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タグ: 自由 平等 友愛

2017/8/18  7:35

人種主義はよくないが南北戦争のモニュメント撤去は行き過ぎでは?  鯨日乗
 アメリカでのことではあるが、南北戦争のモニュメントは青少年にアメリカの歴史を教えるのに重要なものだと思う。

 リー将軍は人種主義とは関係なく、南北戦争の南軍の英雄であり、南部の人に言わせれば「自分たちの国を守ろうとした人」である。

 それに南部は農場で働く労働力を確保したかっただけであり、ナチスのような大虐殺をもくろんだわけではない。

 南部のアメリカ連合国とナチスを同列に並べるなどとんでもないことだ。

 南部に黒人の絶滅収容所でもあったというのか?

 たしかに黄色人種にとっても、南部に根強い人種差別は不快なことだ。

 しかし彼らが持つ「南部の誇り」を汚すことは、決してしてほしくないと思う。

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タグ: 日記 記録 感想

2017/8/14  22:33

「ポル・ポト<革命>史」を読んで  文化国家
 久郷ポンナレットさんの講演を聴き、「何かカンボジアについての本を読まないとな」と思った。
 電子図書で何かないかと思い捜しましたら、ポル・ポト政権の頃に東南アジアで読売新聞の記者をしていた山田寛さんという方の本に出会いました。 
「ポル・ポト<革命>史(虐殺と破壊の四年間)」(山田寛著 講談社刊)という本です。
 ポル・ポト政権やカンボジア内戦に関する通史ということですので、復習もかねて読んでみました。

 今、ポル・ポトが虐殺したカンボジア人民は約150万人ということで、だいたい決着しているそうです。

「罪を憎んで人を憎まず」…土光敏夫の本に東洋の「慈悲」は西洋の「愛」に劣らない考え方であることを、強調しているところがありました。
 この場合の「慈悲」は仏教からきています。

 久郷ポンナレットのお母様の残したメッセージは、まさにこの「慈悲」の考え方そものだと思うのです。

 その思想を柱にして、カンボジアを平和な国にしていこうということです。

 それはもっともなことですし、平和運動の根本に慈悲があると考え方は、ひじょうに日本人の心にも合致すると思いました。

 カンボジアは難しい国ですけど。

 できればカンボジアから日本に国費留学生や、研修生を送り込んでほしいと思いました。
 
 やはり「ルック・イースト」ですよ!

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タグ: 文化 芸術 美学

2017/8/12  2:50

先日ラジオでサザンの「TUNAMI」を聴いた  文化国家
 先日、ラジオを聴いていたら…パーソナリティーの方が特に気に入っている曲の一つとして、サザンオールスターズの「TUNAMI」をかけ、「やはりよいですね」と感想を話していました。

 東日本大震災以降、この曲は一種のタブーとなってしまい、テレビでもラジオでもかけられなくなってしまいました。

 しかしこの津波は人の「荒ぶる心」をあらわしたもの、当時も奥尻島の津波の悲劇がすでにありましたし、それは承知でつけられた曲名です。

 サザンの代表曲の一つであるため、被災地でも復活を望む声が強く、最近はかけられることが増えてきているようです。

 私もこの曲が出た時に不謹慎な曲名のように思ったのですが、いざ歌詞を読むと他のことばに置き換えることが難しい、「荒ぶる心」をあらわすためには、「荒ぶる自然」、「荒ぶる神」の象徴である津波しかなかったのかもしれません。

 ただ・・・もし私が津波で大切に想っている人を失ってしまったら、この曲を素直に聴けるでしょうか?
 私にはわかりません。

 ただこの歌詞・・・失われた日々を想い出す歌でもあり、もし愛しい人が亡くなっていれば、慰霊の歌にもなってしまうのです。

 皮肉なことに・・・。

 「好きなのに泣いたのは何故?思い出はいつの日も...雨」…雨が涙の象徴だとすると…。

 この曲はサザンの歌なので夏の歌のように感じますが、よく読むとはっきりしていません。
 夏は想い出の中であり、季節はあるいは冬なのかもしれません。
 男が一人孤独に海辺に立っているのであれば、おそらく夏ではないでしょう。 

 やはり…夢の中でしか愛しい女性に出会えないとすれば…やはりその人は亡くなっているのではないでしょうか?実際歌詞の中で「死ぬまで好きと言って」と歌っているのですから。

 この歌でも津波は「死」を暗示しているように感じられます。

 愛しい人よ…君はあの世に行ってしまった。僕はあの夏に君と出会った海にきている。もう僕には生きる気力もない、心は津波のような激しい悲しみと侘しさで満ちている。でも僕は生きていく、きっと僕は打たれ強い、愛しい人よ・・・いつか僕は君のそばに行く、夢の中で君は僕に微笑みをくれた、僕はそれで強くなる、愛しい人よ弱い僕を見守っておくれ!

 そのような意味だとすると、むしろ震災の悲しい日にかけるべき曲なのかもしれません。

 辛すぎるかもしれませんけどね。

 震災で多くの人が亡くなっても、夢を通じても微笑みをくれれば残された人は生きていける、そう考えれば…決してこの名曲を亡くしてはいけません。

 長く長く残していくべき曲だと思いました。

(TUNAMI 歌詞)
http://j-lyric.net/artist/a000623/l00097a.html

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タグ: 文化 芸術 美学

2017/8/11  5:55

久郷ポンナレットさんの講演会聴いてきました  鯨日乗
 終戦の日が近づいてきて、「2017連合岐阜 平和の集いinぎふ」というイベントに行ってきまして、久郷ポンナレットさんという方の講演会を聴いてきました。

 岐阜市周辺がすさまじい渋滞で、いつもなら1時間20分くらいで着くのに1時間50分ほどかかってしまい、遅刻してしまいました。

 仕事が終わってすぐに行ったのですけどね。

 カンボジア出身の方で、ポル・ポト政権の暴政を逃れ日本に留学していた長姉を頼って日本に亡命、16歳から日本の海老名小学校、横浜市立西中学校、湘南高校(夜間)を経て、小学校の頃と言ったかな?今の夫が新聞記事を見て手紙をくれ文通を開始しその後結婚、今は2児の母として幸福に暮らしておられるそうです。

 今は個人情報保護法があり新聞記事に住所がのることはないので、それがなかったから今の夫に出会えたという、まあのろけ話も聴かせてくださいました。

 講演活動をはじめたきっかけは、16歳から教育を受けた自分の経験から勉強の大切さを伝えること、そして、何名かのジャーナリストが「ポル・ポト政権による虐殺はなかった」と言い出し、日本人のかなりの人が信じだすにおよび、危機感を感じポル・ポト政権により両親と兄弟の6人も虐殺され、4人兄弟となりそれでも努力して生きてきたこと、亡くなった両親と兄弟の記憶を永遠に伝えるため、講演活動をはじめたそうです。

 姉の一人は、最期に「日本に行きたい、私日本に行ったのよ」と言って、夢を見た幸福な表情で亡くなったそうです。
 死因は栄養失調でしょうけど、その姉だけは「天真爛漫で、どこか不思議な人だった」と語っていました。
 長姉のいる日本に何とか行きたい、タイ経由で日本に来たそうですけど必死だったのでしょうね。
 家族を虐殺された悲しみが満ちていました。

 父は国家公務員でしっかりした人、母な女学校の先生で熱心な仏教徒だったそうです。

 母は「罪を憎んで人を憎まず」…硬い表現でしたが、仏教の教えにのっとり「慈悲を持って決して人を憎んではならない」と子供に教え、お守りにその内容を書いて持たせてくれたそうです。

 元ポル・ポト派の人と両親が殺されたところに行き、共に慰霊をしたそうです。

 元ポル・ポト派の人も、今は普通の人だったそうです。

 戦争は憎悪からくる、しかし慈悲の心を持ち人を憎まないよう努力をすれば、きっと戦争は避けられる、そういう努力を怠らないようにしましょう、そんな問いかけでした。

 日本では、支那の支援を受けたポル・ポト政権の暴政を認めない人がいます。
 それを考えれば思いきった人選でした。
 ただ風化した記憶よりも、最近のことであるので生々しさを感じました。

 本は電子図書があったら買おうと思ったですが、なかったので勘弁させていただいています。

 ただひとつだけ…知ってほしいことがあった。

 彼女は知らないかもしれないけど、日本全国そして横浜ではカンボジアの飢餓の状況とポル・ポト政権の暴政が知られるにおよび、「カンボジア難民を救おう!」と保守、革新を問わず懸命な呼びかけがされ、街頭で市民が写真を掲げさかんに募金活動が行っていました。

 小さかった私がカンボジアという国を知ったのもその時でした。

 横浜は革新の飛鳥田一雄市長の頃でしたが、次の保守の細郷道一市長になってもカンボジア難民への暖かい目は続きました。

 一部に心ないことばを浴びせる人がいたかもしれないが、多くの人がカンボジアを何とかしようと考えていました。

 彼女が来日した頃にはもう一段落しており、長姉から聞いたくらいであまり知らないのかもしれません。

 その平和な日本で、人民の温かい心が一人の幸福なカンボジア人を生み出した。

 長い時がすぎその事実を間近で見て聴いて、平和の大切さをあらためて噛み締めました。

 当時は戦時中東南アジアで戦ってきた人たちもまだ元気でした。 

(8/12(土)修正)
 書名の関係があって19歳からと書いてしまいましたが、16歳からの誤りでしたた、お詫びのうえ修正させていただきます。

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