしまった。

クリックすると元のサイズで表示します
内容は、遺影に使って欲しい写真に始まって、宗教宗派、加入している互助会、葬儀に希望すること、希望しないことや、想い出、好きな音楽や花、友人の名前と連絡先、財産についてという項目もあり、残された家族が葬儀で悩むであろうことには一通り触れられている。
最後には署名捺印欄があり、証人欄はないので正式な遺言ほどの効力はないだろうが、この紙1枚で非常に簡潔に自分の考えをまとめられるようになっている。

ICUで寝かされたままの舅さまに書いてもらうわけにはいかないけれど、自分やダンナに何かあった時の子供達のためにと持ち帰ってきた。


舅さまの「坊さんは呼ばない、戒名もいらない」は、私が死んだときの希望と同じだ。
なので舅さまを送り出すのは、私の理想の葬儀を形にしてみようと思ったのだった。


(さらに次回につづく)

2010/4/7

舅さまのこと。  

舅さまが亡くなった。そのことについてダンナもブログに書いたので、私はその他のことを書き残しておこうと思う。


3年半ほど前、舅さまは片足を切断する手術を受けていた。動脈硬化やら糖尿病やらで血管が細く、脆くなる原因が元々あり、いよいよ足が腐ってきてしまったのだ。
ヘビースモーカーが祟って日頃から呼吸もゴロゴロゼェゼェ言っていて、一応その道のプロ(?)のダンナが見ても「これほど呼吸状態の悪い人は他の患者さんでも見たことがない」と言うほどだったので、手術が済んでもその後の人工呼吸器を外すタイミングが担当の医師でも掴めなかったのだろう、半年近くICUに入っていた。挿管していた期間が長かったためか抜管しても声が出なくなってしまい、最初はみな舅さまの話を聞き取れなかった。

その入院から奇跡的に退院した舅さまは、脚を切ったことに落ち込んで寝たきりになるだろうという周りの予想に反してリハビリに意欲的に取り組み、最初の入院から一年後には自力で車椅子に移って姑さまと一緒に外に出られるようにまでなった。
(後に親戚のおじさんに聞いたところ、舅さまは昔から「頑張り屋さん」で通っていたらしい。若い頃サッカーで国体まで行ったのは、元々運動神経が良かったわけではなく努力の賜物だったのだと、そのおじさんは話してくれた。)

入院している間にそれまで続けてきた診療所を閉める手続きをしたので、仕事は完全に引退した。
それまでずっと職場と家の往復の生活で、引退したらどうなるかと思っていたのだけど、姑さまの運転する福祉車両に乗って買い物に行ったり外食に行ったりと、楽しそうだった。
その行動エリアは西神ニュータウンや湊川市場、三宮やハーバーランド、春日野道の商店街、西宮のガーデンズや私たちの住む家にまで及んだ。
車椅子生活になった舅さまには不謹慎な発言かもしれないけれど、当時の姑さまは

「今がいちばん幸せ♪」

と、よく言っていた。開業も大変だったけど、他にも舅さまがいろいろヤンチャしていたのを私は知っているのでその真意はよくわかる。あのまま舅さんが亡くなっていたら、姑さんは今ごろ苦労だらけの人生を嘆いていたに違いない。

最近ではあちこちにモーニングを食べに行くのが二人のブームだった。歳に似合わず夜型人間の舅さまが、モーニングを食べるために朝から起きて準備をしているというのが何とも微笑ましかった。

また、姑さまがこの頃パン作りをするようになって、ホームベーカリーを買ってきて家でパンを焼くようになった。パンは舅さまも姑さまも好物である。新しい物好きのわりに取説を全く読まないという姑さまなので最初のパン作りは大変だったらしい。二人でホームベーカリーを挟んであーでもない、こーでもないとやった挙句、最後は舅さまが「取説持ってこーい!」とキレて、舅さまが説明書を読みながら二人で作ったのだとか。
それでも出来たパンが美味しくないというので話を聞いたら、全部の材料が混ざっているミックス粉を使っているのにそれが小麦粉だけだと思い込んでいて、イーストやら砂糖やらの副材料を更に投入していた。そりゃ美味しくないわけだ(笑)。

今では姑さまもパン作りの腕を上げ、舅さまが入院する少し前にも焼きたてのパンを二人で食べて、「美味しいね〜〜♪」と語り合っていたらしい。

もし神様がいるのなら、この2年間は今まで頑張ってきた舅さま姑さまにくれたご褒美なのかもしれない。そう思えるほど小さな幸せ、楽しみを日々噛みしめるような・・・穏やかな2年間だった。


(次回に続く)



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ