昨日、宮崎の「ブレストピア婦人科クリニック」での2ヶ月にわたる週1回勤務が終了しました。短い間でしたが中味の濃い、学ぶことの多い勤務でした。地元とはいえ、まったく初めての土地での診療で、最初は緊張や不安も大きかったのですが、地元の気安さなのか(宮崎人のおおらかさ?)、すぐに馴染ませていただき、最後は本当に名残惜しくてたまらなくなりました。
今回は水曜日から3泊宮崎市に滞在したのですが、3日とも「送別会」をしていただきました。初日は婦人科のスタッフ、2日目はブレストピア本院のドクターたち、3日目は高校の同級生であるブレストピアの放射線科医Mさん夫婦を含むメンバーで。皆さんお忙しい中有難うございました。(・・・食べすぎでおなかがぱんぱん!今日はさすがに「休肝日」にしました。)
皆さまのお陰で、「いつかは」宮崎の女性たちのために仕事をしたいという新しい夢も膨らんできました。またいつか、一緒に仕事が出来ることを夢見ています。
今日は、宮崎のホテルでゆっくり朝寝坊して、高校の時に下宿でお世話になったYさんの家にご挨拶に伺いました。「宮崎のお父さん、お母さん」であるおじちゃん、おばちゃんの顔を見て、やっぱり涙腺が緩んでしまいました。
私は宮崎西高校理数科の出身です。宮崎では当時唯一の全県区から入学できる県立進学校で、宮崎市内には4校の県立普通科高校があって、その校風から「南監獄、西地獄、大宮天国、北パラダイス」と言われていた、その「地獄」ですから、規則も厳しかったし、当然受験へのストレスもあるし、とてもストレスのかかる毎日でした。3年間朝は7時半から補習、夏休み・冬休みもお盆と正月の数日以外はほぼ毎日補習で登校しなければなりませんでした。都城からは通学に間に合う汽車(宮崎ではJRを汽車と呼ぶ)も無く、3年間下宿でお世話になりました。
その下宿、Yさんの家は本当に癒される場所でした。下宿というより「ホームステイ」のような温かさ。Yさんご夫婦の娘さん・息子さんが私と同世代だったのですが、毎日同じ朝・夕の食事とお弁当。その上、お茶の時間には手作りのお菓子まで用意してくださって・・・。忘れられないのは共通一次試験(私は平成元年、最後の共通一次を受けました)の日のお弁当。爪楊枝でおばちゃん手作り・手書きのメッセージ入りの旗が立っていたのです。無事に医学部に進学でき、今の私があるのは本当におじちゃん、おばちゃんのお陰です。今日は久しぶりにお会いできて、昔話に花が咲き、懐かしいお昼ご飯をごちそうになり、JRで都城の実家に戻ってきました。今は例によって家族に囲まれてのんびりしています。
こうして自分のルーツを見つめることが出来るのは本当にありがたいことです。10代の多感な頃に夢に向かって精一杯頑張ってきた自分をいとおしく思えたと同時に、たくさんの方から精一杯の愛情とアドバイスをいただき、力をお借りしてきたありがたさを感じ、とても謙虚な気持ちになれた気がします。
故郷でたくさんのパワーを蓄えて、明日東京に帰ります。
これからはイーク丸の内での仕事にしっかり専念しますね!

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