
昭洋たちは なかなか戻ってこない。姉たちは車の中だし 仕方なく私は 周りの景色を携帯で撮る。画像がよくないのは 仕方がない・・・

「鬱凌島に無いものは 蛇と泥棒と破壊」と言う言葉があるそうだ。
破壊と言うのは 自然が守られていて 壊されていないということだ。
しかし かなり道路はきれいだったし 観光客も大勢来ていたし ますます開発はされ続けていくのだろう。
永官さんは 「鬱凌島の心配事は 川の水が減ってきていることです。」と おっしゃっていた。本当に川の水はどこも少なかった。
いつまでも 自然豊かな鬱凌島であって欲しい。

私たちが待ってる間 昭洋たちは 地元の人に話を聞く機会を得ていた。
で、その結果、残念なことに 今まで興奮して喜んでとっていた あの素敵なおうちは実は 昭洋の生家ではなかった。昭洋の生家は数年前に壊され 今は駐車場になっていたのだ。

でも この岩山、自然はおじさんおばさんが見ておられた頃とは きっと変わってはいないだろう。この駐車場の写真を見ただけでも おばさんは 懐かしく思われるはずだ。
・・・・・車は帰路へ。

トドンの町に戻ってきて 日本人の墓地跡に つれてきてもらう。
父がいつも帰島するたびに参っていた所だ。 今はもう 家が建っており 墓はない。

今回、島を訪れることになったきっかけとなったのも このお墓あとだ。

お線香を 石の塀に供えて お参りをさせてもらう。 中から住んでおられるおじさんが出てこられて ごあいさつもできた。戦争で足を負傷され 国から生活の保障をしてもらって暮らしておられるそうだ。
・・・・・
永官さんのおうちへと戻り 皆足を伸ばし休ませていただく。
ガイドさんは姉の足を見て「私もよくやったことがあります。その時いつもは母はこうしてくれました。」と 痛がる姉もなんのその、ぐりぐりぐいぐいと 揉みはじめた。
それはそれでいいけれど やっぱり お医者さんに行ったほうがいいと 永官さんは 電話してタクシーを呼んでくださった。
皆さんが休んでおられる間、姉と私は ガイドさんに案内してもらって 漢方のお医者さんのところへタクシーを呼んでもらって行く。
・・・・・
着いたところは 小さな診療所。
漢方のにおいがして、天井いっぱいに漢方の袋がぶら下がっている。
まるで チャングムの誓い の世界だ。 姉は痛くてかわいそうなのに 私はワクワクだ・・・
先生は70から80くらいのおじいさん。血色がよくとてもお元気そうだ。
先生も グニグニと 揉み解され 姉は悲鳴を上げた。

そして 針。

私は 自分の大きな足でなくてよかった・・・姉の小さな綺麗な足でよかったと 内心思いながら 姉を支えていた。

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