5月3日(金)の29
13:12 大乗院坂界隈の看板(写真1)
案内板
「 大乗院坂界隈
旧東海道のこの坂を「大乗院坂」という。この坂の途中に山伏の寺「大乗院」があった。そこに祀られていた地蔵菩薩像・阿弥陀如来像とも現存する。
大乗院北の台地一帯は「御林」と呼ばれ、明治22年に開通した中泉駅のホームは、この地(現 千寿酒造)に設置された工場で作られた赤煉瓦をもって築造された。磐田の「煉瓦発祥の地」である。
この北側の道(細江線)は開通した中泉駅より豊田町池田までの「中泉軌道」跡である。
昭和25年5月19日の「空襲」によりこの坂の南北に4発の被爆があり、8名の死者をだした。
現在地の東二十米の位置に推定樹齢約二百年、樹高二十三米、目通周三.六五米の黒松の「大松」があったが、昭和二十七年に伐採された。
大松の会 」
13:13 くろん坊様(写真2)
この名前を書くのは抵抗があるのですが、固有名詞なので仕方ありません。
案内板
「 くろん坊様
黒坊大権現は、旧東海道で、現在地の西約百米(現 磐田化学正門)の田んぼの中にあった祠を移したもので、咳や熱病の神様とされています。インド人の旅僧が手にかけられて金品を奪われてしまったので、土地の人々が手厚く葬ったものといわれており、毎年十一月三日が縁日とされています。
磐田化学工業(株) 大松の会 」
そして、写真3は、10年前に県道261号線で出会った恐竜。
今回は出会えませんでした。
一言橋と万能橋の間、多分、万能橋の近くのパチンコ店の屋根の上に棲息していると思われます。
10年前のブログ
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広い国道の立派な歩道をずんずん歩いていたら、恐竜に出くわしました!(写真3)もうびっくりです。
私の調査によると、この恐竜はジュラ紀のブラキオサウルスだと思うのですが、恐竜に詳しい方、ご意見を。
(アパートやバス停の名前から)この辺りは一言という地名らしい。
一言主神と関係あるのかな、と思っていたら、一言坂古戦場が近くにありました。
一言坂の戦いは、徳川家康と武田信玄の三方ヶ原の戦いの前哨戦で、袋井の三箇野川の戦いで破れた家康軍は、浜松に向けて敗走していましたが、磐田郡にある一言坂で追い付かれ、再び戦いとなったのが、一言坂の戦いです。
この時、徳川軍を救ったのが、家康の重臣、本多平八郎忠勝。本多は徳川軍を逃がすため、とんぼぎりと呼ばれる槍を振り回して孤軍奮闘し、枯れ草に火をつけて敵軍を蹴散らしました。
しかし、本多が無事に逃げおおせたのは、敵ながらアッパレ、と感じ入った、武田側の小杉左近のはからいだったとも伝えられているそうです。
本多が逃げた後、こんな落書きが散らばっていた、或いは立て札が立てられた、と言われています。
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(兜)に本多平八」
一言坂の戦いにはこんな逸話もあるそうです。
命からがら逃げてきた家康が、この地にあった、一生に一度だけ願いを叶えてくれると言う一言観音に願ったことで、家康軍は無事に逃げおおせた、と。
一言観音は、奈良県興福寺や、千葉県にもあるそうです。
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本日の30に続く


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