忘れないうちに書いておきたい言葉
2007/10/20 6:31 | 投稿者: Author
「自分を持っているからこそ人を愛せる。
やっと今、人を愛せる自分になった。」
今、毎朝時計代わりにつけている「めざましテレビ」で、夏木マリさんの結婚についてのインタビューが流れていた。最近、この方、すごく注目されてますね。。。
聞いていて、
「そうそう、それそれ!!」と思ったのがこの言葉。
ネットでどう報道されているかを探してみましたが、なんだか「フランス婚」なんて言葉にばかり注目して、本当に大切なこの言葉については深く掘り下げられていないのが残念!
今週参加した「こころとからだの勉強会」で、児童虐待分野の第一人者である成育医療センター「こころの診療部」の奥山眞紀子先生のご講演を拝聴しました。
目を覆うようなむごい症例提示が続く中で、
「児童虐待のリスクファクターのひとつは「望まない妊娠」がある。子育ては妊娠中から始まっている」というお話がありました。
婦人科医としてはさらに、「それは妊娠前から始まっている」と実感しています。
望まない妊娠を含め、女性が抱える諸問題の根底には
「自己価値観の低さ」
が大きく横たわっているように思うようになりました。
うまく書けるのか自信がないのですが、
婦人科外来で多くの人の悩みを聞いていると、
自分を自分で愛せない人が多すぎると感じています
その分を、人から愛されることで埋めようとするのだけれど、
自分以上に自分を理解し、愛することができる「他人(=自分以外の人)」がいるわけがないので、親兄弟でも難しいのに、それを「他人」であるパートナーに求めることがいかに難しいかを理解できている人は本当に少ないのではないでしょうか?
少しでも期待から外れると「裏切られた」と感じてしまい、余計に自己価値観を落としてしまう・・・。
女性にはその傾向がとても強いような気がしています。
「三歩下がって」が美しい
という教育が脈々と続いてきた弊害が大きいのかもしれないのですが、
すっかり「自立」していそうな今の若い女性でさえも、
恋愛になると「(男性に愛される)可愛い女性にならなきゃ」
「自分が一歩下がったほうが幸せになれる」と思い、
大切なところで言いたいことを言えない人がいる、というより、決して少なくないような。
例えば、「避妊して」とか「コンドームをつけて」とか言えないとか、「ピルを飲もうと思ったけど、彼から「そこまでする必要はないんじゃない?」といわれたとかの結果、望まない妊娠や性感染症を引き受けてしまう人は後を絶たない・・・。
極端(?)な例が、DV(domestic violence)になるのですが、
表面化しないまでも、「それってDVじゃん!」
って突っ込みたくなるような話はゴロゴロある。
自己価値観が低いので、自分の尊厳が脅かされるような発言や行動に対しての感覚が鈍磨しているというのでしょうか?
それに、一見「自分を愛する」ことができているように見える人の中にも、「条件付け」が厳しすぎる人が多い。「こうあらねばならない」「こうすべき」というのが強く、その条件から少しでも外れると「こんな自分を認めたくない」となってしまう。
「「幸せな結婚」をして、子供にも恵まれて、幸せいっぱい!!」
な人が、子育てでつまづく例も多い。
「愛するための条件が厳しい」(=こうでないと愛せないという気持ちが強い)というお母さんに育てられた子供は、一生懸命その期待に応えようと頑張るのだけれど、みんながその「条件どおり」に育つわけがない。
そこで非行(これって死語?)に走るなど「爆発」してしまう子供も多いし、それこそ極端には「虐待」で命を奪われてしまう場合もあるだろうと思う。
「周りの人がどうあろうと、揺るがない自分があること」
「あるがままの自分を愛すること」
これが「自分を愛することができる」ということなんだと思う。
(もちろん、「他人の幸せと尊厳を侵害しない」というのは絶対条件)
この最終目標に到達できてこそ(最低限、その大切さを理解してそこを目指してこそ)
他人との「馴れ合い」ではないパートナーシップが得られるのではないでしょうか?
いつも、銀座の対馬院長と話していると「女性の自己価値観を高めるにはどうしたらいいのか?」という話に行き着くのですが、夏木マリさんの言葉に少しヒントがあったと思うので、まとまりがないなりに書いてみました。
今日は土曜日ですが、これから外来。いってきま〜す!
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やっと今、人を愛せる自分になった。」
今、毎朝時計代わりにつけている「めざましテレビ」で、夏木マリさんの結婚についてのインタビューが流れていた。最近、この方、すごく注目されてますね。。。
聞いていて、
「そうそう、それそれ!!」と思ったのがこの言葉。
ネットでどう報道されているかを探してみましたが、なんだか「フランス婚」なんて言葉にばかり注目して、本当に大切なこの言葉については深く掘り下げられていないのが残念!
今週参加した「こころとからだの勉強会」で、児童虐待分野の第一人者である成育医療センター「こころの診療部」の奥山眞紀子先生のご講演を拝聴しました。
目を覆うようなむごい症例提示が続く中で、
「児童虐待のリスクファクターのひとつは「望まない妊娠」がある。子育ては妊娠中から始まっている」というお話がありました。
婦人科医としてはさらに、「それは妊娠前から始まっている」と実感しています。
望まない妊娠を含め、女性が抱える諸問題の根底には
「自己価値観の低さ」
が大きく横たわっているように思うようになりました。
うまく書けるのか自信がないのですが、
婦人科外来で多くの人の悩みを聞いていると、
自分を自分で愛せない人が多すぎると感じています
その分を、人から愛されることで埋めようとするのだけれど、
自分以上に自分を理解し、愛することができる「他人(=自分以外の人)」がいるわけがないので、親兄弟でも難しいのに、それを「他人」であるパートナーに求めることがいかに難しいかを理解できている人は本当に少ないのではないでしょうか?
少しでも期待から外れると「裏切られた」と感じてしまい、余計に自己価値観を落としてしまう・・・。
女性にはその傾向がとても強いような気がしています。
「三歩下がって」が美しい
という教育が脈々と続いてきた弊害が大きいのかもしれないのですが、
すっかり「自立」していそうな今の若い女性でさえも、
恋愛になると「(男性に愛される)可愛い女性にならなきゃ」
「自分が一歩下がったほうが幸せになれる」と思い、
大切なところで言いたいことを言えない人がいる、というより、決して少なくないような。
例えば、「避妊して」とか「コンドームをつけて」とか言えないとか、「ピルを飲もうと思ったけど、彼から「そこまでする必要はないんじゃない?」といわれたとかの結果、望まない妊娠や性感染症を引き受けてしまう人は後を絶たない・・・。
極端(?)な例が、DV(domestic violence)になるのですが、
表面化しないまでも、「それってDVじゃん!」
って突っ込みたくなるような話はゴロゴロある。
自己価値観が低いので、自分の尊厳が脅かされるような発言や行動に対しての感覚が鈍磨しているというのでしょうか?
それに、一見「自分を愛する」ことができているように見える人の中にも、「条件付け」が厳しすぎる人が多い。「こうあらねばならない」「こうすべき」というのが強く、その条件から少しでも外れると「こんな自分を認めたくない」となってしまう。
「「幸せな結婚」をして、子供にも恵まれて、幸せいっぱい!!」
な人が、子育てでつまづく例も多い。
「愛するための条件が厳しい」(=こうでないと愛せないという気持ちが強い)というお母さんに育てられた子供は、一生懸命その期待に応えようと頑張るのだけれど、みんながその「条件どおり」に育つわけがない。
そこで非行(これって死語?)に走るなど「爆発」してしまう子供も多いし、それこそ極端には「虐待」で命を奪われてしまう場合もあるだろうと思う。
「周りの人がどうあろうと、揺るがない自分があること」
「あるがままの自分を愛すること」
これが「自分を愛することができる」ということなんだと思う。
(もちろん、「他人の幸せと尊厳を侵害しない」というのは絶対条件)
この最終目標に到達できてこそ(最低限、その大切さを理解してそこを目指してこそ)
他人との「馴れ合い」ではないパートナーシップが得られるのではないでしょうか?
いつも、銀座の対馬院長と話していると「女性の自己価値観を高めるにはどうしたらいいのか?」という話に行き着くのですが、夏木マリさんの言葉に少しヒントがあったと思うので、まとまりがないなりに書いてみました。
今日は土曜日ですが、これから外来。いってきま〜す!

2007/10/28 0:24
投稿者:はごいた
その分を、人から愛されることで埋めようとするのだけれど、
私もそう思います。
でも「愛される」っていうのは難しい。
愛というものは、与えるもので
もらいたいと思うものではないですから。
極端な例ですが、
古代ギリシャでは「愛」というのは男性同士のものだったと、どこかで読みました。
愛…というか信頼とか敬愛とか、そういう関係です。
じゃあ女性は…というと「ペット」の存在。
何ですって?と思うけど
犬やネコってかわいいですよね。
議論はできないけど
一途でかわいい。自分に頼りきりだし、もう片時もはなれたくないって思うことがある。
そういう存在だったということだそうです。
この日記を拝見して、当時からあんまり代わっていないのかなと思いました。