2010/3/16  18:03 | 投稿者: akikoenat

人形町・柳屋の鯛焼きです。
今日は一日クリニックで準備したり、いろいろな方にお会いしたり…。あっという間に一日が終わりました。
後は、家でできる作業ばかりになったので、少し早めに上がり、帰りに寄ってみました。
閉店前なので、さすがに列は短くなってましたが、それでも10分は並んだかな?

後で一個、残りは明日の朝食にします。

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2010/3/16  3:36 | 投稿者: 江夏亜希子

3月15日(月)で、父が亡くなって「ふた七日」。
この日記にも書いてきた通り、父は2008年11月末に食道がんが判明し、
それから1年4ヶ月の闘病の末、他界しました。
父の病気のことをあまり詳しく書けなかったのは、
もちろん父や家族のプライバシーに配慮した、ということもありますが、
このブログの「愛読者」で居てくれた父が読むことを想定すると
あまり詳しく書けなかった、というのが正直なところです。
今年1月中旬から急に状態が悪くなり、
父がインターネットを開くことができなくなってから、
ようやく言葉を選んで書くようになった感じです。

「食べたお肉が飲みこめず引っかかって出てこなかった」という訴えから、
検査をして、食道がんと肺転移が判明。
食道の腫瘍は食道の中2/3を塞ぎ、肺には小さな転移巣がいくつも見える状態。
すでに「IVb期」。
実は、その約1年前から「のどにひっかかる」という訴えはあったのですが、
胃カメラは飲んでいて、何もみつからなかったのです。
(「ピロリ菌がいる」と言われ、除菌の処方を受けていました。)
2004年に声帯ポリープの手術も受けているので、
「カメラを飲んで何もなかったのなら、その影響かな?」なんて、
あまり心配しなかったのが本当に悔やまれます。
でも、問診で発覚した事実。
声帯ポリープの手術をした時にタバコをやめたのですが、
それまでは1日60本吸っていたんですって!!
お酒も飲むし、めちゃめちゃハイリスクグループだったのね、お父さん!

今、Wikipediaを見ても、食道がん全体の5年生存率が14%、
IV期になると、「生存期間中央値が1年以下」とされていますから、
診断から1年4ヶ月・・・よく頑張ってくれたほうだと思います。

病気が見つかった後、悲観している暇はなく、
どこで、どんな治療をするのかというのを早く決めなければなりません。
もちろん都城で、宮崎で、治療する方法もありますが、
私は東京に、妹は京都にいますので、場所を変えての治療も考えられ。
結局父は、妹夫婦が働く京大病院での治療を希望しました。
やはり科は違っても院内に娘夫婦がいるというのは心強かったようですし、
病院のすぐそばに妹夫婦の住むマンションがありますから、
付き添う母の負担も少ない(もちろん大変ですが)と考えたのでしょうか?
働きながら子育てする妹のサポートのため、母はたびたび京都に行っていましたし。

で、12月はじめに都城で精密検査をして診断が確定し、
12月中には京都で受診。2009年1月、年明け早々から治療が始まりました。
すでに手術適応はなく、放射線と化学療法。
化学療法のため月一回1週間ほど入院、そのほかの日は放射線に通院するという毎日。
京都での闘病生活は楽しかったようで、
朝、病院に行って放射線を当てた後は、京都中の寺社仏閣巡りをし、
趣味のパチンコをして、家に帰るのが日課だったそうです。
その頃、父に「毎日どうしてるの?」と聞いたら、
「お父さんは毎日が修学旅行やが(笑)」
と言ってましたから。

都城にいたら良くも悪くも田舎なので、
周囲の人の目も気になるし、仕事のこともあるし、
こんなに伸び伸びと毎日を過ごせないと思ったのでしょうかね?

幸い、放射線がよく効いて、数ヵ月後には「CR」(complete response)。
食道をふさぎかけていた「しこり」は全く見えなくなりました。
おかげでずっと食事が摂れたのが不幸中の幸い。
ただ、放射線は「当てたところ」にしか効きませんから、肺転移には効かない。
肺転移の方に化学療法(抗がん剤)の効果がなく・・・じわじわと悪化して、
年末から急に肺の転移巣が大きくなり、1月中旬に大量の胸水!
そして、3月2日を迎えたのです。

時々、こうして、忘れないうちに、
父の闘病生活のことを書いていきたいと思います。


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