4月5日(金)の33
13:32 川島家茶屋本陣跡(写真1)
案内板
「 間の宿 川島家
ここ西倉沢は、薩?峠の東坂登り口に当たる「間の宿」で十軒ばかりの休み茶屋があって、旅人はここでお茶を飲み、疲れをいやし、駿河湾の風景を賞で旅だっていった。
ここ川島家は、江戸時代慶長から天保年間凡そ230年間代々川島勘兵衛を名乗り、間の宿の貫目改所の中心をなし、大名もここで休憩したので村では本陣とも呼ばれ、西倉沢村名主もつとめた旧家である。
静岡市 」
13:33 柏屋(写真2)
案内板
「 明治天皇ご小休 柏屋
江戸時代から間の宿にあって、柏屋と称して茶店を営んできた。
明治元年及び11年、明治天皇ご東幸のみぎりは、ご小休所に当てられた。
明治15,6年頃、静岡県令大迫貞清(おおさこさだきよ)が療養のため柏屋に逗留された際、倉沢の気候風土が郷里の九州ににているところら、田中びわの種子をとりよせ栽培をすすめ、当地に田中びわが普及するところとなった。
静岡市 」
13:34 望嶽亭 藤屋(写真3)
案内板
「 間の宿 藤屋
薩?峠の東登り口に位置しているところから一名を坂口屋といわれ、本来は藤屋と称して茶茶店を営み、礒料理、あわび、さざえのつぼ焼きを名物にしていた。
ここより富士山の眺望がよいので「望嶽亭」と称し、文人墨客が好んで休憩したといわれている。
静岡市 」
また、「藤屋」には幕末、官軍に追われていた山岡鉄舟が座敷の地下から舟で清水に逃げたというエピソードもあり、鉄舟の残していったピストルも展示されているらしいです。
今日は望嶽亭はしっかり戸締まりされていましたが、10年前は玄関が空いていて
10年前のブログ
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ご自由に見学してください、と書いてあって誰もいないので、座敷に上がっていいのかも分からず、土間から眺めて出てきました。
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本日の34に続く


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