6月26日(水)の27
10年前のブログ
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道の駅あいの土山で、蟹ヶ坂飴(絵手紙1)を買いました。
謂われをネットで拾いました。
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蟹ヶ坂飴のいわれ
「蟹ヶ坂飴」は、古くから土山宿の名物と知られ浅井了意の「東海道名所記」 (万治元年1658年)に「生野、茶屋あり、飴を煎じて売る。」とあります。 大昔、鈴鹿山麓に身の丈3mの巨大な蟹が出没し、旅行く人や近郷の村人に危害を加えていました。
ある時恵心院の僧都がこの地に赴き、大蟹に印明を示し、さらに大慈悲深く天台宗の「往生要集」を説き、説法を施すと不思議にも大蟹が随喜の涙を流して悪行を悟るが如く、我が身の甲羅を八つに割裂いてとけ失せました。
僧都は八つの甲羅を埋めて、蟹塚を建てると、不思議にも蟹の血がかたまって、八個の飴となったそうです。
それを竹の皮に包んで村人に授け、
「この八ツ割飴は、諸々の厄除けに効あり」
と伝えました。
その後、数百年に亘り「厄除けの蟹ヶ坂飴」として世にその名声を高めたと伝えられています。
江戸時代では、旅の疲れを癒す糖菓子として旅人に喜ばれました。
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ついでに、 「あいの土山」のいわれは?
甲賀市HPより
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1.相の土山説
鈴鹿馬子唄の歌詞で、坂(坂下宿)は晴れ、鈴鹿(鈴鹿峠)は曇り、相対する土山(土山宿)は雨が降るとする説。鈴鹿峠を境に伊勢側と近江側では天候ががらりと違う。
2.間の宿説
宿駅制度ができ、土山が本宿に設定される以前は間(あい)の宿であったことから、坂下宿程繁栄していないことを唄ったとする説。「照る」を栄える、「雨が降る」を「さびれる」と解するようだ。
3.鈴鹿の坂説
峠の頂上付近に土山という土盛があったとする説。
4.間の土山、松尾坂説
鈴鹿馬子唄の歌詞で、坂を松尾坂(土山宿の西、野洲川西岸部分にある坂のこと)と考え、鈴鹿(鈴鹿峠)との間にある土山(土山宿)は雨が降るとする説。
5.藍の土山説
当時土山では藍染めが盛んで藍草の栽培が行われていたとする説。
6.鮎の土山説
当時、土山では鮎漁が盛んで、特産物として有名であったとする説。
7.あいのう土山説
北伊勢地方の方言に「あいのう」という言葉があり、「まもなく」という意味であることから、「まもなく土山へ着く」とか「まもなく雨が降ってくる」と解釈する説。
8.かけ声説
鈴鹿馬子唄は民謡なので、民謡独特のかけ声ではないかという説。
参照:機関紙「土山浪漫」〔現:土山ろまん〕第2号(平成3年2月 土山の町並みを愛する会発行)
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滋賀県に入ると、信楽焼の狸と、飛び出し坊やが増えますが、道の駅あいの土山の狸は忍者でした。(写真2)
本日の28に続く


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