2009/12/31  23:18

佳いお年を!  分類なし

宮崎の実家に帰っています。
父の食道がんが判明してちょうど一年。
「来年の年越しは家族みんなで迎えられるのだろうか?」
と不安に思っていましたが、
今年もこうしてまたみんなで、さらに元気なふたごちゃんも増えて、にぎやかに大晦日を過ごすことができました。

「当たり前」と思いがちなことが、いかに大切でかけがえのないものなのかを、改めて実感。

実家に帰り、なかなかパソコンの前に座る時間がとれず、更新できませんでしたが、29日にはこのブログもスタートして6年目に突入しました!
そして来年4月にはいよいよ独り立ち!
また一つの区切りです。

新たな気持ちで「不惑」を迎えたいと思います。

今年もありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。

皆様、それぞれの場所で、佳いお年をお迎え下さい!
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2009/12/24  0:52

メリークリスマス!  プライベート

あんこさんからも、心をこめて・・・

メリークリスマス!!

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この写真は、あんこさんの行きつけのペットショップ、
清澄白河の「ジョリー・ジョブ」で行われた、
クリスマス・年賀状撮影会というイベントで、
プロのカメラマンに撮っていただいたもの!

カメラマンは、「Dog event club」の木田さん。

やっぱりプロの写真は違います!
こんな感じで撮っていただいたお正月用の写真で、年賀状も作りました!
例年、年賀状を出させていただいている皆様、出来上がりをお楽しみに!!

では、もう一枚。あんこの笑顔(?)を!

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2009/12/20  0:00

平成元年12月19日  プライベート

その日は、今日のようなとても寒い日でした。
私は、鳥取大学に入学し、初めて迎える山陰の冬。
毎日毎日、来る日も来る日も鉛色の空。みぞれ混じりの凍えるような寒さでした。
体調もなんとなく優れず、その日も確か、朝から病院に行っていたはず。

お昼頃、家に帰ると母親から留守電が。(携帯なんて、なかった時代。)
「おばあちゃんの調子が悪いから、すぐに帰ってきなさい。
 お母さんはすぐに病院に行くから、
 航空券の手配もしてもらったので、
 詳しいことは○○のおばちゃんに電話して聞いて」

とにかく、取るものもとりあえず、鳥取空港から伊丹へ飛びました。
運悪く、伊丹から宮崎への接続が悪く、空港内で3時間は待ったでしょうか?
伊丹空港を飛び立つ頃には、もう夕日が差しかかっていました。
飛行機の機体がふわっと浮き上がり、飛び立った瞬間、
なんとなく、おばあちゃんはもう亡くなっているんだと確信。

宮崎空港には、母の親友であるIさんが迎えに来てくださり、
祖母の家まで送ってくれたのですが、
そこにはやはり冷たくなった祖母がいました。

祖母は、直前まで本当に元気で、
前日の晩は、町内会の友人を招いて忘年会を開いていたそう。
機嫌良く飲んで、楽しい時間を過ごし、
翌朝、朝風呂の中で逝ってしまったようです。
片付けのために来てくれたお手伝いさんが、見つけてくれたときには、
もう亡くなっていたと。

「8人の子供の、誰かと一緒に住んだら、誰かと疎遠になるから」と、
頑なに一人暮らしを続けた祖母。
(一人の生活が楽だったのでしょうが。)
81歳。誰の手を煩わせることもなく・・・。

そして、さらにすごかったのは、ふた七日に当たる元旦。
祖母からの年賀状が届いたのです!
例年通り、12月15日には、きちんと投函してあったようで・・・。

本当に、幸せな最期ですよね。

まさに、PPK(ピンピンコロリ)!

この話をすると、誰もが「こんな逝き方ができたら幸せだ」とおっしゃいます。

長々と、二人の祖母のことを書きましたが、
二人とも、時代に翻弄されながらも、精一杯、
自分の運命を享けいれ、その中でベストを尽くし、
潔く「自分の人生」を生きた女性だったんだと思います。

実は、今日(19日)、対馬先生が担当されている共立女子大学の講義の
ゲスト講師として、「女性とスポーツ」について話をさせていただきました。
(もう今年で3年目です!)
その中でも、昨日と今日が二人の祖母の命日であることをお話し、
「日本でも、ほんの何十年前には、女性が自由に生きることができなかったこと、
 世界を見渡すと、現代でもまだ自由に生きられない国もあること。
 せっかく自由に生きられるようになったのに、
 自分らしく生きられないのはすごくもったいない!
 先人たちの気持ちに想いを寄せ、自由に感謝して、
 自分らしく、自分の夢をかなえてほしい!」
と、お話させていただきました。

二人の祖母が、そして母が、命がけで自分に命を伝えてくれたのに、
自分が次の世代に「遺伝子」を伝えることは難しくなってきましたが、
こうして「想い」を伝えることは自分にもできることですよね。

自分は、そのために生まれてきたのかもしれないなあ・・・と、
改めて気付かせていただいた、二人の祖母の命日でした。

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2009/12/19  22:55

ヤスおばあちゃんのこと。  プライベート

そして、今日は父方の祖母、「ヤス(安子)」さんの命日です。
昨日書いた母方の祖母は、私が幼い時に亡くなっていたので、
物心ついた時に「おじいちゃん、おばあちゃん」と記憶に残っている人は、
このヤスおばあちゃんだけなのです。

戦争で祖父を亡くした後、8人の子供をそれぞれ大学まで出し、
祖母は曾祖父母の世話をしながら、
家業を切盛りしていた「ゴッド母さん」。

従兄姉の話を聞くと、「おばあちゃんに遊んでもらうことなんてなかった」
といわれるのですが、
父が8人兄弟の末っ子なので、私たち兄妹は「末孫」。
私たちが生まれた頃は、ようやく家業を伯父の代に引き継ぎ、
すこし時間的に余裕ができた頃だったという意味で、年周りもよかったのでしょう。
家も近く、幼稚園やお稽古事(伯母から日舞を習っていた)の帰りには
必ずおばあちゃんの家に寄っていたので、週に2〜3回は行っていた計算?
当然、私はものすごい「おばあちゃんっ子」でした。

祖母の家に行くと、まずはお仏壇にお参り。
それから、お茶とお菓子を御馳走になりつつ、ここ数日の出来事を報告すると、
50円〜100円のお小遣いをもらって近所のお店に買い物へ!
後はテレビを見たり、本を読んだり、
何をすることもなく、数時間お邪魔していたように思うのですが・・・。
お客さんの多い家でしたから、礼儀作法はもちろん、
掃除、庭の草取り、お裁縫や料理、お花の水揚げなど
今思えば、いろいろなことを自然に教えてもらっていたような気がします。

おばあちゃんはものすごい「褒め上手」。
トランプで遊ぶ中で数字や計算について教えてもらったり、
絵や字を書いたりすると、過剰におだてられ、
その気にさせられた気が・・・。
夏にはバスに乗ってプールにも連れて行ってもらいました。
宮崎の夏ですから、相当暑かったはずですし、
当時65〜75歳くらいだったはずなので、結構体力的にも厳しかったはずなのに、
日傘を差してニコニコと私たちがプールで遊ぶのを見守ってくれていました。
スイミングクラブに通うことなく、幼稚園時代からスイスイ泳げていたのは、
きっと祖母のおかげでしょうね。

明治41年生まれの祖母。実の兄弟はみんな医者になっていることもあり、
自分も医者になりたかったそう。
でも時代柄それが許されず、嫁いできたので、
子供の誰かを医者にしたかったけれど、8人誰も医者にならなかった。
今度は孫の誰かに・・・という夢もあったようで、
「あんたはよかねえ。おなごん子でも医者どんになるっ時代に生まれっせい・・・」
(あなたはいいねえ。女の子でも医者になれる世界に生まれて)
と常々言われ、気がついたら素直に「洗脳」にはまっていたような・・・(苦笑)。

さらに身長も158cmあり、当時としては結構ふくよかで大柄。
同じく体格がいい私の姿が自分に重なるのもあったようで、
「あんた(私)は、自分に似て、器量はあんまりよくないけど、
 健康優良児だし、頭もいいから、しっかり勉強しなさい。
 勉強していれば、おばあちゃんがいい嫁ぎ先を探してあげるから!」
と口癖のように言われました。
(もちろん、都城弁で。・・・今考えると結構失礼デス。)

平成元年4月に、兄と私が医学部に合格した時の喜びようは、とにかく凄かった!
まさに踊りださんばかりで、「大喜び」って、こういうことを言うのだと。

そして、その冬、私が大学1年生のこの日に、突然亡くなったのです。

                          続く。


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2009/12/18  22:03

二人の祖母の命日に寄せて  プライベート

毎年、12月のこの日になると、書きたいと思いつつ、なかなか書けなかった話を。

すごく珍しいめぐり合わせだと思いますが、
今日12月18日は母方の、翌19日は父方の祖母の命日なのです。
父も母も、幼い時に父親を亡くしているため、
私には「おじいちゃん」という存在のイメージがありません。
でもその分、この二人の祖母の生き方が、
現在の自分に大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。

まず今日は、12月18日に亡くなった
母方の祖母「勝子さん」について書きたいと思います。

祖母が亡くなった時、私はまだ2〜3歳でしたから、
祖母と直接触れ合った記憶は正直なところ全くありません。
でも、その祖母が懸命に、女手一つで育て上げた一人娘である私の母からは、
祖母の人と成りについて沢山の話を聞いて育ちました。

終戦直後の混乱の中、私の母を授かり、一人で産み、必死で育てた勝子さん。
若いうちから結核を患い、私が生まれる頃にはほとんど寝たきりで、
私は兄は「ねんねのおばあちゃん」と呼んでいました。

「この子たちには、ずっと『ねんねのおばあちゃん』のままなんだろうね・・・」
と、切なく母に語りながら、48歳の若さでこの世を去りました。

母や、親戚からは、すごく人情に厚く、気風がよくて、おしゃれで粋な人だったと。
私の中でイメージしてきた祖母の姿は、さだまさし原作の「眉山」の主人公「龍子」そのものなんですが・・・どうでしょう?お母さん。

いろんな逸話を聞きましたが、その中で一つ、印象深いものを紹介したいと思います。

子供の頃、夜中に目が覚めて、淋しくて一人で寝るのが怖くなって
母の布団に入って行った時、
母が教えてくれたこと。

「お母さんも、子供の時にこうしておばあちゃんの布団に入って行ったら、
 おばあちゃんに言われたの。
 『人間はね、生まれるときと、寝る時と、死ぬ時には一人なんだよ。
  たとえ双子でも一人ずつ生まれてくるし、
  隣で誰かが寝ていてくれても、同じ夢を見ることはできない。
  死ぬ時も、もちろん一人。
  だから人間は、一人でいる時間を大切にしなければならないんだよ。
  人間は一人だって理解できているこそ、
  誰かと一緒に過ごせることを余計にありがたいと思えるし、
  うれしく感じるものなんだよ。』
 だから、自分のお布団で眠ろうね。」

この話。実は、中学生・高校生への性教育の講演に行くことがあれば、
必ずお話することにしています。
「一人の淋しさは、決して安易な性交で埋められるものではないんだよ。」
「淋しさを紛らわせるために、ちゃんと準備と決意がない状態で性交を行うと、
 場合によっては、後から余計な淋しさが押し寄せてくることもある」
って言葉も添えて。
感想文をいただくと「心に残ったこと」として、この言葉を挙げる生徒さんが
本当に多くて驚きます。

彼女が命をかけて産み育てた母から私に彼女の人となりが伝わり、
私の仕事を通じて彼女の想いが誰かに伝わっていくことの不思議さ。
私がこんな仕事を選んだ原因の一つに、
彼女の影響はきっとあるんだろうな、と思います。

なかなか命日にお墓参りには行けませんが、
こうして祖母のことを思い出すのが一番の供養ではないかと勝手に解釈して、
ここに書かせてもらいました。






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2009/12/14  18:43

ふたごちゃん初登場!  分類なし

週末は、性感染症学会のため京都へ!対馬院長のピンチヒッターで、発表してきました。
土曜日の外来を終えて新幹線にのり京都へ。久しぶりに銀座のクリニックから有楽町駅に向かい、東海道新幹線にのったような。
春までは普通にこうして静岡往復してたのにね。すごく懐かしい感じがしました。
日曜日、発表を終えると妹の家に。
ちょうど先週、妹とはーくんと、「ぐりとぐら」改め「ふたごちゃん(あおくん・てっくん)」は宮崎の実家から帰ってきたところで、妹もそろそろ煮詰まり気味…?
子供たちに会うのは9月以来ですから、三ヶ月ぶり。
ふたごちゃんは、もう五ヶ月。すっかり首が座り、よく笑い、恐ろしくかわいくなっておりました。
はーくんもすっかりお兄ちゃんに。一人前に会話が成立します。
なにより、三人の子供の世話をフツーにこなす妹の姿に、感動!そして尊敬。
偉いな〜!すごいな〜!って…。

ふたごちゃん用のベビーカーを押してお散歩に出かけたり、お昼寝させてもらったり、のんびり過ごさせてもらいましたが、やっぱりふたごちゃんの子育ては、ママ一人では物理的に手が足りない!
ママ一人で二人をベビーカーに乗せ、お兄ちゃんの手をつないでお散歩するのは至難の技!
通りすがりの人に優しく声をかけてもらったり、泣いてるのをあやしてもらったりすると、こんなに嬉しいものなんですね。
私も癒されついでに、「2本の手」として時々は来れるといいな〜。
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2009/12/9  21:19

トリュフちゃんのお母さん  ペット

このところ、あんこさんのお気に入りはトリュフちゃん。
家の中ではずーっと抱えています。

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夜、居間から寝室に動くときも、首をくわえて連れてきます。
時々、首に噛み付いたまま、眠ってしまいます。
それを写メで撮ろうとすると、睨みます。

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君はトリュフちゃんのお母さんか?

これって、偽妊娠(想像妊娠)ってやつ?…避妊手術したあんこさんでもあるのかな?

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