6月14日(金)の58
10:46 京口門跡
案内板
「 京口門跡
亀山宿 の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に築かれた門である。
『丸々五集』によれば、亀山藩主板倉重常 によって寛文一二年(一六七二)に完成したとされる。翌延宝元年(一六七三)に東町に築かれた江戸口門とともに亀山城 総構の城門として位置付けられ、両門の建設によって東海道が貫通する城下の東西が画された。
京口門は石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、通行人の監視にあたっていた。また、門へ通じる坂道は左右に屈曲し、道の両脇にはカラタチが植えられ不意の侵入を防いだとされる。
大正三年、京口橋が掛けられたことで坂道を登る道筋は途絶えてしまったが、往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗であったことから、
亀山に過ぎたるものの二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門
と謡われるほどであった。
歌川広重「東海道五捨三次」のち『雪晴』をはじめとする風景画の舞台として著名である。
京口門古写真
歌川広重
東海道五捨三次之内亀山『雪晴』(保永堂版)
平成二〇年三月
亀山市教育委員会 」
案内板の最後の方に、京口門古写真(明治初年頃) と、大正3年の京口橋の写真と、広重の亀山雪晴の絵が載っています。
本日の59に続く


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