岩手県立大学の平塚明先生と、親しくお話をさせていただく機会を得た。先生は植物生態学を専門にしておられ、大学では「生態学」と「生物の世界」という講義を受け持っておられるとのこと。
「植物は動けないのではなく、動かない生き方を選択した」
「よく、植物がそこに『ある』という言い方をしますが、僕はやはり、植物がそこに『いる』と思っています」
植物の視点に立った平塚先生のお話は、「そうかー!」と思わず目をまん丸にして聞き入ってしまうものばかり。
●来る六月二十一日に、紫波町の園芸店「ビューガーデン」で、平塚先生のトークイベントが行われます。
ひらつか先生の植物の話〜夏至の巻〜
・6月21日(土) 14時〜15時半
・会費 1000円
・講師 平塚明先生
(岩手県立大学教授・理学博士 専門は植物生態学)
平塚明先生の楽しくて面白い、植物のお話です。私たちが目にする植物の、ちょっと意外でユニークな一面を解説。目からウロコがおちるかも。
不定期に開催していく予定です。
第一回は夏の植物たちのエピソード。
聞き手は私、澤口たまみが努めます。
お問い合わせはTEL019−673−7882(担当 佐々木さん)まで。
「ビューガーデン」ホームページはこちら→
http://www.viewgarden.com
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生態学を教えているという平塚先生に、私はかねてから疑問に思っていた事柄をぶつけてみた。
「エコロジーという言葉の使い方が、最近はおかしくなっていませんか?」
エコロジーとは本来、「生態学」という意味だったはずだ。生態学とは大雑把に言えば、さまざま生き物の相互関係や環境や物質との関係についての学問だったように記憶していた。
しかし最近は「エコロジー」という言葉が「エコ」と略され、ひとり歩きしているような気がする。
エコ生活、エコな人、エコバッグ、エコエンジン……など、その例は枚挙にいとまがない。
いったいみんな、どういう意味で「エコ」という言葉を使っているんだ? と、私は次第に疑問を持つようになっていた。
「エコロジカルな生活」と言うのであれば、「生態学的生活」ということになろうか。
それでも日本語としては何かおかしい。「生態系に配慮した生活」という意味で使っていることは分かるが、私には、どうにもしっくりこない。
生態学的生活となれば、世で言われているような「エコ生活」とは対極にある、もっと静かで穏やかなものであろう、と思うのである。
私の問いに平塚先生は一言。
「今、盛んに使われている『エコロジー』という言葉は、『生態学』ではなく『環境学』になってしまっているんです。
生態学と環境学の違いは、環境学の場合は、『常に中心に人がいる』ということです。
生態学の場合は、人も虫や植物やその他もろもろの生物と同等な、生態系の一構成員に過ぎませんよね」
なるほど、と深く納得した。
エコという言葉には、確かに人間中心的な響きがある。
これが「いい」と信じてみんながやっていることが、生き物や自然から見て、必ずしもいいとは限らない。
物事には常に裏表があり、私たちはそれらを見据えた上で、どう行動すればよいかを柔軟に選択する必要があるのではないだろうか。
柔軟性を欠くと、エコはたちまちエゴになる。
環境に配慮した生活を送ることの必要性を十分に承知した上で、それでも私には、
「これがいい!」「こうすることがいいことなんだ!」
と皆が同じ思考に陥るのは、何やらそら恐ろいことのように感じられる。