11月22日(日)の2
今日は越後旅メンバーが一人増えました。
私の中学からの友人R女史です。
本日と明日は女性4人旅です。
今日明日はミストレスのI女史の運転でいろいろ回ります。
まず、小千谷の河岸段丘を一望に見下ろせる山本山に上りました。
くねくね蛇行する信濃川、八海山や、少し遠くには妙高も見えました。
次に、猿倉山ビール醸造所へ行き、お茶しました。生ビールも飲めたのですが、この後昼食を予約しているので、今は我慢。
親子連れや、犬を連れたお客様が沢山来ていました。流石に三連休の真ん中の日だし、今日は一日良い天気ですから。
次は、八海山(銘酒)雪室 魚沼の里へ。
雪室見学が終わったばかりだったので、14:30の見学を予約して、売店を見学してから昼食へ。
昼食会場は、郷土料理 欅苑。
欅苑ホームページより
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田舎屋造り
けやき苑は越後雪国の
典型的な田舎屋造りで
苑内の樹齢 約1,500年の
大欅より名づけたものです。
春は、山菜・水芭蕉
夏は、ほたる・蝉時雨
秋は、野草・きのこ狩り
冬は、一面の銀世界
自然相手のくつろぎで
田舎料理をごゆっくりと
お楽しみください。
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体によい自然のものばかりの料理の数々。
女性には大人気なのですが、動物性タンパク質は、本日で言えばヤマメの塩焼きとホタテ貝柱だけなので、男性は「草ばかりで物足りない」と言う人が多いとか。
手が込んでいて、味付けも工夫された、体によい美味しい料理でした。
食後は、先程予約した八海山雪室へ。
室温4℃と聞き、ダウンコートを着ていきました。
2月に1000トンの雪を入れて一年中室温を4℃に保っていて、一年で雪は半分ぐらいに減るそうです。
魚沼の里ホームページより
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1,000トンの雪を収容する雪中貯蔵庫で、長期間、日本酒を熟成させます。雪室で貯蔵することにより、まろやかな味わいの日本酒が生まれます。空きスペースでは野菜等も貯蔵。館内には、さらに焼酎貯蔵庫やカフェ、売店、キッチン雑貨店などがあり、雪国の暮らしと食文化に触れながら、魚沼ならではの食と出会いを、たっぷりとお楽しみいただけます。
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雪室を出ると、オーク材の樽で寝かせた焼酎が並んでいました。
この後、最上山関興寺へ。ここのお味噌は有名なんです。
関興寺ホームページより
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古来、禅院の生活は枯淡であり
食事も質素で味噌は禅院の生活に欠かせないとあって
寺では修行僧が自ら沢山の味噌を作り貯えていました。
天正6年(1578年)上杉謙信の没後、
景勝・景虎二子による家督相続争いの合戦(御館の乱)がおこり
景勝公に縁の深かった関興寺は
景虎方の小田原北条軍に包囲され、
逃げ込んだ兵を引き渡すように命じられましたが
時の住職・雨天是鑑和尚は
「日頃より外護を受けている上杉家を裏切る真似は出来ない」
と要求を跳ねのけました。
その為小田原北条軍に火をかけられ、焼き討ちにあってしまったのです。
総門・三門・仏殿・法堂・方丈・禅堂・塔頭7ヶ寺に及ぶ大伽藍は、ことごとく焼失してしまいましたが
その戦火の折、雨天是鑑和尚は上杉氏より寄進された大般若経典六百巻を
味噌桶の中に埋めるように修行僧に命じて、火災から大切な経典を守りました。
すると近在の人々の間で
「関興寺の味噌は大切な経典を守った有難い味噌
ましてやその味噌の中に600巻もの経典が埋められたならば
さぞかし関興寺の味噌には経典のご利益・功徳があるに違いない」
とその味噌を分けて下さいと関興寺に参拝する者があとを絶ちませんでした。
以来、「人々の間でこの味噌をいただくものは
大般若経典のご利益にあずかり福徳が授かることができる」
と世の人々に言いはやされるようになり
「関興寺に参拝したならば、お味噌を頂かなければ何のためにお参りしたか甲斐がない」
「関興寺にお参りして有難い味噌を頂きましたか?」の問いかけの言葉として
「関興寺の味噌なめたか」
の言葉が後世の人々に言い伝えられるようになりました。
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お参りの後、外に出たら、山々が夕日に映えて綺麗でした。
その後は今夜の宿、越後湯沢温泉の「双葉」へ。
宿で落ち着いてからさっそく温泉へ。
残念なことに6階の露天風呂は熊出没のため立ち入り禁止でしたが、7階にも露天風呂があるので、まあいいや、と思っていたら、6階の露天風呂は何種類もの沢山のお風呂があったので、本当に残念。でも、露天風呂で真っ裸の時に熊に襲われたらと思うと恐ろしいので、仕方ありません。
夜も美味しいご馳走の数々でした。


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