私が思ったことをありのままに書きます。
間違ってるかもしれないし、不愉快に思う人が居るかもしれない。
そうだとしたらごめんなさい。
あげるとたくさん群がってきて危ないから、施しはしないように注意されていました。
旅行者の中には、かなり強く物乞いの人を突き飛ばす人も居た。
それはそれで、その人は自分の考えの元にやってるんやからいいんやけど…。
足が有り得ない方向に、背中から肩に向かって折れ曲がり這いつくばった少年が、施しを受け取るためのアルミのお皿をガチャガチャと鳴らす。
その姿勢のまま驚くべき速さで尺取り虫のような動きで這い回り、追いかけてくる。
もうぴくりとも動かない白目をむいた赤ちゃんを抱いた3歳くらいのもつれきった髪の子が、バクシーシ(施しを)、バクシーシとつぶやきながら弱々しく手を伸ばしてくる。
直視できへん。辛い。
インドの物乞いの中には、働きたくても働けない人、働けるけど働かない人、色々居るといいます。
元気にたくましく遊びながら、旅行者が来たら慌てて寄ってくる元気な子どもも居ます。
一番見てて辛いのは、突き飛ばれても振り払われても怒鳴られても、たとえ気まぐれに施されても、手を握っても、パッとお金をむしり取るだけで、何の感情も表さない瞳を持った子たち。
その疲弊しきった心。
悲しい。
人間どうしたらあんな瞳を持つようになるのか…。
私は幾ばくかのお金を持っているが、誰も救えない。
スジャータ村でのこと。
そこには日本語が書かれた学校があり、寄付を求める子どもたちが群がってくるから気をつけろと言われた。
子どもたちは大人に命令されてるだけで、寄付しても、それは大人の遊び代に消えるだけで、全く子どもたちの糧にはならへんらしい。
無視しても無視しても変な少しの日本語と英語で、何度も何度も話しかけてくる痩せっぽちの男の子。
何も出来ないから私は何もしない。顔も見ない。
群がる男の子たちで大所帯になり、歩き続けてると、一人の男の子の社会の窓が開いていた!
指摘された男の子は恥ずかしそうにジッパーをあげ、周りの子たちは大笑いしてはしゃぎまわる。
私も思わず笑ってしまった。
すると、男の子が叫んだ。
すごく嬉しそうに。
「ワォ。You Smile!」
何か力が抜けた。
出来ないことは出来ない。
あたしはこの子たちになにもしてあげられない。
だからって顔をこわばらせて、かたくなに話もせず、首を振って歩き続けても、インドに辛い印象しか残らへん。
笑って話してもいいんじゃないのか?
話すことによって期待させるかも。それは無視するよりヒドイんかもしれへん。
でもあたしは話すことを選んでみた。
だっておんなじ断られるにしても、無視して突っぱねられるより、ごめんね、出来ませんって言われたほうがまだ辛くないんじゃないのかな。
どう見ても13、4歳にしか見えない痩せたその子は、18歳やった。
彼は色々、一生懸命自分の知ってる言葉の全てを使ってしゃべってた。
「これは全部お米だよ。ここは学校。これ美味しいんだよ、見て?食べる?」
そしたらその子とグルの寄付を求める男の人が寄ってくる。
「ごめんね、疲れた?ノーサンキューでいいんだよ、ごめんね」
あたしが付きまとわれて困ってると思ってくれたのか、一緒に行ってるグループの男の人が男の子を「しつこいぞ」って突き飛ばした。
男の子は驚いて離れていった。
でも
最後にバスに乗ると、追いかけてきて窓ごしに必死にあたしを探し、
投げキスをした。
その時のきらきらの目はほんまにほんまに綺麗やった。
一人よがりで自分勝手やけど。
こんなんでもいいんじゃないの?って思った。
もしかしたら、あたしが感じたようにあの男の子の中にもちょっとあったかい気持ちが残ったかもしれへん。
そんな自分勝手な想像を信じてみたい。
それからは自分ルールを決めた。危なそう(群がってきそう)な場合は、悲しいけれど無視。あげられそうな時は10ルピー(施しの相場)あげる。その時は手を握る。
話しかけてくる子とは会話をする。そうやって自分で決めて動くことによって、旅が少し楽になった。

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