ブログを休みがちで心配して下さっている郷友さんたちから
メールを頂いたりしています。m(__)m
私には二人の甥がいたのですが、その長男が10月末に急逝しました。
甥は先天的な難病を抱え、12年くらい前には骨髄移植もした障害者です。
生まれた時は元気な可愛い赤ちゃんだと思っていたのに、
難病を持っていたのです。知的障害はなく、勉強したり仕事もしていました。
でも病気ではなく、外出先で転んで・・・結局命を落としてしまいました。
不慮の事故って言うのでしょうか?
障害者採用でやっと仕事に就けても、最初はいいのですが、
企業側の障害者の受け入れ態勢や社員教育などができていないのでしょう、
結局、いじめや偏見やらで続けるのが難しかったようです。
小さな体で、視力も悪いし難聴だし、指先も動きにくいから仕事も健常者より
遅かったと思います。でも障害者を採用する以上、その配慮があって
欲しかったと思います。
10月末のその日も、仕事のスキルを見てもらうための施設の予約を入れていて、
もうまもなく到着という所で転んだようです。
隣に区役所があり、玄関先の防犯カメラに結構様子が映っていて
転んだ時間までわかりました。すぐそばに歩いて来た女性が気づき、
通りがかった郵便配達の方に伝え、その方が区役所横の消防署へ
走って下さったそうです。そして救急隊がすぐに駆けつけて下さり、
救急車で病院へ。救急車の中で容体が急変したそうです。
これは所持品を受け取りに行った警察で私が刑事さんから聴きました。
刑事課なんて初めて行ったので緊張しました。
運ばれた病院は近年治療のため、月に2回くらい通っていた病院で
蘇生マッサージを1時間20分もして下さったそうです。
転んだ時から救命を受けるまで最短の時間だった・・・
そのことは残された家族も救われる思いでした。
防犯カメラからも事件性はないのがわかりましたが、司法解剖に
まわされました。なかなか甥を返してもらえなくて
お通夜に間に合うのかと心配しました。警察が入ると遅くなって
お通夜に間に合わないケースもあるそうです。
幼い頃からお世話になっている阪大病院の先生もお花を供えて下さり、
お参りにも来て下さいました。「もう少ししたら、また一緒に
食事に行こうと思っていたのに」と泣かれたそうです。この先生は
最初の就職先でゴタゴタした時も、一肌脱いで下さいました。
心あるお医者さんでよかったと思います。
甥が転んだ現場にも行きましたが、視力がよくてもつまづきそうな
ブロックがあり危険だと思いました。血痕やチョークの跡も残っていて、
2日後くらいに身内がお水をまいたけどとれなかったそうです。
消防署にはお礼に行ったらしいですが、あの日お世話になった
全ての方に感謝します。
あちこちの職場やバイト先で、1人くらいは甥の理解者がいたようで
付き合いがあったのか、お参りに来て下さっていました。
就職が決まるたびに、私もネクタイなどをプレゼントしていたのですが、
その1本が棺に納められた甥の首に軽く締められていました。
所持品の中に、8〜9日の名古屋への往復切符があり、
「何しに行くつもりやったんや〜」と。ホテルもどこかわからずで。
不自由な体でも、歴史好きであちこち行ってたようです。
遺影の写真は仙台の伊達政宗の銅像の前で撮ったものでした。
書き物もしていたし、やりたいことはやっていた。
でもまだまだやり残したことがいっぱいで。
私みたいにグータラしていたら、そんな所で転ぶことはなかったのにと
悔やまれます。
甥の短い人生でお世話になったすべての方々にお礼を申し上げます。m(__)m