4月4日(木)の26
吉原宿 wikipediaより
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吉原宿は当初現在のJR吉原駅付近にあった(元吉原)が、1639年(寛永16年)の高潮により壊滅的な被害を受けたことから、再発を防ぐため内陸部の現在の富士市依田原付近に移転した(中吉原)。しかし1680年(延宝8年)8月6日の高潮[1]により再度壊滅的な被害を受け、更に内陸部の現在の吉原本町(吉原商店街)に移転した。このため原宿 - 吉原宿間で海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で海から離れ、北側の内陸部に大きく湾曲する事になり、それまで(江戸から京に向かった場合)右手に見えていた富士山が左手に見えることから、"左富士"と呼ばれる景勝地となった。往時は広重の絵にあるような松並木であったが、現在は1本の松の木が残るのみである。
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10年前のブログ
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【吉原本町(新吉原)はシャッター街】
やがて岳南鉄道の吉原本町駅を越え、富士市で一番繁華な町並みですが、シャッターが下りている店が多く、町の規模は大きいのに、寂れた町の印象でした。
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本日の27に続く


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