心理臨床家の溜息

心理臨床家の皆さんと情報交換、意見交換、愚痴を言い合う場です。

 
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投稿者:なのはな
遅ればせながら、コメントします。私は田嶌先生・増井先生の影響から、悩みと「つきあう」という考え方をしますのでそれに基づいてコメントさせてください。
私の研究では、「悩み」には「拒否」「観察」「受容」のプロセスがあります。この中で「次どうするか考える」というのは「受容」の段階にある人だといえます。悩みを持った時「次にどうするか」を考えるのは大事なことです。しかし「次どうするか」を考えたくても「どんなものか」がわからなければ考えられません。「どんなものか」、つまり「質がわかる」ために「観察」の段階が必要なのです。けれど「観察」しようと思っても、本人が悩みに気付いていないとき、悩みにとりつかれたりおなじところをまわって前に進んでない人もいるでしょう。これは一見「意味がない」ように見える「拒否」の段階ですが、悩みと「つきあう」プロセスはここから始まるのです。見たくないために「拒否」した悩みを「観察」しなければ、「受容」には結びつかないのです。この3つのプロセスの中で一番パワーを使うのは「拒否」から「観察」に移るときです。ちょっと無理な例えですが「明日戦争だから兵隊になって戦場へ行け!」と言われたら「絶対無理!!マジ無理!!」と思うでしょう。それと一緒のことです。自分にとって受け入れがたいことを見れるようになるには、力を使います。そこに寄り添って一緒に考えていく存在がThではないでしょうか。
なんにせよ「悩みと上手につきあえる」ようになるにはパワーを消費するものです。しかし、そうやって「つきあいかた」を考えられるようになればそれはその人にとって大きな成長であり、その成長を得られたということは人間にとって「悩む」という行為は十分意味があり価値あるものではないでしょうか。人間が生きる中で悩みは尽きないもので、人それぞれの発達段階やその人を取り巻く状況によってさまざまな「悩み」を抱え、時にはひとりで、時には誰かの手を借りながら「悩み」と「つきあえる」ようになり、その中で人間は育っていくのだと思います。また悩んでいく中で、私たちがThとしてかかわっていくこともあるでしょう。私たちがThとしてご一緒させていただく中でClの成長をみせてもらえるのなら、それはとても素敵なことで、私たちとしても学ぶことは多いでしょう。
投稿者:カーン
管理人さん、ザキさん、Kさん、貴重な意見ありがとうございます。

「悩む」ことよりも「次どうするか」が大事と言ったのには、私自身、解決を重視する考え方がどこかであったのかもしれません。

しかし、自分を振り返ってみて、私自身、結果重視の考え方をしているなと思います。ただ、「結果」というのは、「今会っている子が、一週間前と会ってどれくらい頑張ったか。できるようになったか」と言う感じです。
例えば、前は笑顔がなかったのに、今日は笑顔が少し増えたかな?という感じです。
じゃあどうして笑顔が増えたのかな?もっと増やそうと思ったらどうしたらいいのかな?と考えることが大事なのかなと思います。そうした結果が一つ一つ積み重なって、大きな結果(例であれば、楽しく笑顔で過ごしている)につなげたいと思っています。

ただ、結果につなげていくためには、その人のニーズや状況、特性を把握していかなければいけないと思います。もちろん、情緒的に不安定や感情的に課題があれば、ゆっくりと話を聞くことも大事です。CLの土台に立つことが基本だと思います。その上で、昨日よりもできたこと、明日何がしたいかを一緒に考えていくことが私は大事だと思います。

こんなことを考えてしまうのは、私自身、CLや子どもと会って話をしているうちに、聴いたり感情に焦点を当てて関わるだけでは、難しいなど実感することがあるからです。私が話を聴くのが苦手なのもあるのですが、お互いに目的を持って関わりたい思っているので、「次どうしたいか」を一緒に考えたいと思っています。そして、それは一生懸命その人と関わらないとできないものだと思います。

以上、管理人さん、ザキさん、Kさんの意見を聴いて、自分なりに振り返ったこと、考えたことを書きました。
投稿者:K
「悩む」ことと「次どうするか」ということについて、私が思ったことです。

 カーンさん・ザキさんが書かれていたように「悩む」ことと「次どうするか」ということは、どちらも生きていく上で大切なことだと思います。また、sinririnshoukaさんが書かれていた脳機能の特徴の違いからの視点も、「悩む」人と関わる上で大切な視点だと思います。
 「悩む」ことをそこそこにしておいて「次どうするか」ということに取り組み続けていると、どこかの時点でそこそこにしておいた「悩み」が無視できないような形で目の前に現れることになり、反対に「次どうするか」ということを抜きにして「悩む」ことを行っていると、やはりどこかの時点で「じゃあ、次どうするか?」という問題が現れるのではないかと思います(いわゆる「中年期危機」という事象には前者のようなことが一つの要因としてあるのではないかと思います)。
 「悩む」ことと「次どうするか」ということをバランスよく行うことができるのがいいのかなと思うのですが、そのバランスを考える際にはsinririnshoukaさんが書かれていたように、Clが求めていることやClの特徴、Thの特徴、そしてCl−Th関係により、Clにとって有用なバランスでかかわることが大切なのではないかと思います。

 あと、sinririnshoukaさんが書かれていたように「悩むこと」と「悩みに囚われること」は別のものなのではないかとも思います。「悩みに囚われて」しまうと、文字通り「囚われ」の状態になり、身動きがとれず、その結果「次どうするか」という動きに移りにくくなるのではないかと思いました。

 Clが「悩み」に「囚われる」ことなく「悩み」、そうして「悩む」ことを通して「次どうするか」を考えていけるようなかかわりが出来ることがThには必要なのかな、と思いました。
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