前回に引き続き
「彫物画廊」と題して北野の彫物を御紹介します。今日は大屋根板勾欄右面の題材である
「三方ヶ原の戦い」を御紹介します。その前にまずは「三方ヶ原の戦い」の題材について。
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三方ヶ原の戦い(元亀3年/1572年12月22日・武田信玄 vs 徳川家康・織田信長)
かねてより上洛を目指していた武田信玄は元亀3年/1572年10月3日に甲府を出発、天竜川を渡られたくない徳川家康は本多忠勝・内藤信成を偵察として送るが武田信玄軍に捕捉されて10月14日に一言坂で戦いとなります。いわゆる「一言坂の戦い」です。徳川家康軍は撤退を余儀なくされました。
次いで徳川家康方の二俣城に降伏勧告を行った武田信玄だが二俣城が拒否したため10月18日から武田信玄軍の攻撃が開始。12月19日、助命を条件に降伏、遠江国の北部が武田信玄領となった。いわゆる「二俣城の戦い」です。
勢力を整えた武田信玄軍は12月22日、徳川家康の居城である浜松城を攻撃せずに素通りしてその先にある三方ヶ原台地を目指している様にみえた。すると徳川家康は織田信長からの援軍を加え三方ヶ原から祝田の坂を下る武田信玄軍を背後から襲う策に変更。しかし武田信玄軍は三方ヶ原にて万全の布陣で待ち構えていた。徳川家康軍にとっては予想外の展開で挑んだ戦で日没までのわずか2時間で多数の武将が戦死、徳川家康は浜松城へ逃げ戻った。
その後、武田信玄は西上を続けるが病状が悪化、西上作戦を切り上げて甲斐国への撤退を決断するが元亀4年/天正元年/1573年4月12日、武田信玄は信濃伊那郡駒場において病死する。
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彫物画廊 feat. 北野 #.16 (彫物画廊通算 #.311)
彫物題材:三方ヶ原の戦い / 大屋根板勾欄右面


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