入院していた、母方のお祖父さんが亡くなった。
まぁ、覚悟していたとはいえ、寂しいものである。
オカンの実家は、いわゆる名家である。
うちのオトンは、結婚するためにオカンを貰いに行ったとき、お祖父さんに連綿と連なる家系図を見せられて、かなりビビったそうだ。
オカンの親戚には、元衆議院議員やオリンピック選手もいる。
葬式の弔電で知ったのだが、この元衆議院議員の方は、いつの間にか現職の市長になっていた。
前にも書いたことがあるが、お祖父さんは近衛兵だったので、戦時中は皇居の中にいた。
元気なときは、
あの時は、皇太子がウロチョロして、大変だったよ。
出てくるな!って言ってるのに、外へ遊びに出て来るんだから。
そのお陰で、今のオレは左翼だよ。
とうそぶいていたが、死ぬ直前には、
あの時は、本当に大変だった。
もしも皇太子に何かあったら、大変な問題になったんだから。
と正直に話していたそうだ。
痛み止めのため、かなりの量のモルヒネを投与していたので、時々幻覚を見ていた。
見ていた幻覚は、すべて戦時中のことだったようだ。
激戦地に赴いた訳でもなかったので、お祖父さんは比較的悠々自適に過ごしていたと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。
葬式に参列してくれた人たちは、口々に頭が良く、面白いお祖父さんだったと言っていた。
普通の人の感覚とは、かなりズレていたのだ。
戒名にしても、非常に低い位だった。
周囲からも、家格的におかしいといわれていたようだ。
でも、これはお祖父さんの考え方だった。
人は死んだら飯も食べなし、家も服もいらない。
だから、オレが死んだら何もお供えしなくていい。
それに、戒名の位を高くしたら、その分お布施や供養のお金がかかるから、子孫に迷惑をかける。
それなら、一番低い戒名で十分だ。
さすがに、一番低い戒名にはしなかったが、それでも周囲の家格と比べると、低い戒名である。
でも、お祖父さんはケチなわけでなく、お布施は一番高い戒名と同じ金額を払っていた。
曹洞宗のお布施なので、そこそこの金額である。
そうしていたのは、役員になるのがイヤだったということもある。
役員になって権力争いをしたり、人の上に立つことが大嫌いだったのだ。
しかし、笑顔の溢れる葬式だった。
お祖父さんのことを思い出すと、みんな自然と笑顔になるのだ。
ヘンな表現になってしまうが、お祖父さんらしい楽しい葬式であった。
でも、後でオカンから話を聞いたら、私が来てからみんなが笑顔になったらしい。
私がみんなを笑わせていたと。
まぁ、親戚が多いと、同じネタで何回転もできるので、非常に効率がいいのだ。
葬式の後、オカンの枕元には、お祖父さんではなくオトンが現れたらしい。
そして、こう言ったというのである。
お疲れ様でした。
はてさて。
うちのオトンは、まだ生きているのだが……

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