2012/6/4  22:35

光や風の匂いでよみがえる記憶  プライベート

今日、6月4日は妹の誕生日。
朝、facebook経由で妹にメッセージを書きながら、
急に妹が生まれた日の記憶が「うわ〜っ!」とよみがえりました。
何も忙しい朝に書かなくても、夜ゆっくり書けばよかったのかもしれないのに、
カーテンを開けて朝の光を浴びていたら、
どうしても出勤前に書きたくなったのです。
・・・書きながら気が付いた。朝8時、妹が生まれた時間だった!

妹が生まれたのは、私が4歳のとき。
朝、おばあちゃんの家で、幼稚園に行く準備をしている時に、
父から電話がきて、妹が生まれたことを知らされました。
今日のように明るい光に満ちた初夏の朝でした。
とにかくうれしくてうれしくて、幼稚園に行って先生やみんなに自慢したような。

・・・そんな記憶を妹へのおめでとうメッセージに書いて送信した後に、
「あれ?それってホントかな?4歳の私の記憶だから、違うかも?」
と不安になり、母に確認したら、だいたい当たっているみたい。

夜中に陣痛がきて、入院するときに祖母の家に私と兄を預け、
生まれた時間は午前8時過ぎだったって。

兄の生まれた日のことは、もちろん兄妹だれも知らないし、
年子で生まれた私が生まれた日のことを、兄が覚えているわけはない。
でも、妹の生まれた日の喜びは・・・みんな知っている、覚えているんだね。
(ん?お兄ちゃんは覚えているのかな?)
なんだか、末っ子ってうらやましいな。

妹が生まれて、自分が「末っ子」じゃなくなり、
家族のアイドルの座をすっかり妹に奪われたジェラシーと、
でも、妹のことが可愛くてかわいくて仕方がない気持ちと、
ぐちゃぐちゃになる気持ちを、幼いながらに必死で整理していたな〜。
なんて、いろんな感情がよみがえって、ちょっと涙が出た。

こんな風に、光とか、気温とか、風の匂いとか・・・。
何かのきっかけでいろんな感情がよみがえること、ありませんか?

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2012/4/30  17:41

下町の休日−テルマエ・フカガワエ−  プライベート

四季レディースクリニックは、今年のゴールデン・ウィークは「暦通り」の診療です。
(木曜・日曜・祝日休診)
4月28日の土曜日診療が終わった後は、前半の2連休。
そして5月3日からは4連休です。
後半の4連休で昨年、震災の影響でキャンセルせざるを得なかった東北旅行を決行予定。
昨年と同じ、山形と岩手の旅館を予約しています。
いざ、リベンジです!楽しみ〜。

ということで、前半はのんびり過ごしています。
昨日は親戚の集まりがあり、行ってきました。
今日は、近所でのんびり。

あんこさんのトリミングの予約が入っていたので、清澄白河へ。
あんこさんをいつもの(大好きな)「Jolly Job」さんにあずけて、
私はそのすぐ近くの銭湯「たつみ湯」さんへ。
で、テレビで映画「テルマエ・ロマエ」の宣伝を見続けたら、
どうしても大きなお風呂に入りたくなった!!

私、温泉、銭湯、健康ランド、本当に好きなんですよね〜。
東京に来て最初に住んだマンションは、なんと地下1階に銭湯が!
入居者は無料で入れるんですよ!

今日行った「たつみ湯」さんは新聞に折り込みチラシが入ってて、
ネットで検索すると、「銭湯マニア」の皆さんの「不思議な銭湯」というブログが次々と出てきて、どうしても気になって行ってきました。

・・・確かに、「不思議な銭湯」。
入口も、とても銭湯に見えないし。番台の位置もなんか反転している感じだし。
脱衣所も、大きなテレビのあるリビングのようなところの、
壁にロッカーが並んでいるのみ。
(つまり、くつろいでいる皆さんのいる中、壁際では着替えをしている状態。)
浴室には大きな浴槽がでーんとあって、周囲の壁に取り囲むように洗い場が並ぶ。
大きな浴槽の中でジェット、バイブラ、電気風呂がゾーンでわかれているだけ。
浴室の隅にある「露天風呂」と書かれた小さなドアを開けると水風呂と浴槽。
(露天と書かれてるけど、屋根あり。窓の外に小さな庭があり、そこだけ屋根がない。)
その奥(湯船の先)に・・・なんと!またテレビの置かれた休憩室。
いや〜摩訶不思議な空間が広がっておりました。
ちょっとしたワンダーランドです。
入浴料450円。クリニックの帰りに半蔵門線で1駅、ひとっ風呂浴びて帰るのもなかなかでは?

あんこのお迎え時間までもう少しあったので、
時間つぶしに「江東区深川江戸資料館」へ。
両国の江戸東京博物館のミニチュア版みたいな感じ。
入場料300円で結構楽しめました。あまり混んでいないのもGOOD!
いつも気になりつつ、あんこ連れだったのでいけなかったのですが、
今日は「わんこ保育園」に預けていたので(その時間待ちだったけど)、
江戸の庶民の暮らしを体験できてなかなか楽しかったです。
今度また、ゆっくり回りたいな。

そうこうしている間にお迎えの時間。
いや〜楽しい休日でした。
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2012/3/25  23:42

伝統は日々作られていくもの  プライベート

行ってきました、甲子園!

第84回春のセンバツ高校野球!
わが母校、宮崎西高校が初出場しました。

1月27日に出場が決定してから、3月15日に組み合わせ抽選があるまでそわそわ。
結果、大会第4日、3月24日(土)の第3試合で
強豪・愛工大名電と対決することに決まり、
外来や医師会の会合と重なるためいけないはずだったのですが、
私の「1日雨天順延になれ!!」という願いが通じたのか?
うまいこと25日(日)に順延!
同じ高校出身の妹と一緒に、たくさんの同級生と待ち合わせていってきました。

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さすが、伝統ある(工藤やイチローの母校)愛工大名電はソツも隙もなく、
8−0の完敗でしたが、
まずは、学業優先の校風で、毎日1時間半の練習時間の中、
宮崎県2位、九州大会ベスト8まで進出し、九州地区の代表枠からの選出という
輝かしい歴史を作ってくれたと思います。

私たち卒業生にとっては、夢の甲子園!
まさか甲子園で、クラスメイト達と集まり、
校歌を歌える日が来るなんて!!夢のような一日でした。

後輩のみなさん、本当にありがとう!
また、夏に向けて再スタートですね!

宮崎西高校は、昭和49年の創立。
私たちは13期生。当時はまだまだ新設校でした。
創立当初から勤務されていた先生方が沢山いらっしゃり、
当時の先輩方の苦労話もたくさん聞かせていただき、
「これからみんなで伝統を作っていくんだ!」という空気が流れていました。

とにかく「国立大学に現役で進学」というのが大命題で、
文字通り朝から晩まで勉強漬けの毎日でした。
朝7時半からの朝課外、7時間授業、3年生になると加えて5時半まで夕課外、
そして平日は3時間程度かかる宿題・・・全部こなすと発狂しそう!!

部活は、「成績が落ちない程度に」という感じで、
で、成績が落ちると部活禁止令が出る・・・そんな学校でした。
私は水泳部で、5月から夏のプールが使える季節に1時間集中して泳いでいました。
それでも県2位に入り、九州大会まで行ったんですよ!頑張ったな、私。(笑)

そんな風に、みんながコツコツ真面目に頑張ってきた結果も
きっと今回の甲子園にはつながっているんですよね。
(21世紀枠の候補に挙がったのはそういう理由でしょうから。)

「新設校として伝統を作っていく」という一人ひとりの気持ちが
毎年毎年つながって、伝統って作られているのですね。

そして気が付けば、先輩より後輩の数が増えていることにびっくり!
それどころか、もうすぐ、後輩のほうが倍になるのかな?エライことですね。

そんな、親子ほど年の違う後輩たちにいろんなことを教えてもらった一日でした。

後輩のみなさん!一緒に応援した同級生のみなさん!そして先輩方!
これからも、「宮西旋風」を各所で起こしていきましょうね!!

・・・うちのクリニックももうすぐ創立2年。いい伝統を作っていきたいなあ。


宮崎西高校同窓会 「朝陽会」のブログ
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2012/3/8  8:40

両親の結婚記念日(44回目!)  プライベート

今日3月8日は、両親の結婚記念日です。

子供の時から、「家族の原点」としてみんなで大切にしてきた日です。
父が亡くなった2年前、初七日がこの日でした。
結婚記念日は44回目、亡くなってから3回目の記念日。
母は何を思っているのだろうなあ。

うちの両親は、今となって思えば、親としてはかなり個性的だったと思います。
「子煩悩」には間違いないのですが、その言葉だけでは片づけられない。
う〜ん、なんと言ったらいいのでしょう?
子煩悩で子育てに熱心なのは間違いないのですが、
「夫婦あっての子供」という優先順位がはっきり揺らがなかった、というのでしょうか?

母がいつも言っていたのは、
「お父さんに出会えたのが宝くじに当たったようなもの。
 あなたたち(子供)はあくまでも前後賞」
私たち子供のことより、絶対に父は母の、母は父のことが最優先でした。

そして、先日母から聞いた話。
私たち子供3人がまだ小学生の頃、勉強もスポーツも結構できる、と気づいたとき、
「自分たちの子供がこんなに優秀なはずはない。
 これはやっぱり授かりものだから、いつか社会にお返ししなきゃいけないんだ」
って、二人で話したんですって。

(注)
両親は、たぶんちゃんと勉強すればできた人たちだったと思うんです。
でも、高校時代から付き合ってて、あまり勉強しなかったらしい。
大学受験の時、父と母の出身大学・短大の偏差値を見たらどちらも50以下でびっくり!(笑)
おかげで、私たちはノープレッシャー!

それで父はいつも言っていたんですね。
「中学までは自分たちの子、高校からは社会の子。」
まあ、一緒に住んでいた中学までは、それはそれは厳しかったです、二人とも。
でも高校に入って下宿で生活するようになった途端、
「言うことは言った、応援はする、自分で考えろ」というスタンスに。

よく考えると、両親は私たちの頑張る姿を直接は見ていないんですよね。
大学受験も、大学での試験前の勉強も、国家試験前の勉強する姿も。
仕事を始めてからも、どれだけ忙しいか想像しながら、
いつもいつも遠くから応援し続けてくれる存在でした。

きっと、「夫婦あっての子供」というのが揺らがなかったから、
私たちは安心して「親離れ」できたんだろうな・・・。

やっぱり今日は私たち家族の原点。

お父さん、お母さん、44回目の結婚記念日、おめでとう!!




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2012/3/2  22:15

今日が父の命日(三回忌)でした。  プライベート

今日、3月2日は父の命日でした。

まる2年が経ちましたが、まだ父がいないという実感がわかないままです。

父を偲んで、さっき母と長電話しました。

明日3月3日(土)、毎日新聞夕刊にインタビュー記事が載ります。
「スポーツを考える」の欄です。

父の仏前に供えたいのですが、
・・・夕刊って、どうっやったら手に入れられるんでしたっけ?(笑)

入手できるかた、よかったらお読みくださいね。
ネット上で読めるようならアップしますね。

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2012/2/16  23:16

人間ドック、受けてきました!  プライベート

先日のブログにも書いた通り、2月11日に父の三回忌で帰省したついでに、
2月13日(月)を臨時休診にさせていただいて、
実家近くの病院で、人間ドックを受けてきました。

乳がんは、両側に嚢胞が多発していたり、分泌物があったりで、
半年毎に経過観察を受けているし、
子宮がん検診は、友人のドクターと取り合いっこしているので、
さすがにきちんと受けているのですが、
胃や大腸の内視鏡、胸部CTや腹部エコー、脳MRIなど、なかなか自分ではできないもの。
(腹部エコーは、できなくはないけど・・・。)

40も過ぎたし、胃カメラはそういえば10年受けてないし、
もともと便秘で、大腸がんのリスクは低くなさそうだし・・・。

人には「検診を受けましょう!」と言っている自分が受けていないのも、
居心地悪い。

それに、何より「個人事業主」として、体調管理に責任がある!!

どこで受けるか迷っていたのですが、
東京だと、知り合いの先生に診ていただくのも、なんだか気が引け、
さらに、お値段も高い!!
(そりゃそうですよね。土地代、人件費全然違いますから、自費診療の人間ドック、
 都会の一等地で受けるより田舎で受けたほうが安いはずです。)

それに、父の闘病中、「母に何かがあっては」、ということで、
母に私が行った病院の人間ドックに入ってもらったところ、
1年後の経過観察だった昨年夏、ごく初期の胃がんを見つけてもらい、
内視鏡で切除終了!!非常によくしていただいたこともあり・・・。

父の法事で帰省したついでに、そこで人間ドックを受けることにしたのです。

とりあえず、胃カメラで「萎縮性胃炎」の所見があり、ピロリ菌も陽性!
除菌を受けることを勧められた以外、幸い、今回は問題なかったようです。
東京に出てきてから徐々に体重も増えているし、運動不足の自覚もあるので、
肝機能やコレステロールには異常値が出ているのでは?と覚悟はしていたのですが、
今のところ大丈夫、と。
ここで油断せず、今年は運動する機会を持ち、体重を減らしていきたいな〜、
いや、行かねばならないな・・・と。

当院でも、「レディースドック」など検診していますが、
婦人科検診+血液検査+骨密度までしかできないので、
やっぱり、特に40代以降は胃や大腸の内視鏡、胸部CTや腹部エコー、脳MRIなども
受けたほうがいいですよ!(あ、もちろん、乳がん検診も)

ただ、人間ドックで受けられる婦人科検診は「子宮頸がん検診だけ」であることが多いので、
当院で婦人科(子宮頸がん検診+エコー)を受け、
他は人間ドックで受ける、というのもお勧めです。

症状が出てから検査して見つかる病気と、
症状がないうちに、検診でみつかる病気では、
大きくその後の経過に違いがあるのは間違いありません!
決して自分の健康を過信せず、定期的に健診・検診をうけましょうね!

あ、健診と検診の違いが判らないひとも多いでしょう。
「健診」というのは、「どこか悪いところがないかを検査すること」
  例)妊婦健診
「検診」は、「特定の病気を見つけるための検査」
  例)子宮がん検診、乳がん検診など
なんですよ!

ということで、大きな問題もなかったということで、
さらにパワーアップして、今年も頑張ります!!
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タグ: 人間ドック

2012/2/12  23:21

実家の愛犬ルビーと父の「愛情物語」  プライベート

昨日、2月11日から実家に帰ってきています。
2010年3月2日に亡くなった父の三回忌の法要のためです。
実家で、家族・親類・親しくさせていただいた友人の方にお集まりいただき、
無事に法要が執り行われました。

そんな今日は、父の忘れ形見の愛犬「ルビー」と父の秘話を。

1996年に我が家にやってきた愛犬パワー(イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル)が2008年2月の寒い日に亡くなったことは、この日のブログにも書きました。

パワーが亡くなった後、後継犬を何にするか探していた父。
「犬種図鑑」で、イングリッシュスプリンガーの隣に載っていた犬に一目ぼれ!

「次はエアデールテリアを飼いたいとよね。かっこいいがね〜。
 この辺にはなかなかおらんし、散歩で連れて歩けばかっこよかね〜。
 あっこ、どっかにおらんか探しちょって!」

ということで、ネットで探していたところ、
4月に和歌山でエアデールが生まれたという情報が!
そして和歌山まで譲り受けに行き、7月に家族の一員となりました。
7月生まれの誕生石にちなんで、「ルビー」と名付けられました。
(本当は4月生まれのルビーの誕生石はダイヤモンドなんですけどね。)

父は、念願のエアデールを新しい相棒に迎え、大喜び!
毎日散歩をして「猫かわいがり」していたのですが、
それからわずか半年も経たない2008年末、父は食道がんと診断されました。
しかも肺転移のあるIV期。過酷な闘病生活が始まりました。
放射線治療などの初期治療は妹のいる京都でお願いしたので、
2009年1月から3ヶ月間、父が京都で頑張っている間、
ルビーは宮崎の警察犬訓練所に預け、お留守番をがんばりました。
(だいぶ「お利口」になったよね〜!)

そしてこの写真は、父が都城に戻って月1回の化学療法を受けていた2009年秋。

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父は治療の副作用で髪が抜け、孫たちに「えーみん坊さん」と呼ばれていたころですね。

必死で治療を頑張ったおかげで、
食道をふさぎかけていた腫瘍はほぼ見えなくなったのですが、
肺転移には効果なく、2010年初めには大量の胸水で緊急入院。
その後は坂道を転がるように病状が悪化していきました。

入退院を繰り返しながら、ちょうど2年前のこの建国記念日の休日までは家で過ごせたのですが、痛みのコントロールがつかなくなり、
休み明けから自宅近くのホスピスに入院することになりました。
ホスピスに入院してすぐ、バレンタインデーに母からのチョコレートを「おいしい」と言ってニコッと笑ったのを境に、徐々に意識レベルが下がり、
2月末には一日中眠っているような状態になっていたようです。

そんな2月28日夜中の出来事。
隣に住む叔母から母に電話が。
「ルビーちゃんが塀を越えて出て行ったように見えたんだけど!」

母があわてて、庭にいるはずのルビーを呼んでも出てこない!

近所を探し回ったところ・・・

ルビーはいつも父と散歩していた道をフラフラ歩いていたそうです。
まさに「道草を食べながら」。

急にあえなくなった、大好きなお父さんを捜しに行ったのかな?
お父さんが、「ルビーに会いたい」って呼んだのかな?
(ホスピスでは、「わんちゃんも連れてきていいですよ」と言っていただいていたのですが、
 さすがにルビーの大きさでは部屋まで連れて行くことは無理と断念していました。)

その翌日から、父は急に血圧が下がり、
3月2日午後0時25分、帰らぬ人となりました。

父をストレッチャーに乗せて連れて帰ってきたとき、
玄関先で吠えていたルビーを一瞬だけ、ストレッチャーに近づけたら、
尻尾を振って近づき、顔をなめようとしていたっけ。

ルビーはちょうど1年前、「自己免疫性溶血性貧血」という大病をして、
生死の境をさまよいました。何度も輸血をし、ステロイドを入れてもらって、
母は、「このままお父さんがルビーまで連れていってしまうのかも」
と覚悟を決めたそうなのですが、
獣医さんの懸命な治療のおかげでなんとか一命を取り留め、
今ではすっかり元気になりました。

今、ルビーは大好きなお父さんがいないことをどう感じて生きているのかな?
もしかしたら、私たちの見えないところで、毎日会話しているのかもしれないな、
と思ったり。

そんな父の忘れ形見のルビー。
これからも家族の一員として、一緒に楽しく暮らしていきたいと思っています。

母と一緒に、長生きしてほしいな〜。


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