日本エッセイストクラブ賞をいただいたのは、今から二十年ほど前のことになる。
賞を頂戴すると、それ以前は考えもしなかった仕事がいくつか舞い込んできて、私は面食らった。
それはたとえば、人気アウトドア雑誌の連載であったりして、今の私なら四の五の言わずに引き受けていたに違いない。
が、私の偏屈な性格は、今に始まったことではない。
連載の内容が、「アウトドアを楽しむ、カッコイイ女性の日常を綴ったエッセイ」であったり、編集者に、「読者が憧れるライフスタイルを実践する女性として、書いて欲しい」などと説明されたりすると、私はたちまち拒否反応を起こしてしまった。
「カッコイイ女性」「憧れのライフスタイル」「アウトドアを楽しむ」という宣伝文句のいずれもが、実際の自分からかけ離れていた。
私は当時から、家のまわりの野原で虫が歩いているのを見ていればそれで満足する、ただの「ものぐさナチュラリスト」であった。
なかには、テレビの子ども向け人気動物番組に、「虫の先生」として出てくれませんか、という依頼もあり、私は即座に断っていた。
あのとき出ていれば、今ごろ「サカナくん」みたいになっていたのに……と残念がる知人もいるが、だとしたらどうだったと言うのだろう。
カマキリの帽子を被ってテレビに出ていたら……それもまた、妙にリアルで恐いと思うが。
* * *
そんななかで、私はひとつだけ、自分に不似合いな仕事を引き受けてしまった。
それは、NHK教育テレビの、子ども向けドキュメンタリー番組のレポーターのお姉さんだった。
三十歳という当時の年齢から言って、「お姉さん」と呼ばれるだけでも無理があった。テレビカメラの前で話すのにも、相当に抵抗がある。
それでも私がその仕事を引き受けたのは、それが「自然と人間」をテーマにした番組であり、自然にまつわる出来事や問題を追って、日本じゅうの現場に足を運ぶことができる、という理由からだった。
……と、なぜ急にこんなことを書いているかと言うと、その番組の最初の現場が、マナヅルとナベヅルの越冬地として知られる鹿児島県出水平野だったからである。
私はそこで、何十年も鶴の越冬を見守り続けてきた又野末春さんから、その仕事ぶりを見せていただいた。
春だった。越冬していた鶴たちは、中国大陸へと帰る時期を迎えていた。
しかしなかには、傷ついて帰れない個体もいる。
私が行っていたその日も、怪我をした鶴がいた。又野さんがそっと抱き上げ、そして私に言った。
「抱いてみますか?」
私はおずおずと鶴の体に手を伸ばし、又野さんは鶴の体を、私の両腕にバランスよく収まるように、静かに乗せた。
その瞬間の自分の気持ちが、今もって分からない。
鶴を抱いた瞬間、私の目からはじわりと涙があふれ出し、そのまま止めることができなくなった。
鶴の体の熱いほどの温もり、その胸の鼓動、時折びくっと体を震わせる仕草、その鶴が皆と一緒には大陸に帰れないという事実……それらのすべてが、私の心に何事かを働きかけてきて、私はそれが何であるかも分からないまま、涙を流していた。
泣いている、というのとも違う。ただ、涙があふれて止まらなかったのである。
昨日、『ツバメの歌』という絵本を読み返し、そんな思い出が、ふと蘇った。