3月22日(金)の11
しながわ区民公園から東海道に戻った辺りが鈴が森刑場跡。(10:44)
写真1と2が今日撮ったもので、写真3は2008年9月12日に撮ったもの。
季節の違いで木の葉の繁り具合が違うだけではない、かなりの印象の違いを感じました。
前より整備されたからなのか。でも、以前の方がそこだけ冷気漂う特別な空間でしたが、今日見たら、普通に歴史的な碑が並んでいるだけのような。
八百屋お七が磔の刑にあった杭の土台の石の穴が残されているのを前回は確認しましたが、今回はそれすら気づかなかった。
10年経つと、いろいろ変わります。
ところで、なんで東海道沿いの、他文化当時かなり目立つ場所に刑場が置かれたのか。
小塚原刑場も日光街道沿いに置かれていました。
東海道に面し、品川宿にも近いこの場所に何故刑場が置かれたかと言うと、江戸に入ってくる浪人衆に警告を与える為だったそうです。
当時の江戸は、食い詰めた浪人が多く集まり、治安が悪化していたそうです。
その為、悪さをした浪人などの処刑をつまびらかにする事で、これから江戸に入ってくる浪人が悪事を働かない様にすると言う、抑止力効果を狙って、東海道沿いに刑場が置かれたのです。
本日の12に続く


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