3月24日(日)の3
8:29 平塚市に入りました。(写真1)
相模川を渡る馬入橋からは、富士山がきれいでした。
相模川の河口付近を馬入川と昔は呼んでいたそうです。
馬入橋を渡りきってすぐ、
8:44 馬入一里塚跡。(写真3)
ところで、お江戸日本橋の5番は、馬入川、平塚、大磯、小田原が歌われています。
5番
馬入りわたりて平塚の 女郎衆は
大磯小磯の客をひく
こちや 小田原評議で熱くなる
小田原評議で熱くなる、は、小田原評定を指しているのでしょうが、裏の意味を考えてしまいますね。
小田原にはかつて、遊郭があったそうですから。
小田原評定の故事成語について、Wikipediaより
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故事成語としての小田原評定
小田原合戦時のこと、戦術をめぐる評議における論争で、老臣松田憲秀は籠城を主張したのに対し、北条氏康の四男である北条氏邦は箱根に出撃する野戦を主張して意見が分かれ、また降伏に際しても仲介ルートの選択で結論が出るまで意見が分裂したと言われている通説である。
この故事から、現在では小田原評定という言葉は「いつになっても結論の出ない会議や相談」という意味での比喩表現として使われる。
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本日の4に続く


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