昨日は終日、強い風が吹いて、私はしきりに、小学校の通学路に立つ一本のポプラのことが、案じられてならなかった。
ポプラは根が思いのほか浅く、強い風で倒れる危険がある。下の子には、風の強い日にはポプラから離れて歩くようにと、口うるさく言い含めてある。
それと言うのも私は、目の前で、一本のポプラが倒れるのを見たことがあるのだ。
めりめりっ……という烈しい音が頭上でしたかと思うと、その巨体は、すでにゆっくりと傾きかけているところだった。
私はそのとき、大きな危険の前に、自分の足がすくんで、まったく動かないことを痛感した。
木が向こうに倒れたのが、せめてもの幸いだった。さもなければ私は、あの日あの時、あのポプラの下敷きになって命を失っていた。
それは大学の構内の、校舎と校舎のあいだの狭い芝生での出来事だった。ポプラは校舎を壊すこともなく、その細長い芝生が最期の寝床であると悟っているかのように、ずうん、という地響きとともにその身を横たえたのだった。
いっぽう、子どもたちの通学路に立つポプラの木は、どこか所在なげだ。
誰がどうして植えたのか、雑草の茂る原っぱのなかに、ぽつんと立っているのである。その原っぱには、かつて家があり、庭があったのかも知れない。
* * *
そんなことを考えているとは、ひと言も話していなかったのに、今朝、例によって上の子を車で送っていると、彼がぽつりと言うではないか。
「あのポプラ、不思議だよね。いったいどうして、あそこに立っているんだろう」
私は驚いて、
「どうして今日に限ってポプラのことを話したの? ちょうど母ちゃんも、昨日からポプラのことを考えていたんだよ」
勢い込んで、目の前でポプラが倒れたのを見たことがあるという話まで、一気にまくし立てた。
「ほんとうに運が良かったんだよ、ポプラが向こうに倒れてさ。あれがこっちに倒れていたら、母ちゃんここにはいないもんね」
すると上の子は、
「きっとその木はさ、誰も殺したりしたくなかったんだよ、母ちゃん」
と言う。
そうか、そうだったのか、と私も納得した。
あの日、あの時、あのポプラは、渾身の力を込めて向こうに倒れていったのだ、と。
突然の出来事に足がすくみ、身動きひとつできずにいる哀れな人間を、道連れにはしたくなかったに違いない。
改めて、あの時のポプラへの感謝の気持ちが湧き上がって、私は思わず、泣きそうになった。
ポプラよ、ありがとう……。
おかげで私は、今も生きてここにいる。そして私の心のなかに、ゆっくりと空を切って向こうに倒れていったポプラの姿が、今も鮮やかに息づいている。