たとえば若い奥さんが洗濯物を干しているとき。子どもが三輪車で遊んでいるとき。
そのとき、その家の人たちは、それが珍しい白い露草だと、わかってくれるだろうか。
どうして突然、そんなものが現れたのだと訝るだろうか。
私の夢想は続く。
その人たちは、誰かこのわけを教えてくれませんか、と「問い」を立てる。
そこで私はおずおずと出ていって語るのだ。
あなた方の住んでいる土地は、灌木の茂みと、栗の木と、立派な櫟の木の生えていた、野原だったのだ、と。
その土地はかつて、ススキの穂波がそよぎ、甘い栗の花が匂い、白い露草の咲いていた土地だったのだと。
風が木々の葉をささやかせ、雨が草木を恍惚とさせた。
山から吹き下ろす風や、盆地から抜けてゆく風、土地の傾く方角、様々な条件が、白い露草にその場所を選ばせた。そして何代も何代も繰り返し、そこに根を張ってきた。
あなたがたが毎晩眠り、夢を見て、そして笑い合い愛し合っている場所は、そういう毎日を育んできた土地なのだ、どうか誇りに思ってください、と。
犬と散歩をしながら、そういうことを夢想し、そして私はそれが私の本当にしたい仕事なのだと切実に思った。
物語を語りたい。
そこに人が存在する、その大地の由来を。
(梨木香歩「ぐるりのこと」より)
梨木香歩の文章は実に奥ゆかしくてほのぼのしてると思う。
中でも去年の夏文庫化されたエッセイ「ぐるりのこと」は読み応え抜群で、何回でもいけます。
言ってることが基本難しいので、考えながら読んでると一時間に数頁しか進まないという。
特に、世界の対立関係に関して述べた一節、
今の世は、かつての冷戦時代の米ソ関係や、ブッシュ対悪の枢軸国家といったわかりやすい対立関係にあるのではなく、「直線的でスピード感の強い動的な動き」(有刺鉄線的なもの)と「進歩ということがそもそも念頭にない前近代的ともいえるわかりにくい諸々で構成されたムーブメント」(生垣的なもの)という、これまで個人や集団のなかで入り交じりクリアでなかったもの、善か悪か、是か否か、などとは判断できなかったはずのものが先鋭的に問いたてられ、境界が際立たせられている、そんな時代ではないか。
これはすげーーなと思った。
っていうかそれ以前に未だに意味を完全に把握できてないので、誰か解説頼む・・・!
なにか聴かしてくれと試みにせがむと、鍬を持ったり、かますを背負ったり、まったく襤褸を下げた見る影もない姿をしたのが、勧められるままに、いざり寄って、被り物をはずして、静かに諷詠し出すそのことのよさ、いきなりつかまえる行きずりのどの人も、どの人も、こうして、夢のように美しい詞をたとい聞いても、味わえなかったら、会っても避けて通ったであろう身なりの人たちではなかったか。
私はコポアヌの家で、こういう人を相手にしながら、いずこの世界へ行ったら、通る人、すぎる人、こんな文藻をもつ、こんなゆかしい心の持ち主ばかりが野に隠れている国があるであろうと、二千年も三千年も遠い昔の楚の国へでも来合わしてるような心持がして、幸福感に酔わされているのであった。