2012/2/9 22:06
特攻隊ー都城西飛行場 社会
僕の家の近くに飛行場の跡がある。そこで子供の頃は良く遊んだ。今もあると思うけど、自衛隊の演習場の敷地内で入れない(昔は入れた。30年以上前)。
そこは、特攻隊が飛び立った。都城西飛行場跡である。


2009年、僕の長男(当時5年生)が宮崎日日新聞のこども記者として、テーマに選んだのがこの特攻隊である。身近にこのようなことがあったということに興味を覚えたようだ。
そして記事になった。


そのことでの、患者さんとのやりとりである。彼は、この歪んだ国を心配していた。

○○様
先日は、おかげさまで、スマナサーラさんの講演を拝聴することができました。ありがとうございました。やはり人間は成長を目指していかなければならないと改めて思いました。私は精神的に成長するのが生きる目的だと思います。
以下は、私のブログ
2011/11/23 12:33
アルボムッレ・スマナサーラ 水彩画
先日(11月20日)、私の尊敬するスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)アルボムッレ・スマナサーラ長老の講演が宮崎であったので行ってきた。
http://happy.ap.teacup.com/yosimaki/609.html#comment
テーマは「自分直し」であった。
僕はスマナサーラ長老に出会ってから世の中がもっと良く見えるようになった。そして、本物の仏教(初期仏教)に触れる事ができた。ブッダの言葉を間違った解釈なしにそのまま伝える人、それがスマナサーラ長老である。
彼は言う。仏教は宗教では無い。仏教は科学であると。(注)幸福の科学とは全く関係ない)。僕もそう思う。仏教は教えであり自由である。神様のように契約する必要も無い。自分で生きる道を切り開くのが仏教である。
そして、長老の話を聴くとよくわかる。この世は、感情による錯覚と妄想の世界(世の中は感情による妄想と錯覚から出来ている)。まさに仮想現実(バーチャル)。そこから抜け出さなくてはならないと。
素晴らしい講演であり、感動した。精神科医の香山リカ氏や養老孟子氏のとの対談の本はあるが、ぜひ、いつかデビッド・アイク氏と対談してもらいたい。
さて、講演の内容で僕がメモったことは以下の通り、
・何事も環境を変えるのではなく、環境に合わせる事が大切だ。変化とは命を守るために自分を変える。しかし、このことにより不自由に捉われている。
・変わらなければ生きていけない。コンサバティブ【conservative】保守的では生きていけない。世の中は無常であり常に同じものは無い。変わるのが宇宙の法則、現状が嫌なら変わる事。
・精神的に進歩主義でなければならない。何事が起きてもびっくりして驚いてはいけない。それは当たり前のこと。不思議なことなど何ひとつない、あるのは無知。
・変わる事は、合わせることばかりではない。八方美人ではいけない。変わり方を間違えない。
・生きる目的などわからない。昨日より今日は少しましな人間になろう。それが生きること。
・自分を直すことは世界を直す事。周りを幸せにすれば世界は必ず平和になる。それが仏教の教え。
・自分の心の安らぎが大切な事。世界を救おうとは余計なこと。
・人や子供に説教することは無知の証し。
・一切の生命が幸福でありますように。これが全て。
・変わる事は”呼吸”と同じ。変わる事ができなくなれば止まる。
など、スマナサーラ長老の優しい語りかけは会場全体にそのエネルギーを満ち溢れさせた。
質問する機会を頂いたので、スマナサーラ長老と直接やりとりすることができた。
僕の質問は、スマナサーラ長老の衣のことである。長老は、からし色と橙色の衣を身に着けていた。日本の僧侶が真っ黒の衣や紫の衣をつけているのとは対照的に非常に鮮やかである。
僕の質問
日本の僧侶は黒っぽい衣を身につけているが、長老は鮮やかな橙色の衣を身につけていらっしゃる。それは何か仏教的な意味合いや象徴するものがあるのですか?
長老の答え
これはお釈迦様が言われたので身につけている。これは自然の色である。秋になると葉っぱは紅葉する。そして枯れると茶色になる。だから、橙色と茶色の衣を身につける。これが本当の自然の色だから。
なるほど自然の色だ。日本の僧侶もぜひこのような鮮やかな色の衣を身につけて頂きたい。何故、黒っぽい衣なのか?葬式仏教だから?これはぼくは無学でわからない。しかし、直接目を見て話せたのは感動した。
講演の間中、僕にはスマナサーラ長老の周りに強い色がでているのをずっと見ていた。スケッチしてみた。これもこの絵よりももっと強烈で鮮やかに出ていた。この色は、調和とやさしさと冷静さ、奉仕、平和を象徴する色である。
他の人が生命とは何かについて質問していた。
長老はこう答えた。
全ては物体である。人間の身体も物体。では他の物体との違いは何か。例えば机と人間は何が違うか?それは感じることができるかできないかの違いである。感じる機能が生命であり、生きる事である。
以 上
さて、○さんにお預かりしていた大切な資料をお送りします。そして、私の手元にある資料を一緒に同封します。
自分を大切にできない人は他人を大切にできないと思います。
それと同じで、自国を大切にできない民族は尊敬されません。自国を大切にすると右翼のように思われますが、そうではなく当たり前のこと。自国を大切にすることから他の国に優しくなれる。
世界平和を叫ぶ素晴らしい人の多くは、自分が嫌いな人が多い。大きな平和を口にして自分をごまかしている。たいてい自分の周りは不幸にしている。自分の家族を幸せにできない人間が、世界平和を叫ぶ。左翼の人にはそのような人が多い。
本当は右翼とか左翼ではなく、自分の家族を幸せにし、自分の国を幸せにし、他の国の人に優しくなり、平和が訪れる。足元が大切なのだ。何も大きなことはいらない。
ところが、日本は、自国を否定しているところから始まっている。ご先祖様は酷いことをしたと左翼の人は言う。日本人は謝罪しなければならないと。足元はグラグラでそこには誇りも尊厳も無い。
そういうご先祖様のお陰で今の自分があることを棚上げにして、恥ずかしいとは、こちらが恥ずかしい。日本人は根っ子を失っている。根っ子を失い自分を嫌っている人が人に好かれるはずが無い。だから、日本人は軽く扱われる。エコノミックアニマルで、イエローモンキーにしか見られない。
一方では、素晴らしい文化があり、世界中で日本人の考え方や文化が見直されている。世界で唯一、モラルが残った国として、そして世界一バランスの良い国民(宗教に毒されていない。あまり熱心でないという意味)として。
日本人は残虐だ、謝罪しないといけないと反省ばかり述べる人は、他の国の人が過ちを犯したとは思っていないのだろうか?残虐なのは日本人ではなく、“人間”である。
反省と謝罪からは何も生まれない。そこにできるのは上下関係だけ。
あなたの先祖が犯した罪を、孫の代まで背負はなければならないとでも思っているのだろうか?もし謝罪できるなら、それは当事者だけであって、何も関与していない孫が責任をとる必要は無いと思うが。
その負連鎖に、前向きな選択は無く、延長線上には“平和”は無い。そのような不毛な争いをまだ続ける気だろうかと、私は気が遠くなり、目の前が真っ暗になります。
人間は、一刻も早く人間らしくならなければならないと思うのですが、やはり獣から抜け出せないのかとつくづく思うのです。
長くなりましたが、資料をご覧ください。
それともうひとつの私の記事
「空港テロ想定ー恐怖を植え付ける訓練」
http://happy.ap.teacup.com/yosimaki/645.html
を同封します。こちらもお読み下さい。
またお会いできる日を楽しみにしております。尚、同意書の有効期間は1月末でしたので、期限が切れており。保険は使えなくなっておりますのでご了承ください。
それでは。乱文で失礼がありましたらお許しください。
以 上
平成24年2月9日
吉田純久
1
そこは、特攻隊が飛び立った。都城西飛行場跡である。


2009年、僕の長男(当時5年生)が宮崎日日新聞のこども記者として、テーマに選んだのがこの特攻隊である。身近にこのようなことがあったということに興味を覚えたようだ。
そして記事になった。


そのことでの、患者さんとのやりとりである。彼は、この歪んだ国を心配していた。

○○様
先日は、おかげさまで、スマナサーラさんの講演を拝聴することができました。ありがとうございました。やはり人間は成長を目指していかなければならないと改めて思いました。私は精神的に成長するのが生きる目的だと思います。
以下は、私のブログ
2011/11/23 12:33
アルボムッレ・スマナサーラ 水彩画
先日(11月20日)、私の尊敬するスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)アルボムッレ・スマナサーラ長老の講演が宮崎であったので行ってきた。
http://happy.ap.teacup.com/yosimaki/609.html#comment
テーマは「自分直し」であった。
僕はスマナサーラ長老に出会ってから世の中がもっと良く見えるようになった。そして、本物の仏教(初期仏教)に触れる事ができた。ブッダの言葉を間違った解釈なしにそのまま伝える人、それがスマナサーラ長老である。
彼は言う。仏教は宗教では無い。仏教は科学であると。(注)幸福の科学とは全く関係ない)。僕もそう思う。仏教は教えであり自由である。神様のように契約する必要も無い。自分で生きる道を切り開くのが仏教である。
そして、長老の話を聴くとよくわかる。この世は、感情による錯覚と妄想の世界(世の中は感情による妄想と錯覚から出来ている)。まさに仮想現実(バーチャル)。そこから抜け出さなくてはならないと。
素晴らしい講演であり、感動した。精神科医の香山リカ氏や養老孟子氏のとの対談の本はあるが、ぜひ、いつかデビッド・アイク氏と対談してもらいたい。
さて、講演の内容で僕がメモったことは以下の通り、
・何事も環境を変えるのではなく、環境に合わせる事が大切だ。変化とは命を守るために自分を変える。しかし、このことにより不自由に捉われている。
・変わらなければ生きていけない。コンサバティブ【conservative】保守的では生きていけない。世の中は無常であり常に同じものは無い。変わるのが宇宙の法則、現状が嫌なら変わる事。
・精神的に進歩主義でなければならない。何事が起きてもびっくりして驚いてはいけない。それは当たり前のこと。不思議なことなど何ひとつない、あるのは無知。
・変わる事は、合わせることばかりではない。八方美人ではいけない。変わり方を間違えない。
・生きる目的などわからない。昨日より今日は少しましな人間になろう。それが生きること。
・自分を直すことは世界を直す事。周りを幸せにすれば世界は必ず平和になる。それが仏教の教え。
・自分の心の安らぎが大切な事。世界を救おうとは余計なこと。
・人や子供に説教することは無知の証し。
・一切の生命が幸福でありますように。これが全て。
・変わる事は”呼吸”と同じ。変わる事ができなくなれば止まる。
など、スマナサーラ長老の優しい語りかけは会場全体にそのエネルギーを満ち溢れさせた。
質問する機会を頂いたので、スマナサーラ長老と直接やりとりすることができた。
僕の質問は、スマナサーラ長老の衣のことである。長老は、からし色と橙色の衣を身に着けていた。日本の僧侶が真っ黒の衣や紫の衣をつけているのとは対照的に非常に鮮やかである。
僕の質問
日本の僧侶は黒っぽい衣を身につけているが、長老は鮮やかな橙色の衣を身につけていらっしゃる。それは何か仏教的な意味合いや象徴するものがあるのですか?
長老の答え
これはお釈迦様が言われたので身につけている。これは自然の色である。秋になると葉っぱは紅葉する。そして枯れると茶色になる。だから、橙色と茶色の衣を身につける。これが本当の自然の色だから。
なるほど自然の色だ。日本の僧侶もぜひこのような鮮やかな色の衣を身につけて頂きたい。何故、黒っぽい衣なのか?葬式仏教だから?これはぼくは無学でわからない。しかし、直接目を見て話せたのは感動した。
講演の間中、僕にはスマナサーラ長老の周りに強い色がでているのをずっと見ていた。スケッチしてみた。これもこの絵よりももっと強烈で鮮やかに出ていた。この色は、調和とやさしさと冷静さ、奉仕、平和を象徴する色である。
他の人が生命とは何かについて質問していた。
長老はこう答えた。
全ては物体である。人間の身体も物体。では他の物体との違いは何か。例えば机と人間は何が違うか?それは感じることができるかできないかの違いである。感じる機能が生命であり、生きる事である。
以 上
さて、○さんにお預かりしていた大切な資料をお送りします。そして、私の手元にある資料を一緒に同封します。
自分を大切にできない人は他人を大切にできないと思います。
それと同じで、自国を大切にできない民族は尊敬されません。自国を大切にすると右翼のように思われますが、そうではなく当たり前のこと。自国を大切にすることから他の国に優しくなれる。
世界平和を叫ぶ素晴らしい人の多くは、自分が嫌いな人が多い。大きな平和を口にして自分をごまかしている。たいてい自分の周りは不幸にしている。自分の家族を幸せにできない人間が、世界平和を叫ぶ。左翼の人にはそのような人が多い。
本当は右翼とか左翼ではなく、自分の家族を幸せにし、自分の国を幸せにし、他の国の人に優しくなり、平和が訪れる。足元が大切なのだ。何も大きなことはいらない。
ところが、日本は、自国を否定しているところから始まっている。ご先祖様は酷いことをしたと左翼の人は言う。日本人は謝罪しなければならないと。足元はグラグラでそこには誇りも尊厳も無い。
そういうご先祖様のお陰で今の自分があることを棚上げにして、恥ずかしいとは、こちらが恥ずかしい。日本人は根っ子を失っている。根っ子を失い自分を嫌っている人が人に好かれるはずが無い。だから、日本人は軽く扱われる。エコノミックアニマルで、イエローモンキーにしか見られない。
一方では、素晴らしい文化があり、世界中で日本人の考え方や文化が見直されている。世界で唯一、モラルが残った国として、そして世界一バランスの良い国民(宗教に毒されていない。あまり熱心でないという意味)として。
日本人は残虐だ、謝罪しないといけないと反省ばかり述べる人は、他の国の人が過ちを犯したとは思っていないのだろうか?残虐なのは日本人ではなく、“人間”である。
反省と謝罪からは何も生まれない。そこにできるのは上下関係だけ。
あなたの先祖が犯した罪を、孫の代まで背負はなければならないとでも思っているのだろうか?もし謝罪できるなら、それは当事者だけであって、何も関与していない孫が責任をとる必要は無いと思うが。
その負連鎖に、前向きな選択は無く、延長線上には“平和”は無い。そのような不毛な争いをまだ続ける気だろうかと、私は気が遠くなり、目の前が真っ暗になります。
人間は、一刻も早く人間らしくならなければならないと思うのですが、やはり獣から抜け出せないのかとつくづく思うのです。
長くなりましたが、資料をご覧ください。
それともうひとつの私の記事
「空港テロ想定ー恐怖を植え付ける訓練」
http://happy.ap.teacup.com/yosimaki/645.html
を同封します。こちらもお読み下さい。
またお会いできる日を楽しみにしております。尚、同意書の有効期間は1月末でしたので、期限が切れており。保険は使えなくなっておりますのでご了承ください。
それでは。乱文で失礼がありましたらお許しください。
以 上
平成24年2月9日
吉田純久
1
2012/2/10 10:24
投稿者:元気
2012/2/9 23:39
投稿者:みーたん
都城は爆撃があり、死者も出ているんだよね。
『美しい夏キリシマ』の黒木監督は生き残りで、
作品は、そのトラウマから生まれたようだ。
知覧特攻平和会館のエントランスホールにある、天女の絵(宮崎市 仲矢勝好氏画)は、胸が苦しくなる。
ベートーベンの『月光』が聞こえそうだ。
(HPで観れます)
国歌を歌わず
「思想を曲げられない」という教師は、
子供達の思想を抑え込んで、校則や常識を押し付けてる自分に気付いていない。
チャンチャラおかしい。
『さざれ石の巌』が何か、
分かってない。
(君=天皇とも思わないケド)
今、中・高校では、
宗教の歴史は教えるケド、
宗派の経文の言葉は教えないらしい。
何だ?ソレ(`◎´)
『美しい夏キリシマ』の黒木監督は生き残りで、
作品は、そのトラウマから生まれたようだ。
知覧特攻平和会館のエントランスホールにある、天女の絵(宮崎市 仲矢勝好氏画)は、胸が苦しくなる。
ベートーベンの『月光』が聞こえそうだ。
(HPで観れます)
国歌を歌わず
「思想を曲げられない」という教師は、
子供達の思想を抑え込んで、校則や常識を押し付けてる自分に気付いていない。
チャンチャラおかしい。
『さざれ石の巌』が何か、
分かってない。
(君=天皇とも思わないケド)
今、中・高校では、
宗教の歴史は教えるケド、
宗派の経文の言葉は教えないらしい。
何だ?ソレ(`◎´)
『美しい夏キリシマ』やはり観ないといけないな。
天女の絵はこれか。http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/34645889.html
何回か行ったけど、また行かないといけないな。
子供たちも、先生の思想についていけなければ、先生の言うことを聞かなくてよいということを学ぶね。混乱を生みだしているのは誰だ。子供が可哀想。大人のバカなこだわりに巻き込まれて。