阪南市のやぐらを再度御紹介する
「地車紹介」、第15回目となる今回は
"山中渓"のやぐらを御紹介しようと思います。山中渓と言えば僕が始めて目にしたのが平成3年10月6日(日)の阪南市・市制施行記念パレード、幻の山中渓のやぐらを見れて非常に嬉しかった記憶があります。そして平成5年、48年ぶりに波太神社宮入りを再開した時の宮上がりを間地かで見学してた記憶があります。今じゃパレードで毎年拝見してますが、一昔前までは幻のやぐらだったのです。 (*^_^*)
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山中渓 (やまなかだに・東鳥取五地区)
・新調:明治時代初期
・大工:不明
・彫師:不明
・彫物:下記「彫物図柄解説」参照
・本幕:三越百貨店
・宮入:波太神社
◎ 地名「山中渓」の由来
山中は名前の通り山間の間にできた地区で平安時代の熊野参詣が盛んな頃に宿場町が形成し、昭和5年JR阪和線開通から昭和後期まで温泉町として発展しました。昭和47年の阪南町合併の際に山中から山中渓に改称されました。
◎ 先代のやぐら
山中渓にはかつては3台あったと伝えられてます。そして先代のやぐらは新家の中村より購入、その後村で解体し彫り物は分けたらしいです。
◎ 現在のやぐら
現在のやぐらは明治時代初期に信達岡中のやぐらとして新調、明治時代末期から大正時代初期にかけて信達岡中から購入、その後地元の大工:米澤清五郎氏によって大修復、昭和56年に貴田組によって大修復、昭和60年に大工:小鯛藤夫氏によって大修復された際には四本柱の組換えや大屋根の修理が施されました。また本幕は大正10年に三越百貨店から購入、図柄は富士のまき狩りが刺繍されています。また山中渓のやぐらの彫り物の題材は、はごろも昇天絵図が彫刻されています。また伝統を重んじる山中渓のやぐらは、大屋根をなんてんと祝儀袋で昔から飾られています。ちなみに山中渓は戦後1回だけ波太神社へ宮入しただけでその後はところ曳きだけでしたが、平成5年に48年ぶりに波太神社への宮入を再開しました。また提灯は白地に赤の文字で「山中」という文字です。
◎ 彫物図柄解説
【大屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・懸魚 − 正面:雲に麒麟、 後ろ:雲に鶴
・虹梁 − 波濤
・柱巻 − 右:降龍、 左:昇龍
・小脇板 − 右:誉田別命を抱く武内宿禰、 左:神功皇后 【神功皇后 応神天皇平産す】
・脇障子 − 右:楠正行 如意輪堂に辞世の句を刻む、 左:児島高徳 櫻木に歌を詠む 【太平記】
・板勾欄 − 右:?、 左:加藤清正虎退治 【朝鮮の役】
【小屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・懸魚 − 波に阿龍
・車板 − 太鼓を叩く唐子 【唐子遊び】
・太鼓周り − 楽器遊び 【唐子遊び】
・幕板 − 右:平景清綴引き、 左:義経と武蔵坊弁慶 【源平盛衰記】
・板勾欄 − 右:波濤、 左:波濤
◎ 曳行パターン
・パレード − パレードの日は森下酒店前にて和泉鳥取,自然田上組,自然田飛賀志組,自然田上東組と合流、サークルK阪南鳥取中店前にて石田宮本,黒田,下出,鳥取中と合流し9町でパレードに参加、帰りは和泉鳥取,自然田上組,自然田飛賀志組,自然田上東組と一緒に帰路につきます。
・本宮 − 本祭り1日目は午前からところ曳きと波太神社への宮入が、波太神社への宮入は鳥取中,和泉鳥取と一緒に曳行します。
・後宮 − 本祭り2日目は午前からところ曳きを行います。
・東鳥取五地区パレード − 波太神社宮入の時間によって異なりますが、本宮か後宮に和泉鳥取,自然田上組,自然田飛賀志組,自然田飛賀志組,自然田上東組の5台で、各年持ち回りで和泉鳥取,山中渓,自然田地区をパレードします。
◎ 山中渓の略年表
明治時代末期から大正時代初期−現在のやぐらを購入。
大正10年−本幕を購入。
昭和56年もしくは60年−現在のやぐらを修復。
平成5年10月10日日曜日−48年ぶりに波太神社への宮入再開。
平成8年10月11日金曜日−鳥取中、和泉鳥取と御神輿担当に当たる。
平成11年10月−山中渓のハッピのデザインを一新。
平成16年10月11日月曜日−鳥取中、和泉鳥取と御神輿担当に当たる。
◎ 山中渓関連サイト
・阪南市の祭・やぐら →
http://yagura.cool.ne.jp
・優雅・伝統・秋祭り →
http://sazern9.fc2web.com
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で、1つ教えて頂きたいのですが、平成5年に波太神社宮入りを再開した時、祭り前に一度宮上がりの練習として、波太神社へ宮上がりしたと聞いた事があるのですが、一体いつなんでしょうか? 確立としては、当時は今みたいに週休2日が確立してなかった時代なんで9月12日(日),19日(日),26日(日)のいづれかの日曜日じゃないかと…。もし誰か御存知でしたら、"
コメント欄"へでも書き込んで下さいませ。 m(__)m