勘三郎さんの本葬でしたね。
朝、ご自宅を出発される所から生中継をやってました。
ひろみさんは絶対参られると思っていたら、ちゃんと参られてました。
王さんや九重親方や私の中でのそうそうたる方たちも。
一般の弔問も一万人とか。
私も東京なら、どこかでお見送りしただろうなと思います。
昨日、京都でちょうど南座の前を往復したのですが、
勘九郎さんの襲名披露公演の千秋楽でした。
あの日から休むことなく頑張って兄弟で舞台を務められたのですね。m(__)m
20年くらい前に結婚式に出席した帰り、南座の近くで勘九郎(当時)さんと
橋之助さんに出くわしたことがあります。通行人に囲まれて
フラッシュを浴びておられました。歌舞伎は知らなくても
「すごい有名な二人を見た」って感じでした。

勘三郎さんはあまり背は高くなくて、がっちりした印象でした。
時は流れて2010年の秋に大阪平成中村座で初めて舞台を観ました。
その数年前にも大阪松竹座で観るチャンスがあったのに、
仕事で行けませんでした。行っておけばよかったと悔やまれます。
平成中村座は千秋楽の日。よくチケットが取れたなと思います。

いきなり目の前を通路から勘三郎さんが飛び出して来られました。
「夏祭浪花鑑」という演目でした。
いろいろな仕掛けがしてあり、上手くできてるなと楽しめました。
勘三郎さんはじめ、役者さん達は当たり前ですが芸達者。
見得を切るって言うのか「どや顔」を連発する勘三郎さんが
面白かったです。「中村屋!!」って声がかかり・・・
ラスト、芝居小屋の舞台後方の壁がパッと開き、
ライトアップされた本物の大阪城が見えた時は鳥肌が立ちました。
外に向かって勘三郎さんと橋之助さんが全速力で走って行き、
息の合った二人が外へポ〜ンと飛び降りて、暗転〜幕。
あの光景は今でも目に焼きついています。
終わった時は感動で涙がポロポロでした。
その後、舞台上が賑やかに。くいだおれ太郎も出て来ました。
後でわかったことですが、あの時も勘三郎さんはすでに体調が
悪くなられていたとのこと。特発性難聴になる前ですね。
でもそんなことは全くわかりませんでした。
すごく体力を使うんだなということも感じました。
いつかまた観に行きたいと思っていたのに・・・
歌舞伎を観たことがない方でも勘三郎さんは知っているでしょうし、
一家を追った番組を楽しく見てた方も多いでしょうね。
私もそうでした。
二人の息子さんはお父さんと同時に師匠も失くしてしまわれました。
まだまだ教えたいこと、教えてもらいたいことがお互いにあったでしょう。
勘三郎さんは伝統を守りながらいろんなことにも挑戦され、
歌舞伎ファンを増やしていかれたと思います。
平成中村座では若いお客さんが多くてびっくりしたほどです。
まだまだこれからなのに、なんて悔しいことでしょう。
太くパワフルな人生だったのかな。でも早すぎますよね。
いくらせっかちだからって・・・
新しい歌舞伎座がもうすぐできるのに本当に残念です。
私は1度でも舞台を観られてよかった。

ひと言くらい言葉を交わしてみたかった、人間的にも魅力あふれる人でした。
いつか、息子さんたちの舞台にも行けたらいいなぁと思います。
でも「誰か足りない」って感じるのじゃないかな。
合掌
2010.11.26. 大阪平成中村座
